2022年10月31日月曜日

仙ノ山~山吹城跡 (2022.10.31)

象山 (2022.10.30)より⇒

 

 2日目。今日は出雲銀山の仙ノ山に登り、もう一つのピーク、要害山の山吹城跡に登る。仙ノ山一帯は、かつての石見銀山、多くの間歩跡が残る。石見銀山は2年前、三瓶山登山の時に見学している。

石見銀山世界遺産センターに駐車。


 センターの横から登る。

 

右へ。

 

階段。

 

最初の休憩所。

 

仙ノ山展望台へ300m。

 

階段が続く。

 

展望台。

 

パネル写真があるが、実際の風景は木々に隠れて見えない。

 

ここから車道歩き。

 

右へショートカット。

 

林道を行く。

 

車道に復帰。右へ。

 

また、しばらく車道歩き。

 

右へ。

 

石銀(いしがね)集落跡。江戸時代、精錬所や住居があった。ブラタモリでも紹介された。

 

間歩番号1。銀山の坑道に通ずる出入り口。


集落跡の奥ヘ。


分岐。下山は右だが、左へ。仙ノ山山頂へ向かう。

 

石銀千畳敷に出る。

 

間歩番号3。

 

休憩所。車道はここまで来ている。

 

千畳敷から仙ノ山山頂へ。

 

竹林。

 

テープとマップを頼りに進む。

 

左へ。

 

荒れている。道が消えた。

 

引き返すと、右上に登る道があった。ロープもある。

 

竹林を抜けて笹原。

 

三角点に到着。

 

仙ノ山、標高537.7m。センターからの標高差は300mくらい。

 

下山。

 

千畳敷に戻る。

 

集落跡への分岐に戻る。左へ。

 

ため池。

 

井戸跡。かつての集落用だろう。

 

右へ。佐毘売山(さひめやま)神社まで950m。

 

下山。

 

急な下り。

 

巨木。

 

1つが分かれたのか、2つが一緒になったのか。

 

下りが続く。

 

間歩番号114。人は入れる大きさではない。

 

古い墓石。江戸時代のものか。

 

下に下りる。

 

佐毘売山神社。

 

佐毘売山から右へ。

 

遺跡発掘中。

 

この道は前回歩いている。

 

龍源寺間歩。前回見学しているので、今日は外から。

 

龍源寺間歩から引き返し、ここから要害山へ登る。山頂まで940m。


こちらも階段。

 

登り。

 

マップでは避難小屋になっているが、東屋。

 

しばらく緩やか。

 

階段。

 

登り。

 

木橋を渡る。

 

登り。

 

展望所。

 

日本海が見える。

 

再び登り。


平たい場所に出る。


右から矢筈城跡、展望台があるのが矢滝城跡。


また登り。


ようやく緩やか。


右、矢滝城跡。左は、今回の山旅の候補にもなった大江高山。


山頂下。


要害山に到着。標高414m。


仙ノ山と石銀集落。


三瓶山。

 

日本海、日御碕方面。

 

見渡す。

山吹城址。

石見銀山は、1527年に発見されてから17世紀初頭まで、戦国大名に支配されていました。銀山は、武家間の同盟や対立が絶え間なく移り変わるこの時代に、何度もその持ち主が変わりました。これらの戦いの中心となったのが、標高414メートルの要害山の山頂全域を使って設けられていた山吹城です。大内氏が1530年代初頭に築いたこの城は、既存の要塞を転用して、狭い頂上を平らにして造られました。畝状竪堀とよばれる防御施設や、堀切に守られた縦長の主郭には集落側のみに誇示するかのような石垣が残り、攻撃を防ぐことを意図して作られたようです。(石見銀山世界遺産センターより)


日本海側、いちばん高い山は高山。

 

広い山頂。

 

下山。

 

下りも階段。

 

かなり急。

 

ずっと急階段。


右へ。

 

ようやく緩やかになる。

 

東屋。

 

下り。

 

木橋を渡る。


車道に出て、大森の町並みへ向かう。


途中、清水谷精錬所跡に寄り道。向こうに仙ノ山。

 

清水谷精錬所は明治時代のもの。


大森へ向かう途中、紅葉半ば。


大森小学校、明治5年開校。


現在の生徒数14人。写真撮影は可能だが、配慮するようにとの案内あり。


石見銀山公園に戻る。前回、ここに駐車して散策した。

 

公園の向こうに山吹城跡。

 

大森の町並み。代官所跡はこの先だが、今日はセンターまで歩いて戻るので、ここで引き返す。

 

五百羅漢の前をセンターに向かう。


右に、歩行者専用のショートカット。


左へ。


最後に、予期せぬ登り。


石見銀山世界遺産センターに戻る。浜田道の大朝ICから高速で帰る。


仙ノ山~山吹城跡のコース。


旅のマップ。