2018年7月31日火曜日

瀬戸大橋2 (2018. 7.31)

⇒瀬戸大橋1 (2018. 7.31)より続く

児島駅に着く。

瀬戸大橋観光船が出発する児島観光港は、駅から歩いてすぐ。

児島はジーンズが有名で、待合室に飾ってある。待合室には自分ひとりだが、冷房がよく効いていている。 実は、自分ひとりではまずいことになるのだ。観光船は3名以上で出航する決まりになっている。まだ時間はあるが、このまま誰も来ないと、せっかく着たのに船に乗らないで帰ることになるからだ。ソファーに横になり不安な気持ちで待つ。

うとうとしたところに、話し声が聞こえた。女性のグループが観光タクシーでやって来た。 どうやら船に乗るらしい。これで3名以上。よし、気分が盛り上がってきた。

待合室横の売店で、何回目かの水を買い船着場に向かう。水は飲料に半分、暑さ対策で頭に注ぐ?のが半分。

観光船に乗る。所要時間約45分。料金¥1550。

いさ出航。

水しぶきを上げて船は沖に向かう。テープが故障し、船長自らのガイドつきだ。

児島半島南端を回ると瀬戸大橋が見えてくる。 児島は古事記にも登場する、かつてはその名のとおり島だったが、江戸時代初期に干拓により島になった。したがって、児島半島は人工的な半島と言える。

瀬戸大橋の一番高い部分は、世界一の巨大船も通過できる高さ。

有人島の櫃石島(だと思う)

岩黒島(だと思う)

岩黒島と与島の間の橋下をくぐる。

与島は良質の花崗岩が採石されていた。むき出しの崖はその跡。

橋をもう一度くぐり、ここで引き返す。

児島港に向かう。見えるのは、瀬戸大橋の本土側入り口。道は鷲羽山のトンネルに入る。

無事、観光を終えて児島港に戻る。 船長さん、にわかガイド、ご苦労様でした。
観光案内所と通るとき、女子2人組が窓口で話しているのを見かけた。3人以上で出航なので微妙なところだ。ちゃんと船に乗ることができただろうか。結果的には、自分が2時の便に回れば、最低3人確保できたわけだが…

事前に調べた計画では、児島駅でレンタカーを借り、廃線になった下津井電鉄軌道跡の風の道を走り、下津井から鷲羽山を巡って戻るつもりだった。レンタサイクルを行っている、観光案内所のおばさんによると7月上旬の大雨で風の道は通れなくなったとの事。コースを変え、鷲羽山に行くことにする。ここでも電動アシストを希望する。結構坂道が多いからだ。おばさんに4時半までの帰還を念押しされ出発する。

児島半島を南下する。

展望台入り口駐車場に到着。ここまでかなりの坂道だった。やはり電動にしてよかった。

第2展望台まで歩き。

第2展望台から見る瀬戸大橋。

さらにこの上にビジターセンター(第1展望台)と鷲羽山山頂がある。

歩き750mで、ビジターセンターに到着。

ビジターセンター展望台から見る瀬戸大橋。

山頂はすぐ上。

今日も猛暑。タオルで顔を拭き拭き登る。

ようやく鷲羽山山頂に到着。標高133m。

頑張って山頂まで来た甲斐がある。さえぎるものがなく、周囲が見渡せる。西側。

南側、四国方面。

東側、第2展望台方面

東から西へパノラマ。

第2展望台に戻りレストハウスで涼を取る。

自販機でコーラを買う。窓超しに瀬戸大橋。時刻は午後2時50分。自転車返却まであと1時間半以上ある。風の道で通る予定だった、下津井駅跡まで行って帰っても十分間に合うだろう。

鷲羽山展望台から下りて西に向かう。観光船からもよく見えた下電ホテル。

電車が展示してある。

下津井駅跡は瀬戸大橋をくぐりしばらく走ったあたり。橋の下、田土浦公園に自転車を止めて橋を見上げる。

ようやく下津井駅跡に着いた。思い切り廃駅。

踏み切りまで残っている。

下津井電鉄線:かつて岡山県都窪郡茶屋町(現:倉敷市)の茶屋町駅と倉敷市の下津井駅とを結んでいた下津井電鉄の鉄道路線である。モータリゼーションの進行による乗客の減少のために、1972年4月1日付で茶屋町 - 児島間14.5kmが廃止され、また1991年1月1日付で児島から下津井の間が廃止された。これにより、下津井電鉄は鉄道事業から撤退したが、企業名としての「下津井電鉄」の名称は鉄道事業撤退後も使用されている。(ウィキペディアより)

