2023年7月22日土曜日

横倉山① (2023. 7.22)

工石山<高知市> (2023. 7.21)より⇒

 

 横倉山(よこぐらやま)第1駐車場に到着。

 

牧野富太郎の写真の幟。

 

新しいトイレ。

 

すでに標高451m。かなり上って来た。下に越智町。

 

横倉山のカムト嶽が見える。鎖場があるらしい。

 

登山口。

 

最初から急登。

 

スギ林。

 

登り。

 

「おつかれさま 無理しないで 一休み!」。

 

横倉御山で1.8㎞。

 

岩場の始まり?

 

まだ先だった。

 

登り。

 

「頂上まであと少し 頑張ろう!」。山頂は先なので、頂上とはカムト嶽のことか。

 

「源太夫判官季貞祀る」。横倉山は平家の落人の山であり、安徳天皇が逃れてきたという伝説がある。


ここから岩場。

 

カムト嶽。

 

車で通ってきた道。


鎖があるが…

 

巻道があった。無理しないで、こちらを行く。


左手に、鎖場。

 

かむと嶽石鎚神社。

 

下に駐車場が見える。

 

岩尾根を通り、横倉山山頂へ向かう。

 

下に桐見ダム。

 

アップダウン。

 

小さな祠。

 

下り。

 

横倉宮まで1.1㎞。

 

岩の道が続く。

 

石段を下る。


歩きやすい道になる。


登り。

 

山頂?墓がある。

 

「二位僧都専親祀る」。

 

横倉山三角点。標高776m。

 

ひと休み。山頂からの展望はない。


下山。

 

下り。

 

横倉宮まで0.3㎞。

 

登り返し。

 

少し緩やかになって…

 

九十九折。

 

また下る。

 

登り。横倉宮が見える。

 

横倉宮に到着。標高782m。横倉山とほぼ同じだが、アップダウンが多かった。

 

祭神は安徳天皇。

第81代安徳天皇の陵墓は、現在、その最期となった壇ノ浦を見下ろす赤間神宮に隣接する阿弥陀寺陵としている。しかし未だなお宮内庁指定の陵墓参考地が全国に5ヶ所ある。そのうちの1つとして四国に唯一あるのが横倉山の頂上付近にある「鞠ヶ奈呂陵墓」である。勿論、この地には参考地とみなされるべき、安徳天皇にまつわる伝説が残されている。

この地に残る伝説によると、安徳天皇を奉じた平家の落人がこの地に足を踏み入れることとなるのは、壇ノ浦の戦いに敗れた後ではなく、その1ヶ月前にあった屋島の戦いの直後からであった。壇ノ浦へは替え玉が送られ、平知盛や田口成良といった有力武将が随伴して四国の各地を転々とし、そして文治3年(1187年)にこの横倉山にたどり着いたとされる。安徳天皇は山頂近くの一角に造られた行宮地で過ごし、平知盛以下88名の将はこの山中に居を構え、その数は25軒ばかりであったという。そして正治2年(1200年)に安徳天皇は23歳で崩御、かつて臣下の者と共に鞠を興じた土地に御陵が設けられた。さらに平知盛らは安徳天皇を玉室大明神として祀る宮を山頂付近に建てた。それが現在に残る横倉宮である。(日本伝承大鑑より)


ひと休み。

 

奥に本殿。

 

「ヨコグラノキ」の標識。

 

1884年牧野富太郎が横倉山で発見したことにちなんでヨコグラノキと命名された。


⇒横倉山② (2023. 7.22)へ


0 件のコメント:

コメントを投稿