2019年9月6日金曜日
天草② (2019. 9. 6)
自分が泊まった別館。
プラザホテルアネックス本館。
昨夜と同じ駐車場から、天草瀬戸大橋。
橋の中ほどまで歩いていく。
南側、赤い橋は、本渡瀬戸歩道橋。歩行者と自転車用の橋。船舶の航行にあわせて、中央の橋桁が昇る。橋のたもとに昇降するコントロール室があり、そこで人が上げ下げの操作をする。
天草上島側のループ橋。
本渡市街。
7時前、今日の第一スポット、おっぱい岩の駐車場に到着。
通詞島の橋が見える。
海岸に下りる。ちゃんと橋がかかっている。いちおう観光地である。
目的のおっぱい岩はすぐに見つけられた。
まさに、おっぱい。乳首がリアルだ。雲仙岳から噴火時に飛んできたとの言い伝えだが、実際には波の侵食で、岩の硬い部分が残ったらしい。
鳥居があるのが車を停めた場所。
もうひとつ小さな、小おっぱい岩があると案内があったが…
おそらくこれだろう。
おっぱい岩を後にし、富岡城跡に向かう。遠くに見える半島が富岡。
富岡城の下に到着。
小高い山の上にある。
小山を一周する形で駐車場まで上る。
そこから歩いて本丸へ。
まず出丸に向かう。
出丸。
二の丸に向かう。
二の丸に立つ銅像。天草四郎かと思ったが違っていた。
本丸に向かう。
本丸跡にあるビジターセンター(資料館)
富岡城:慶長6年(1601年)に天草の領主となった、肥前唐津藩の寺沢志摩守広高によって慶長7年(1602年)頃から築かれた。寺沢氏は、富岡城に藩代を配置し天草を統治したが、寛永14年(1637年)島原・天草一揆で一揆軍から攻撃を受けた。
この乱後、山崎甲斐守家治の領地となり、山崎氏は大規模な修築及び拡張を行い現在に見られる富岡城の形ができた。(天草観光ガイドHPより)
本丸から、富岡城と天草下島を繋ぐ砂州。
細い砂嘴。
城を下りる。
島原の乱当時の石垣との説明があるが、どれなのかは分からなかった。島原一揆軍はここ富岡城を攻めたあと、船で島原に渡り、原城にたてこもった。昨日からよく見てきたので、島原が遠くないことがよく分かる。
次の目的地、﨑津集落に行く途中、昨日来た鬼海ヶ浦の先にある、十三仏公園に寄る。
南に白鶴浜海水浴場。
展望台に上る。
ここも夕日鑑賞スポット。
北に妙見浦、遠くに長崎半島が見える。
潜伏キリシタン関連の世界遺産の一つである﨑津教会がある﨑津集落に到着。教会に近い駐車場はいっぱいで、少しはなれたところにある観光者用駐車場に停める。
遠くに海上マリア像が見える。そこまで歩いていく。
海の上からしかマリア像を正面から見ることは出来ない。この岩の向こうにマリア像がある。
遠く背後から見るが、昨夜検索したブログに、岩場を辿って近くまで行った記事があった。自分もチャレンジする。
なんとかマリア像の下までたどり着く。
もう少し近くまで登る。
すぐ下まで来た証に、記念碑を撮影。昭和49年建立とある。
足元は崖。
辿ってきた岩場を戻る。
﨑津教会に向かう。
﨑津教会天主堂。
左斜めから。
戦国時代、領主の天草氏は1566年に布教を許し、教会が建てられた。その後、キリシタン大名・小西行長が肥後南部を支配すると、天草氏は配下になり、秀吉の伴天連追放令後も宣教師を庇護した。禁教後、この地の潜伏キリシタンは島原天草の乱には加わらず、信仰を続ける。1805年、﨑津周辺で5,000人以上が摘発される「天草崩れ」が発生するが、「心得違いをしていた」とみなされて放免された。
1873年に信教の自由が黙認されると、カトリックへの復帰が始まる。現在の教会は1934年頃、ハルブ神父の時代に鉄川与助が設計施工した。木造で、正面の尖塔部分は鉄筋コンクリート、内部は畳敷きで祭壇はかつて絵踏みが行われていた位置に当る。背後の海に溶け込み「海の天主堂」とも呼ばれている。(潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンターより)
教会と集会所。
周囲には観光客用の店が並ぶ。海辺のほうに歩く。