 かつては、このホームが人手にぎわったのかと想像する。時の移ろいと感じる。

風の道が通行可能なら、向こうから降りてきたのだろう。

下津井駅跡を見たので児島駅まで帰る。途中にあるむかし下津井回船問屋。入場無料だが、暑くて説明など読むのが億劫でパス。

下津井の港から見る瀬戸大橋。

児島駅に戻ったのは午後4時過ぎ。おばさんが心配していた返却時間には、十分間に合った。 今回の旅、昨日も今日も電動アシスト自転車が大活躍した。それがなければ、おそらく回りきれなかっただろう。今後も活用することにする。

児島駅を午後4時10分に出て、自宅には6時前に着いた。今回は、暑い暑いたびだった。暑かったが、きれいな海の青・空の青がとても印象的だった。

瀬戸大橋1 (2018. 7.31)

⇒牛窓(2018. 7.30)より 

岡山に泊まったので結果的に、広島から来るよりも1便早い便に乗ることができた。始発の5:27岡山発、快速マリンライナー高松行き。

運転席の見える最前列に座る。

 電車で瀬戸大橋を渡るのは初めてだ。

 約45分で四国の坂出駅に到着。かつて連絡船で渡っていたことを思うと早いものだ。四国も陸続きという感じがする。

最初は瀬戸大橋公園まで歩こうかと思ったが、このところ机上の歩き時間と実際とが大幅に違うことと、このところの猛暑 を考えバスの時間を念入りに調べておいた。バス乗り場のある坂出駅北口に出る。


坂出市営バス・瀬戸大橋公園方面行きが6:50にある。

運転手さんに瀬戸大橋記念公園に行くか確認して乗車。

沙弥島万葉会館のバス停で下りようとすると、運転手さんからここでいいか確認された。先に自分が公園に行くか訪ねたので、下りる場所を間違えてるのかと心配されたようだ。自分は島を少し歩くので、ここでいい事を告げバスを降りる。

沙弥島(しゃみじま)に向かう。

沙弥島。
かつては瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島の島であったが、1967年(昭和42年)12月に番の州工業地帯の埋め立て造成により地続きとなった。現在は隣接して瀬戸大橋記念公園が整備されている。環境省による快水浴場百選にも選定されている沙弥島海水浴場は、夏に海水浴客で賑わう。縄文時代から製塩文化が開け、ナカンダ浜からは当時の土器などが発掘されている。 (ウィキペディアより)

 2010年廃校になった沙弥島中学校跡。

沙弥島の海岸から見る瀬戸大橋。

海岸沿いに歩く。

遠くに見えるのが柿本人麿歌碑(人麻呂とも書かれる)。若い頃読んだ梅原猛著作「水底の歌」を思い出す。柿本人麿は時の権力者により流罪にされ、流刑地の海に沈んだという、人麻呂水死説を扱ったもの。

柿本人麿歌碑。
万葉の歌人である柿本人麿が立ち寄り、短歌一首「讃岐の狭岑島に、石の中に死れる人を視て、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首」と反歌二首を作ったとされている。坂出市出身の作家中河与一により、1936年(昭和11年)にナカンダ浜に「柿本人麿碑」が建立されたが、現在は人麻呂岩のあるオソゴエの浜に移設されている。 (ウィキペディアより)

 沙弥島の北端、長崎鼻に行く。

長崎鼻。石棺があるという説明があるが、どれかよく分からなかった。

岬の下を覗き込む。

 このあたり一帯は古代遺跡が多いらしい。ここにも案内があるが、やはりよく分からない。

白石古墳広場。

白石古墳、右へ50m林の中。

林の中に入るがそれらしきものがない。下までロープが下がっているが、ここを降りるのか。今日は瀬戸大橋がメインなので無理はしないで引き返す。

結局遺跡関係のものは何も見れなかった。事前に調べてもいないので仕方ない。

遊歩道を戻る。

遊歩道は民家の横に出た。瀬戸大橋記念公園まで歩く。

沙弥島の港から見た瀬戸大橋。

先ほど下りた沙弥島万葉会館バス停の横から公園に入る。

ターニャ・プレミンガ―「階層・地層・層」。
瀬戸内国際芸術祭2013春会期の作品で、香川県でよく採れる 花崗土を盛り、芝で覆った丘。なだらかな斜面を登ることもできます。(瀬戸大橋記念公園HPより)

東山魁夷せとうち美術館。開館前なのでパス。
東山魁夷(ひがしやまかいい):1908年(明治41年)7月8日 - 1999年(平成11年)5月6日)は、日本の画家、著述家。昭和を代表する日本画家の一人といわれる。
父方の出身地である香川県の「香川県立東山魁夷せとうち美術館」にも、版画を中心とする作品が寄贈されている。(ウィキペディアより)

