2018年2月1日木曜日

徳山 (2018. 2. 1)

先月(2018年1月)に続き、山口県の街歩き。今日は徳山。実は、自分は、徳山の隣の櫛ヶ浜という町で中学生まで過ごした。しかし、今回は思い出をたどるセンチメンタル・ジャーニーではなく、山口県の街の一つとして、当分訪れていない街がどのように変わっているかを見る旅。もう一つの目的は、岩国と徳山を結ぶ単線JR岩徳線に乗ること。
コースとしては、遠石八幡宮まで行き、そこから緑地公園を北上し徳山動物園を見て、徳山駅に戻る、市内東部を歩くコース。マップで見る限りかなりの距離になると思う。そして、恒例の風呂は、徳山駅近くでは「文化湯」があるが、いわゆる銭湯なので入浴は15:00から。時間が空きすぎるので、ネットで調べて、熊毛の「呼鶴温泉」を選んだ。JR岩徳線高水駅から近く、次の電車までの約2時間の間に、ゆっくり入ることができる。
朝方の雨が心配されたので、いつもの超早出よりやや遅めの出発。行きは新幹線を使う。構内のコーヒーショップ「ドトール」でパンとコーヒーの朝食を済ませ、7:35の博多行こだまに乗車。(「ドトール」には喫煙席が10席くらいあり、喫煙が困難な昨今、貴重な場所)

約30分で、8時過ぎに徳山駅に到着。ただいま工事中。

北口(みゆき口)に出る。

商店街を東方向に歩き始める。

歩道に並ぶ、球形の石。ストーンミュージアム。世界の石が展示されている。徳山湾沖に浮かぶ、黒髪島にちなんだものか。
黒髪島:「徳山みかげ」と呼ばれる御影石の採石で知られ、明治の当初から採石事業が行われ、1917年の国会議事堂の建設に当たっては、議事堂の腰部、中庭の外装、空堀の周辺などに使用されている。この事業は、黒髪石材が一手に行っている。島自体は、国有地である。(ウィキペディアより)
採石は、現在も行われており、㈱黒髪石材が担っている。黒髪島に行く船は、会社の船のみで、一般は許可なく入島できないらしい。

自分の記憶にある街並みとは、道路も建物もすっかり様変わりしている。歩道橋の上から、徳山方面を移す。ゆめタウン徳山も最近できたようだ。

遠石八幡宮に到着。子供のころ、神社の祭りが楽しみだった。小遣い50円でも、屋台の店でいろいろ買えた。

神社に向かい、階段を登る。

この踊り場みたいなところ、太平洋戦争の負傷兵が白装束をきて、アコーディオンを弾きながら、募金をしていたのを思い出す。子供心にも、戦争の痛ましさを感じた。

神社入り口の広場。祭りの屋台はここに出ていた。当時は、店がたくさんあったと記憶しているが、意外とせまい。

遠石八幡宮本殿。5円投げて拝む。賽銭に使うお金の起源は貝で、賽銭は穢れを吸着する作用があるらしい。それも、穴の開いたものがいい。というわけで5円玉にしたしだい。

鳥居の間、海側に重化学コンビナートが見える。

コンビナートの前を新幹線が走る。

八幡宮から下りて、さらに東に行く。先の交差点を右に行くと、生まれ故郷の櫛ヶ浜。少し先に進んでみる。

コンビナートの白煙がよく見える。その昔、この白煙と煙突の先から出るオレンジの炎をみて育った。当時は、徳山湾の汚染は第三の水俣秒かと言われるほど、世間を騒がせた。父親がソーダ会社に勤めていたこともあって、無関心ではいられなかった。現在、汚染物質はどこかに埋蔵されているとのこと。

遠くに、小学校の遠足でも登った太華山。標高362m。

この先を下っていくと櫛ヶ浜だが、今日のウォーキングの目的ではないので、子供時代へのタイムスリップはここまで。昔は、もっと見通しが良く海が見えた気がするが、その分緑が増えたのか。
ここまで、過去の記憶と対照しながら歩いたが、全体的にこんなに狭かったか、近かったかという印象。風景を見る尺度が、子供のころに比べて大きくなった分、狭く感じるのだろう。子供のころは、徳山の街に出るだけでも、都会に行く決意をもって出かけたものだが…
生まれた場所でずっと生きていく生き方もある。自分は、町の規模だけ比較すると、櫛ヶ浜<徳山<広島<東京、と街を見るスケールがだんだん大きくなっていった。

さて、北上し緑地公園に向かう。緑地公園はマップで見ると、東と西があり、その間に野球場がある。今回は野球場を経て、西緑地公園を通る。

周南市野球場

別名、「津田恒美メモリアルスタジアム」
広島東洋カープの投手として活躍した津田恒実が合併前の新南陽市出身であり、2012年に野球殿堂顕彰競技者となったことから、周南市では津田の功績を讃え、周南市野球場について、津田に因んだ愛称を新たに付与する。(ウィキペディアより)
津田恒美は、脳腫瘍のため1993年に亡くなった。享年32歳。

