2019年2月27日水曜日

馬島・佐合島 (2019.02.27)

しばらくぶりの瀬戸内海島歩き。今日は、山口県田布施町の沖に浮かぶ2つの島、馬島と佐合島。2つの島とも、これといって特に名所はないが、強いて言えば馬島の刎島(はねしま、干潮時に陸続きになる)と、要害山くらいか。

朝早く車で港近くの駐車場まで行く。

 船着場は駐車場から少し歩いたところにある。

漁師さんたちが火に当たっている。

高速船が到着。船は田布施町の麻理府港と平生町の佐賀港の間を、1日6~7往復している。

今日は7:05の便で馬島に渡り、10:30の便で馬島から佐合島に移動し、12:00の便で佐合島から麻理府に帰ってくる予定。運賃は2区間まで¥160、船内でお兄さんに払う。

乗客は自分1人。馬島に向かう。

すぐに馬島に到着。
馬島:山口県の東部熊毛郡田布施町の島。人口は27人(平成27年国勢調査)。麻里府港から渡船で10分ほどの距離にある。気候は比較的温暖で雪は積もることがあまりない。110mの小さな山があり、頂上までは大人の足で20分ほど。頂上からは瀬戸内海の島々が眺望でき、天気のいい時は大分県の国東半島がまで見える。馬島の由来は、はるか昔馬飼い島として使われていたというのが有力な説である。夏はキャンプ場であるのんびらんどうましまに多くの人が訪れにぎわう。秋ごろには水平線に沈む夕日が見ることができる。夕日の名所。(ウィキペディアより)

まず刎島に向かうが、途中にやはり干潮時に陸続きになる小島がある。ネットで調べると、干潮は8:30頃。ちょうど今は干潮時である。名前はわからないがミニ刎島とでも呼ぼうか。

 刎島に向かう。

陸続きになった砂州を歩く。

砂州の上から、昨年行った大星山の風車を見る。
 島の南端に向かう。

刎島の先端。

後で行く佐合島はすぐ近く。

本島に引き返す。向こうに見えるのが要害山。

北風が当たる砂州の北東側は並が強く、風の当たらない南西側は波がないのが分かる。

刎島から戻ったところに、のんびらんどがある。

ただ、シーズンオフでひっそりしている。夏はキャンプでにぎわうのだろう。

のんびらんど近くの登山口から要害山に登る。登山道は整備されていて歩きやすい。

頂上かと思ったが、途中の展望所だった。

刎島とのんびらんどを見下ろす。

頂上目指して竹林の中を進む。

展望台が見えてきた。

要害山。標高110m。

刎島と、その向こうに佐合島。

室積方面、牛島。馬島は、この牛島と対になった名称とのこと。

上関方面。

要害山を下りて、島の北端に向かう。次の船まで時間がたっぷりある。

途中、馬島神社に寄る。

竹林が多い。

馬島神社。いろんな島を歩いてきたが、どの小さな島でも神社がある。

足場はよくないが、海岸沿いに歩く。

島の北端に到着。

北端から、麻理府港を見る。手前の小山は、平生町から伸びる岬にある、阿多田古墳跡。

船着場に引き返すが、潮が満ちればここは歩けないだろう。干潮時に来たので、行動範囲が広がってよかった。

待合室に戻る。

現在10時前、佐合島行きの船まで30分以上あるが、外は風が強いので、ここで待つことにする。歩いている間は誰にも出会わなかったが、待合室は集会所にもなっていて、にぎやかだ。人の出入りも多い。

待合室の前にあるポスト。取集時間は、日曜以外の8時頃。

佐合島に向かう船がやって来た。テレビ局のカメラマンっぽい人が下りて来た。待合室だけがにぎやかだったのは、取材でもあるためか。

今回は自分以外にも乗客がいた。

佐合島に到着。同乗のシニア夫婦もここで下りた。この島の人たちだろうか。
佐合島:熊毛郡平生町佐賀から南西へ約2kmの瀬戸内海海上にあり、瀬戸内海国立公園の区域に指定されています。小さい島にもかかわらず北と南に100mを超える山があり、丘陵地が多く、平坦地はわずかでが、島全体が自然が豊かで、岩場では釣りが楽しめます。また海岸線に沿っては薬草のオカヒジキが自生しています。平成30年4月1日現在、人口は17人。(山口県のHPより)
なお、平生町のHPによると、明治22年には人口は975人だった。

