新幹線で名古屋まで。名古屋からは名鉄で、犬山・新可児で乗り換えて、9:45、名鉄明智駅に到着する。
明智城の案内がある。踏切を渡って南に行く。
駅から歩いて15分。マップで目印にした明智城散策路入口に到着。ただ、順路の矢印が反対方向を指しているのが気になる。本丸跡には行けるので、ここから登ることにする。
散策路マップがあるが、進む方向と逆なので分かりづらい。
竹林の中を進む。
搦手門跡。搦手門は城の裏口に当たるから、どうやら通常とは反対の順路で登っているようだ。
敵の侵入を食い止めるための、切り崖。
脇に逸れる道を登る。
六親眷属幽魂塔(ろくしんけんぞくゆうこんとう)。明智一族の供養塔。
その先は見張台。
主導に戻る。山城によく見かける堀切。一度下る。
堀切:城や城塞群において、外敵の侵入防止や遅延のために曲輪や集落の周囲や繋ぎの部分を、人工的に開削して溝(堀)するもの。空堀の一種。 (ウィキペディアより)
堀切を通って坂を登る。
旧道が崩落した後に作られた道。十兵衛坂と名づけられた。
山頂に到着。
明智城:土岐明智氏の出自の地であり、明智光秀を生んだ地との伝承を持つ。
『美濃国諸旧記』には、康永元年(1342)、「長山」に土岐頼兼が城を築き、弘治2年(1556)に明智光秀の叔父光安・光久が城主であった時、稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受けて落城したとする。(戦国城跡巡り事業HPより)
本丸跡。
北方向の展望台。
明智荘が見渡せる。
二の丸跡。通常の順路だと、ここに先に着く。
七つ塚。明智城が斉藤義龍に攻められた際、討たれた明智軍の7武将を葬った塚。数えたら七つあった。
明智城落城:弘治2年(1556年)9月19日、稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受け、明智城代明智光安(宗宿)は弟光久と一族の溝尾庄左衛門、三宅弐部之助、藤田藤次郎、肥田玄蕃、池田織部、可児才右衛門、森勘解由ら870余人を集めて籠城したという。しかし義龍軍は3700余の軍勢で2日間にわたり攻撃を行う。光安は光秀に明智家再興を託し弟光久と自刃し、妻妾も落城前に自刃したという。(ウィキペディアより)
本丸跡から坂を下る。
桔梗坂。桔梗は明智光秀の家紋にもなっている。
半分下ってきた。
大手門が見えてきた。
大手門を表から。ネットやテレビで見る風景。本来は、ここから登る。
大手門を出たところに展望台があった。
明智城跡散策を終える。
しばらく歩いたところある天龍寺。
日本一大きな明智光秀の位牌もまつられ、明智一族とかかわりが深い寺院。
明智一族の墓所。
明智城跡のほか行きたかった、大河ドラマ館が開催されている花フェスタ記念公園に着いたが、やけにひっそりしている。入口の門が閉まり、守衛さんが立っている。どうやら今日は、臨時休園らしい。明智に来たときから、大河ドラマ館があるのに、一帯が妙にひっそりとしていると感じていたが、このせいかもしれない。
しかたなく駅に向かう。駅の近くから、先ほど登った明智城跡を振り返る。
明智駅から新可児行きの電車に乗る。
新可児で下車。手前がJR大多線の可児駅、奥が名鉄新可児駅。ここからJRで高蔵寺まで行き、愛知環状線に乗り換えて、岡崎城に近い中岡崎駅で下りる予定。乗換えが多いが、始めて乗る路線に乗るのも、今回の旅の楽しみのひとつである。
大多線の本数は少なく、待ち時間がかなりあるので、新可児駅内の食堂で昼ごはんにする。
やはり、きしめんを注文する。
可児駅から多治見まで行き、中央西線に乗り換え、高蔵寺まで。高蔵寺で愛知環状線に乗り変える。愛知環状線は、JR高蔵寺駅とJR岡崎駅を結ぶ第3セクターの鉄道。豊田市を通り南北に走る。
14:55、中岡崎で下車。乗り換え乗換えで、可児駅から約2時間かかった。
岡崎城は徳川家康が生まれた場所である。大手門から入るため北側に回る。
岡崎城大手門。
三河武士の館。入口に扮装したスタッフがいる。資料館だろうが、今日はパス。
からくり時計。
徳川家康像。
何かの記念のモニュメント。
発掘調査をしている。おじさんたちが、石垣の間を掘っている。
岡崎城の隣にある龍城神社。
龍城堀にかかる神橋。
岡崎城。松に白が隠れる。いわれのある松だろうか。
岡崎城:起源は15世紀前半まで遡ります。明大寺の地に西郷頼嗣(稠頼)によって築城されたのがそのはじまりです。その後、享禄4年(1531)に松平清康(家康の祖父)が現在の位置に移して以来、ここが岡崎城と称されるようになりました。天文11年(1542)12月26日、徳川家康は、ここ岡崎城内で誕生しました。家康は、6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、少年期を他国で過ごしましたが、永禄3年(1560)の桶狭間の合戦で、今川義元が戦死したことを契機に自立しました。ときに19歳。以来、岡崎城を拠点に天下統一という偉業への基礎を固めました。元亀元年(1570)、家康は本拠を遠江浜松(静岡県浜松市)に移し、嫡男信康を岡崎城主としました。天正7年(1579)に信康が自刃したあとは、重臣の石川数正、ついで本多重次を城代としました。天正18年(1590)に家康が秀吉によって関東に移されると、秀吉の家臣田中吉政が城主となりますが、家康が江戸に幕府を開いてからは、譜代大名にここを守らせました。(岡崎市公式観光サイトより)
入城料200円で天守閣に登る。
天守閣階上。
網越に岡崎市街地。
天守閣を下りて、城を出る。
龍城堀と神橋。
愛知環状線で中岡崎から岡崎まで。岡崎でJR東海道線に乗り換え蒲郡駅で下車。時刻は16時半。今日の日没は17時半頃なので、日が沈む前になんとか、目的地の竹島に行けそうだ。
駅前に船のモニュメント。
駅から歩いて約15分。竹島遊園に到着。ホテルや水族館もある。
あの竹島橋を渡って竹島まで行く。
橋を渡る。
風が強く寒い。
寒い中、大鳥居に到着。
島全体が天然記念物に指定されている「竹島」。本土から約400mしか離れていないのに、本土の植物体系とは異なる独自の植物体系を持っていることが、天然記念物に指定された理由です。周囲約680m、面積約1.9haの竹島へは橋を渡って行きます。観光施設や宿泊施設が充実しており、のんびりした時間を過ごすことができるのが、竹島の魅力です。(心みちるたびHPより)
渡ってきた橋を振り返る。
島の東側に海中灯篭。
神社への石段を登る。
竹島は縁結びの島としても有名で、パワースポットとして知られている。
宇賀神社。
八百富神社。
大瀧神社。
大瀧神社の裏は海に続く。
階段を下る。
竹島の南端。
遊歩道を歩いて戻る。
島の西側の海中灯篭。
一周して橋が見えてきた。
登り始めた石段の下に戻る。
竹島橋を歩いて戻る。
橋の上から西方向、砂州が出来ている。
橋の終わりあたり、カモメに餌をやる家族連れ。先日行った浜名湖のカモメを思い出す。
JR蒲郡から大府まで。大府でJR武豊線で半田まで。
今日は半田に泊まる。センターワンホテル半田。
食べるところを探したがなかったので、部屋でコンビニ弁当を食べる。
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