2020年1月25日土曜日

京都まち歩き② (2020. 1.25)

昨年、京都の寺社を巡ったが、その第2弾。前回の旅から3日しかたっていないが、先々の天気がよくないので、雨の心配のない本日出かけることにした。今回の予定は、以下のとおり。何回か京都に行っているので、交通にもだいぶ慣れていている。これ以外に、早く済めば広隆寺と京都タワーも予定している。前回同様、駅構内の喫茶店でモーニングセットの朝食を済ませ、地下鉄バス1日乗車券を買って出発する。

新幹線で京都まで。近鉄京都線に乗り換えて1つ目の駅、東寺で下車。時刻は8:35。

駅から歩いて東寺の前に到着。

門をくぐる。

入ってすぐ金堂。
東寺:東寺は、唯一残る平安京の遺構です。創建からおよそ、1200年。
平成6年、1994年に世界遺産として登録されました。平安遷都とともに建立された東寺は官寺、つまり国立の寺院。その寺院を桓武天皇のあとに即位した嵯峨天皇は、唐で新しい仏教、密教を学んで帰国した弘法大師空海に託しました。ここに、日本ではじめての密教寺院が誕生します。東寺を託された弘法大師空海は、密教の主尊である大日如来を境内の中心にすえ、広大な寺域に曼荼羅を表現しようとしたのかもしれません。造営にあたって、弘法大師空海は、御影堂の場所に住房を構えました。御影堂では、いまも毎日、弘法大師空海がいらしたときと同じように、一の膳、二の膳、お茶をお出ししています。(東寺HPより)

右側に東寺の象徴である五重塔が見える。

御影堂。

講堂。

五重塔の近くに行くには、入場料を払って有料区域に入る。

五重塔まで遊歩道を歩く。

五重塔を近くから。

金堂区域を出て、共通券にある観智院にも寄る。

観智院の庭。今日は各所で庭を見ることになる。

東寺を出る。

近鉄でいったん京都駅まで戻り、JR奈良線で東福寺駅まで。

15分くらい歩いて南下し、東福寺三門前に到着。

三門をくぐる。

入ってすぐ、本堂(仏殿)。中には仏像が安置されているが、撮影は出来ない。ほとんどの寺院は室内の撮影を禁止している。
 東福寺:摂政九條道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。(東福寺HPより)

東福寺で見たかったものの一つ、通天橋。ここから有料。

 通天橋を行く。

季節がよければきれいだろう。

下に降りる。

通天橋を見上げる。

通天橋に戻り先に進む。

通天橋を出たところが開山堂。その庭園。

通天橋を戻り、もうひとつの見所、東福寺本坊庭園。

枯山水の庭。

石の部分。

苔の部分。

廊下の先から庭を見る。

通天橋が見える。

小市松の庭園。

東福寺を後にする。

次の目的地へのアクセスを考えて、今度は京阪電車の鳥羽街道駅から乗る。

京阪の七条駅で下車。

歩いて三十三間堂に到着。観光バスも多い。

拝観料を払って入る。 お堂の中には有名な、1000体の仏像、千体千手観音立像が並ぶ。中を一巡りするが、例によって撮影は出来ない。

 千体千手観音立像。(ネット画像
三十三間堂:正式名は、蓮華王院で、その本堂が「三十三間堂」と通称されます。これは、東面して、南北にのびるお堂内陣の柱間が33もあるという建築的な特徴によります。「三十三」という数は、観音菩薩の変化身三十三身にもとづく数を表しています。平安後期、約30年の間、院政を行った後白河上皇が、自身の職住兼備の「法住寺殿・ほうじゅうじどの」と呼ぶ院御所内に、当時、権勢を誇った平清盛の資財協力によって創建したものでした。 ところが、そのお堂は建長元年(1249)、市中からの火災により焼失し、鎌倉期・文永3年(1266)に再建されたのが現存のものです。朱塗りの外装で、堂内は、花や雲文様の極彩色で飾られたといい、今もわずかにその名残を停めています。地上16メートル、奥行き22メートル、南北120メートルの長大なお堂は、和様、入母屋造り本瓦葺きで、手前からはるか彼方へ一点透視的に漸減する眺めは、胸のすく壮快さです。(蓮華王院HPより)

お堂を出て、境内の遊歩道を歩く。

 横の入口。一般者は入れない。

お堂の端まで行ったところ。

京阪電車で三条まで。三条で地下鉄東西線に乗り換え、蹴上(けあげ)駅で下車。今回の旅で、もっとも見所の多いエリアである。

駅のすぐ横にあるねじりまんぽ。ねじりまんぽとはトンネルの意味。日本に30ほど現存する。
 三条通から南禅寺に抜ける歩行者用の小径にあるレンガ造りのトンネルが蹴上ねじりまんぽ。その上には琵琶湖疏水(びわこそすい)が通り、船を運んだ傾斜鉄道、インクラインがありました。「ねじりまんぽ」とはレンガの組み方で、大きな負荷に耐えられるよう、通常のレンガ組みと違ってねじらせた形で組み上げていくもの。(ニッポン旅マガジンより)