特に行きたいところはないので、時間があれば島を巡る遊歩道を歩こうと思う。少なくとも、馬島の見える展望所までは行きたい。

島の北部に向かって歩く。

途中にある久保白船(1884~1941年:俳人・水彩画家)の生家跡。空き地が広がるだけで、言われなければ分からない。
久保白船:明治17年佐合島の醤油醸造業の家に生まれ、県立山口中学を卒業すると家業を継ぐため佐合島に帰り、仕事のかたわら句作に励みました。明治44年荻原井泉水の自由律俳句誌「層雲」の同人となり、中学校以来の友人種田山頭火や、田布施町の俳人江良碧松とともに活躍しました。昭和初年には日本水彩画会に入選するなど絵画の面でも才能を発揮しました。代表作に
「海の青さ山の青さに雲重なれり」
 「踞ればふきのたう」
現在も島内には、白船の生家跡地が残されています。(平生町HPより)

佐合島遊歩道北口から入る。

何年式の廃車だろうか。メーカーもはっきりしない。ここまで廃れると味があり、作品だ。

第一展望所に向かう。

第一展望所。眺望はあまりよくない。

第二展望所に向かう。

第二展望所。

刎島と馬島が見えた。時間は11時過ぎ。遊歩道を歩いて島を巡り、12時の船に間に合いそうな気もするが、やや急かされる気がする。それに特に見たい風景も思い当たらないので、ここで引き返すことにする。

遊歩道を出て、とりあえず島の北端に行く。

人口17人以上の墓が並ぶ。今は島を離れた家の墓もあるのだろう。

島の北端部。道はここで終わり。刎島と馬島が見える。

港に引き返す。

港を少し過ぎたところに、遊歩道南入口がある。先ほどの遊歩道を行くと、ここに出てくることになる。

さらに先に進み…

上関大橋を見る。

港に戻る。

佐合島待合室。

麻理府へ戻る船を待つ。

平生町佐賀港から船がやって来た。この船1台で、1日中往復している

これで3回目の乗船。お兄さんにも3回会ったことになる。

麻理府港に戻る。乗客は自分以外に自転車に乗った若い女性が1人いた。船の運航中は、自転車はデッキに横倒しにされていた。小さな船で揺れが大きいので、転落防止のためだろう。

麻理府港からさほど遠くない平生町の阿多田交流館に向かう。そこには人間魚雷回天の資料展示がある。その前に、車の中で弁当の昼食を済ませ、近くの山にある神花古墳に登る。

古墳に登る。

神花山古墳。
 平生湾に面した標高39メートルの神花山の山頂部にある前方後円墳です。全長約30メートル、高さ約2.5メートル。5世紀前半に造られたものと推定されます。この古墳の発見は、第2次世界大戦のさなかの昭和19年。当時この付近一帯は海軍の軍用地でした。この神花山の頂上に高射砲の陣地を構築するため敷地をつくっていたところ、石棺が発見されたのです。中には、ほぼ全身の人骨が納められており、当時は壮年男性のものと考えられていました。しかし敗戦後の混乱により、現在は頭骨だけが保存されています。昭和62年、長崎大学医学部の松下教授の鑑定により20代前半の女性の頭骨と判明しました。古墳時代の女性の人骨が、発見されることは大変珍しく、貴重なものです。昭和57年山口県の指定史跡となりました。町は遺骨をモデルに復元像を作り、平生町民俗資料館に展示しています。これをもとに建立された古代女王像(高さ約10メートル)は、神花山古墳のシンボルとなっています。(平生町HPより)

 古墳の頂上に登る。

古墳の上から、馬島・刎島・佐合島を見る。

 古墳を下りる途中、古代女王像が見える。

下からだと木々に隠れて古代女王像は見えない。

阿多田交流館に向かう。

館の前に展示された回天のレプリカ。

館内は暗かったので、休みかと思ったが、受付におばちゃんが座っていた。資料室に電灯をつけてくれた。常時点灯していても、訪れる人は少ないのだろう。節約のため、必要時にのみ点灯している。

出撃前の若者の写真。回天は前進のみ、脱出扉はない。初めから自爆用に設計された兵器だ。それを設計する人間の意識の恐ろしさ、それに乗り込む若者の痛ましさを感ずる。

今日の予定を終え、最後は風呂。今日は、周防大島にある潮風呂保養館。入浴料¥510。

一帯は道の駅などもあり、保養施設になっている。

展望台からは島々も見渡せる。

風呂を出て、帰りは玖珂ICより高速で広島に帰る。