公園としての遊具もある。

西緑地公園に向かう。この辺はスマホのマップが頼り。

公園らしい雰囲気に到着。

ここが入口。

市街地・工場地帯に近いが、ちょっとした山の中。

脇道を上がると、いろいろコースがあるが、今日はざっと見で終わる。スマホの標高計測アプリでは約70m。

散策する人にも出会う。

下まで降りると、大伴家持。

埴輪もある。

万葉集に登場する植物を植えた庭園らしい。

ここが、西公園の出口(入口)になる。

ここからさらに北上し、動物園まで歩く。車道まで坂を下る。

ああ、ここに出るのか。同じく子供のころ、櫛ヶ浜から徳山に行く時のバスが通っていた車道。当時はここが国道2号線だったと思う。現在はもっと北側が国道2号線。

動物園は国道2号線の少し北側になる。

徳山動物園に到着。ここも、何歳の頃か分からないが来たことがある。おそらく小学生のころ。

入園料大人600円。

入ってすぐのダチョウ園。記憶がある。動物園はもっと広いと思っていた。

ミーアキャット。激しく動き回っている。お決まりの直立ポーズをとるまでしばらく待機。

寒いのか、身を寄せ合う像たち。

やたらうるさいインコ。

キミは「猿の惑星」シーザーか。壁をたたき続けるチンパンジー。

ライオンが見つめる先は、アフリカのサバンナか。

猿山のサルたち。

1、2、3、4… 11匹までは数えた。

とうとうクジャクは羽を拡げなかった。

その他、写真はうまく取れなかったが
◎孤独を愛するツキノワグマ(単独行動が習性のため、2匹を同じ檻で飼育すると1匹おかしくなった)
◎齢30(人間では80才に相当)、高齢のためほとんど動かないマレーグマ
◎寝たままの、トラ・タヌキ
◎寒いのに外に出ていた、中部アフリカ産のフラッザグェノン(類人猿)
◎一人ぼっちのカピバラ
などなど。
動物園はリニューアル工事中で、全体の色彩もくすんでおり、今風の展示方法に嗜好を凝らした他動物園と比べると、矮小感は否めない。

おそらく、もう来ることなないだろう。

動物園を出て南に下り、国道2号線を超えると、周南美術館がある。おしゃれな建物…

だが、特に見たいものがないので、パス。

運賃100円のちょい乗りバスが15分おきに運航しているので、徳山駅まで乗ろうかと思ったが、出たばかりなので、がんばって歩くことにする。

ここまでかなりの距離を歩いたはずだが、今日は調子がいいのか、さほど疲れてない。

道の先に徳山駅が見えてきた。

来たときは朝早いので、商店街は閉まっていたが、昼近くなったのでもう開いているだろう。商店街を歩いてみる。「銀南街」、耳に残っている響きの名前だ。

その裏の路地に確か、模型の店があったはず。模型付きの自分は、部品などよく買いに来ていた。
目当ての模型店はない。無理もない、もう50数年前のこと。店の多くは閉まっており、先日の防府と同じく、駅前商店の空洞化・郊外店の拡充のパターンか?

こんなポスターを見つけた。時代は変わったものだ。かつては、環境汚染の象徴だった工場群が夜景観賞のスポットになっている。

さらに見覚えのある建物。

確かこれは…
「近鉄松下」。名前が消えずに残っている。かつて徳山近辺での唯一のデパートで、親に連れられて初めてレストランに行。ナイフとフォークの使い方が分からず緊張したのを覚えている。
現在の百貨店の衰退を象徴した風景だ。周南市の施設に改造される予定。

駅前が工事中だったが、徳山駅前賑わい交流施設及び徳山駅前図書館が2月3日にオープンの予定。駅前商業地区の空洞化に歯止めをかける施策か。

市立図書館の他に、定番の蔦屋書店とコーヒーのスタバが入る。

今日はコンビニ弁当ではなく、駅の連絡橋の店で昼食にする。

うどん定食520円。汁は、しょうゆを使わず、ダシのみの超薄味。確か、子供のころ食べていたうどんもこんな味だった。

さて、待望の呼鶴温泉。JR岩徳線岩国行が 13:44分発。時間がかなりあるので、徳山駅の南口に出てみる。

徳山港は歩いてすぐ。

人間魚雷「回天」で有名な大津島行、大分・国東半島の竹田津行が運航している。

時間になり、岩徳線岩国行に乗車。車両は1台、ワンマンカー。

徳山の次が櫛ヶ浜。山陽本線と岩徳線は実際には、ここで分岐している。駅前はさびれているが、駅舎は50数年前とほとんど変わっていない。

高水駅で下車。

高水駅。もちろん無人駅。ここから、呼鶴温泉は南へ徒歩15分。

呼鶴温泉は、太平洋戦争が終わった昭和20年代、個人が開設されたのが始まり。

周囲は田畑。

呼鶴温泉。温泉付きデイケアセンターが隣接する。

入浴料600円。ただし、履物と脱衣をそれぞれ鍵付ロッカーに入れて、各100円は返却されなかったので計800円。返却されないロッカー代も珍しいが、個人経営と思い納得した。

時間があるので、自分にしては長湯。すっかり暖まり、帰路に着く。
(着いた時に歩道橋の上から撮ったもの。帰路の列車は2両編成だった)

高水から岩徳線で岩国まで、岩国で山陽本線に接続。自宅に着いたのは、夕方6時前だった。
岩徳線は、通学の高校生が多く、乗車率はかなり高かった。三江線のように、廃線の運命をたどることはないだろう。

今回はよく歩いた。スマホの歩行計アプリの計測では、歩行時間4:30、歩数25000歩、歩行距離18.5km、記録を取り始めてからの最高記録になった。(数値はアプリによって異なるのでおおよその目安である)
生まれ故郷の徳山は、重化学工業地帯の印象しかもっていなかったが、環境汚染への反省を踏まえてか、緑の整えられた街になっているのが、自分で歩いてみて分かった。

徳山地区


高水地区


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