ねじりまんぽを通って南禅寺に向かう。

レンガが斜めに積んである。

ねじりまんぽの上には傾斜鉄道跡がある。

 南禅寺に到着。

三門。

三門をくぐる。

東福寺の三門と違い、ここの三門は有料だが階上に登れる。

三門の上に登る。

三門の南側。

京都市街が見える。昔、この舞台に立ち、石川五右衛門が「絶景かな。絶景かな」を言ったとか。

三門の北側。

法堂が見える。

三門から下を見下ろす。

下に降りて法堂に向かう。
南禅寺:今から710年あまり昔の正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創されました。亀山法皇は建長元年(1249年)、後嵯峨上皇の皇子として誕生され、10歳にして皇位に就かれました(第90代亀山天皇)。しかしご在位の頃より東アジアの情勢が緊迫し、上皇になられてからは蒙古来襲という国難に立ち向かわれました…(南禅寺HPより)

賽銭を入れて線香を焚く。

もうひとつの見所、方丈庭園に向かう。

庭園に行く前にある、水路閣と呼ばれる琵琶湖疏水の水道橋。

水道橋を見上げる。

水道橋のアーチの連なり。このアングルで写真を撮る人が多い。

寺院の雰囲気になじんでいる。

方丈庭園に入る。

小方丈庭園。

小堀遠州作と伝えられる。

六道庭。

回廊を行く。

龍吟庭。

いちめんの苔。

回廊を行く。

還源庭。

方丈庭園を出て、また水路閣の下を通り南禅院に向かう。南禅寺の始まりの場所とのこと。

静かなたたずまいの廊下。

苔の庭が広がる。

前の庭園。

奥に小さな滝。

庭園を巡る。

池の向こうに南禅院。

池の畔に広がる苔。

南禅院を出て、水路の上を見たくて上に登る。

今も水が流れている。

南禅寺を後にする。

琵琶湖疏水記念館に行く。琵琶湖疏水の歴史を見ることが出来る。

琵琶湖疏水マップ

記念館の前に動物園。

傾斜鉄道跡を歩く。

 船はここを下り、向こうの水路に入った。

緩やかな上り傾斜を歩く。

半ばまで登ったところ。

最初、真ん中の2本が軌道かと思っていたが、2車線の広い軌道だった。

先ほどくぐったねじりまんぽの上。

先端まで来た。

蹴上の船だまり。琵琶湖からの船がここに着いた。

蹴上駅から地下鉄で北大路まで。北大路バスターミナルからバスに乗り、北野天満宮で下車。

縁日だろうか、大賑わいだ。後で調べたら、毎月25日は「天神さんの日」だった。

一の鳥居。

人ごみをかき分け進む。

撫で牛。撫ぜると頭がよくなる。太宰府天満宮にもあった

楼門をくぐる。

白梅。

紅梅。

神楽殿。中でスタンバイしている。

 三光門をくぐる。

本殿。人が多くて近づけず、遠くから参拝。
北野天満宮:北野天満宮の創建は、平安時代中頃の天暦元年(947)に、西ノ京に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが当所に神殿を建て、菅原道真公をおまつりしたのが始まりとされます。その後、藤原氏により大規模な社殿の造営があり、永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念されました。この時から「北野天満天神」の神号が認められ、寛弘元年(1004)の一條天皇の行幸をはじめ、代々皇室のご崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきました。
江戸時代には、各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及し、その教室に天神さまがおまつりされたり、道真公のお姿を描いた「御神影」が掲げられて、学業成就や武芸上達が祈られてきました。このことがのちに「学問の神さま」、「芸能の神さま」として皆さまに広く知られるようになった所以です。
現在、全国各地には道真公をおまつりした神社が、およそ1万2000社あるとも言われ、その多くは当宮から御霊分けをした神社です。(北野天満宮HPより)

本殿の裏に回る。

絵馬掛け所。合格祈願の絵馬。

本殿前に戻るが、やはり長蛇の列。

飛び梅。

天満宮の側に展望所があった。

御土居というもの。
御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が,長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と,鴨川の氾濫から市街を守る堤防として,天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。(京都市情報館より)

 御土居には柵がしてあって降りれない。南側にようやく橋を見つけ渡る。

次に石庭で有名な龍安寺に行くのだが、嵐電の駅までの距離を考えると、歩いて行くのとさほど違わないので、北野天満宮から龍安寺まで歩くことにした。 およそ30分かかる。立命館大学の裏を歩く。

龍安寺山門に到着。

石庭に向かう。

 龍安寺方丈。石庭に入る。
龍安寺:臨済宗妙心寺派。1450年(宝徳2)細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受け、妙心寺の義天和尚を開山とし禅寺に改めた。石庭として有名な方丈庭園(史跡・特別名勝)は三方を築地塀に囲まれた枯山水の平庭で、「虎の児渡しの庭」とも呼ばれる。白砂に15個の石を配した名庭。方丈の東庭には龍安寺垣があり、その横に秀吉が賞賛したと伝わる侘助椿がある。(京都Naviより)

石庭を眺める廊下は人がいっぱい。

人が途切れた間に急いで。撮影

廊下に座りしばらく眺める。

見る人の感じ方で、いろんなものに見えるというが、やはり、海と島に見える。

廊下の先まで行き、反対側から。

庭のミニチュア。石は全部で15個ある。石庭については龍安寺HPに詳しく説明してある。

方丈を出て、回廊庭園を歩く。

鏡容池。

龍安寺を後にする。時刻は16時。広隆寺の参拝時間は16:30となっているので、やはり今日は無理だった。

嵐電北野線の竜安寺駅。

帷子ノ辻で嵐電嵐山本線に乗り換え、天神川から地下鉄で京都駅に向かう。京都タワー地下の風呂に入り、新幹線で帰る。

本日の移動経路。京都はまだまだ見たいところがある。あと何回か来るだろう。