湾の奥側。
湾の出口方向。灯台が見える。
駐車場に戻る途中、女子3人組とすれ違う。ひょっとしたら昨日のイルカウォッチングのときの女子か。背負うリュックの色からして、たぶんそうだろう。
今日のメインスポット牛深海中公園に向かうが、橋の上からの景色が良かったので引き返すし、﨑津集落ガイダンスセンターに車を停める。
橋の中ほどまで歩く。
橋の上から天主堂が見える。
予定していた牛深海中公園グラスボートの時間は13:00だが、現在10:10、うまく行けば一つ前の11:10に間に合うかもしれない。牛深へ急ぐ。
グラスボートの乗り場が分からなくてしばらく探す。ガソリンスタンドのおじさんに聞いて、10:55、やっとたどり着く。11:10に間に合いそうだが、妙に静まり返っている。
台風13号の接近に伴う強風のため、欠航! 天気予報で見たとき風速が10m以上だったので気になっていた。もしやと予想もしていたし、昨日のイルカで満足しているのでさほど落胆はしない。牛深からはフェリーで長島に渡り熊本に帰るコースを考えている。フェリーの時間までずいぶんあるので、牛深の観光スポットを検索する。眺望のいい鶴葉山公園というのがあるので行ってみることにする。
乗るはずだったグラスボート。船底のガラス窓から海中が見える仕掛け。台風の心配のない来年の春でも、天候確認のうえ、もういちど来てみよう。
これまで天草の道路はほぼ2車線以上の広さがあり、信号も少なく走りやすかったので、鶴葉山公園へもらくらくと思っていたが、ここは違った。軽自動車がかつかつ通れる道幅、路肩にガードレールもなく、操作を誤れば転落の可能性もある道。とにかくいけるとこまで行く。
やっと頂上近くの駐車場に到着。
ここからは遊歩道があるが、危険な車道を引き返すことを考えると、ゆっくり過ごす気にもならない。
いちおうトイレもある。
かすかに海が見える。やはり遊歩道を登らないと眺望は開けないようだ。
来た道を引き返し、途中の広場で、ユメマートで買ってきた弁当を食べる。
なんとか入口まで戻る。「また来てね」の看板。もう来ることはないだろうが、危険な分だけ記憶に残った。あとから思うと、途中で対向車にあったら(まず来る人はいないだろうが)、路肩が崩れたら… 危険なドライブであった。
砂月海水浴場。
牛深港にかかるハイヤ大橋。ここを通って行き来した。
さて、時間は早いがフェリー乗り場にやって来た。なんとフェリーも欠航。先ほど出かけるときの12:00のフェリーの手続きをしていたが、あれが本日最後の船だった。おじさんがいたので確認する。本日は船は出ないとのこと。しかたなく陸路で熊本に帰る。
天草上島は来たとき通った、タコ街道がある北海岸とは反対の南海岸を走る。これといった名所はないが、途中、松ヶ鼻で一休み。
恐竜の化石が発見され、「恐竜の島」をアピールしている御所浦島が見える。御所浦島には船でしかいけないが、隣の牧島とは橋で繋がっている。
16:45、無事熊本駅に戻る。
予定では、フェリーで本土に戻り、出水市のぬくもりの湯で風呂に入って帰るつもりだったが入ることが出来なかった。熊本市内でどこかないか検索して、熊本城温泉・城の湯があるのを知る。北熊本駅の近くらしい。熊本駅構内でかけぞばを食べ腹ごしらえして向かう。北熊本へは路面電車AラインからBラインへ乗り換えて最終駅。路面電車に乗るため、東口に出る。昨年来たときは工事中だったが、熊本駅、すっかりきれいになっている。
マップで見ると北熊本よりも、2つ手前の本妙寺入口が近そうなので、そこで下りて歩く。熊本城の裏側にある。
城の湯、宿泊も出来る。
風呂から上がって熊本駅に戻るが、帰りは乗り換えなしのJRにする。JR熊本駅。
こちらは市内電車の北熊本駅。
熊本から新幹線で帰る。今回の走行距離、約450km。よく走った。青が実際に走ったコース。赤は、予定していたコース。
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