瀬戸大橋記念公園入り口。

向こうに見えるのが瀬戸大橋記念開館と瀬戸大橋タワー。

両方とも開館前なので、オープン展示の場所に向かう。

建設工事に使った機材等の展示広場。

橋を吊るす太いケーブル。

イベント会場マリンドーム。

ステージの向こうに橋を見る。

とだま獅子。
瀬戸大橋記念公園に置かれている流政之の作品。瀬戸大橋の守り神となるように願って、橋脚となった島々や瀬戸内海周辺の石を集めて作られた。「どだま」とは、讃岐の方言で「頭」のこと。(うどん県旅ネットHPより)

くぐり滝をくぐる。同じく流政之の作品。

向こうに見えるのは鬼屏風。
瀬戸大橋記念公園に置かれている流政之の作品。総重量4,000トンの石を使用して香川の山を模し、麓から流れる水で滝と池をあらわした讃岐の景観を思わせる作品。 (うどん県旅ネットHPより)

池の下を通る。

飛び石を歩いて公園に戻る。

記念開館。開館までまだ時間がある。

ベンチに横になり…

やっと9時になった。さきに瀬戸大橋タワーに上る。108m。

座席がタワーの周りをゆっくり回る仕組み。 所要時間約10分。料金¥800。

乗客は自分ひとり。一人でも動かしてくれるが、最近はお客も少ないのだろう。係りのおばさん笑顔がない。

現在地上70m。瀬戸大橋の高さと同じ。

下を見下ろす。

頂上に着くと、その高さで3回転するので、景色を堪能できる。

 頂上から見る瀬戸大橋。

橋の上部は車、下部は列車。列車軌道は、将来新幹線が通るのを考慮して、広くしてある。

形のよい山は、讃岐富士(飯野山) 。

朝早く歩いた 沙弥島

記念開館の裏側から展望台に登る。

橋をバックに、苦楽を共にする?リュックを記念撮影。

瀬戸大橋が通る島には3つの有人島がある。櫃石島・岩黒島・与島。それぞれに車で下りることはできるが、前者2つは住民と緊急車両のみ。与島にはPAもあり一般車両も降りることができる。最初は、今回の旅でも寄れるかと考えたが、アクセスが不便であきらめた。いつか、車で瀬戸大橋を走るときはぜひ立ち寄りたい。与島をズームイン。

記念館の鏡の壁に映る大橋。カメラを持つ自分も写っている。

記念館に入る。入場無料。

入ってすぐ瀬戸内海のジオラマがある。

ビデオ鑑賞質で見ていると…

学生の団体が入ってきた。女子はスカーフを巻いているから、イスラム系のインドネシアかマレーシアだろうか。

館内の多くは瀬戸大橋の歴史・建設についての展示である。

瀬戸大橋がかかる前の宇高連絡線のフェリー模型。

瀬戸大橋の模型を児島側から見る。

瀬戸大橋の提唱者と建設の中心的技術者のブロンズ。ビデオで久しぶりに瀬戸大橋建設をtテーマにした「プロジェクトX」を見る。

建築工法も詳しく説明されている。中でも海底の岩盤に据えるケーソンと呼ばれる巨大なコンクリートの土台の建設は興味深い。船自体が、海上に浮かぶ生コンミキサーになり、そこに途絶えることなく資材を船で運び、コンクリートを流し込む。コンクリートが途中で切れると乾燥面ができ、材質に村ができるのを防ぐためだ。したがって、ケーソンの工事を始めたら終わるまで一気に行う。

人は少なかったが、興味深い記念館資料であった。

さて、午後は本土に戻り、児島周辺の観光をする。 坂出駅まで歩かなければならないかと思っていたが、夏休みの時期、10:35の臨時バスがあった。ここに来るときバスから見た感じではかなりの距離があったので助かった。

橋を見上げながらバスを待つ。

暑い中、シルバーのおじいさんが園内の掃除をして回る。

定刻どおりバスが来た。もちろん乗客は自分ひとり。

せっかくの香川県に来たので、昼ごはんはやはりうどん。スマホで検索して、駅からあるいて10分くらいのうどん屋を探す。

いきいきうどん店。

店内にはコミックも置いてあって、ゆっくり過ごせるようになっている。

うどんの量は小中大から選ぶようになっている。「中」を普通の量と思ったが、小中大はうどん玉1~3のことで、「中」はうどん2玉。

うどん屋から駅に帰る途中、暑さしのぎにイオンを通過する。

坂出11:56の快速マリンライナーで岡山県の児島に向かう。

車窓から瀬戸内海を見る。

瀬戸大橋2 (2018. 7.31)に続く⇒