2022年7月30日土曜日

京羅木山 (2022. 7.30)

大山<ユートピアコース>② (2022. 7.29)より⇒

 

 3日目。松江市と安来市の境界にある京羅木山(きょうらぎさん)に登って帰る。

松江市東出雲町の、おちらと村に駐車する。 「おちらと」とは、出雲地方の言葉で「ゆっくりと、のんびりと」という意味。


 おちらと村横の車道を少し進む。「京羅木・星上山ハイキングコース」の案内あり。


左へ。


舗装路を進む。

 

左へ。「ここから左手に…狭い山道を登ってください」。

 

山道に入る。

 

階段。

 

「富士ヶ瀬公園を経て、金刀比羅宮に至る 約200m」

 

富士ヶ瀬公園。

 

公園を通り、右の林道へ。




林道から右へ。


出雲金刀比羅宮に到着。

 

神門。

 

けっこうりっぱな神社。

 

参拝。しめ縄は出雲大社のものに似ている。


神社の裏から登山道へ。

 

登り。


右へ。


馬乗(まのり)馬場。説明によると、この100mは乗馬練習場だったとか。


頂上まで1300m。


石仏。


下には山伏塚がある。平安時代末期には真言密教の聖地だった。


頂上まで500m。


緩やかな歩きやすい道が続く。昨日の大山登山の疲れが残っているので助かる。


腰掛岩。ひと休み。


左は勝山城跡への道。

勝山城:古くは滝山城とも呼ばれ、尼子十砦のひとつとして数えられた。尼子氏の家臣である田中三良左衛門が城主を務めたと伝わる。天文11年(1542)から、出雲へ侵攻した大内義隆が尼子氏の居城である月山富田城を攻撃。この際に京羅木山に陣を置き、勝山城も利用されたと考えられている。永禄5年(1562)からは、毛利元就が出雲へ侵攻。永禄8年(1565)に星上山に本陣を置き、勝山城にも布陣した。毛利軍は月山富田城を見下ろす京羅木山に5つの陣城を築いており、勝山城もそのひとつとみられる。(ニッポン城めぐりより)


初めてのベンチ。

 

「飯梨小学校・能義平野を望む」との説明あり。


あと100m。胸突き八丁。


急階段を上る。


山頂に到着。

 

京羅木山、標高473m。毛利氏の尼子攻めの拠点になった。

 

この山野に眠る戦死者を弔うために建てられた平和観音像。

 

山頂から松江方面。

 

中海と宍道湖。

 

反対側、大山方面。見えないが、下には月山富田城がある。

 

蒜山と大山。


星上山、約120分。

 

星上山?

 

下山。


下り。


竹が風に揺れる。ときどき竹のぶつかる音。南の海上を台風が通過中。




白い襞とリボン飾りのキノコ。名前は分からない。


星上山への縦走路。


当初は、星上山まで行って下山する周回コースを考えていたが、今日はここで右に下山。


山口谷コースをおちらと村へ。


峠の茶屋跡。蒲鉾などを運ぶ行商人のために茶屋があった。通称:蒲鉾道。


下り。


下に見えるのは中海。

 

登ってきた京羅木山?


あまり歩く人もいないのか、草に覆われている。


林道に変わる。


林道は広瀬越え旧道。


右へ。


おちらと村へ向かう。

 

パワーの木。大きな岩を断ち割ってケヤキが成長している…

 

これ?

 

おろちの木。大きな岩を包むようにケヤキが…

 

こちらはよくわかった。

 

おいらせ→?

 

仮称、Yの木。

 

麓に下りる。

 

田園をおちらと村へ。

 

田んぼの向こうに京羅木山。


昨夜、テレビで青森の田んぼアートを見て、。田んぼの色違いに興味を持った。黄色っぽいのは稲穂。

 

おちらと村が見えてきた。

 

最初の分岐に戻る。左へ。

 

おちらと村に戻る。

 

水車が回る。

 

帰りに玉造温泉に立ち寄る。

 

以前も利用した、玉造温泉ゆ~ゆで風呂に入る。


宍道湖SAで、しじみ定食を食べて帰る。


京羅木山のコース。


旅のマップ。