2019年5月14日火曜日

大原三千院・清水寺 (2019. 5.14)

天候の関係で延び延びになっていた、京都+高取城行きをようやく実行することができた。当初は高取城に登るのが目的であったが、日帰りはせわしないので1泊することにして、1日目を京都にし、2日目の早朝から高取城に登る方針で計画を立てた。京都は、市街地から遠い大原から始め、清水寺・伏見稲荷・宇治平等院と南下するコース。2日目は、奈良県の高取城から壺阪寺に下り、午後は飛鳥を巡る、盛り沢山のコースになった。なお、高取城はNHKの『あなたも絶対行きたくなる!日本「最強の城」スペシャル』で知った。

新幹線で京都まで、JR京都から地下鉄烏丸線の終点、8:23、国際開館駅で下車。

ここから大原行きのバスに乗る。京都産業大学行きのバスの始点でもあり、大勢の学生がバスを待っている。

約30分で大原バス停に到着。

三千院まで坂道を歩く。

京都市街から遠く、山に囲まれた静かなところである。

歩き始めてすぐ、和紙の店もとしろの側に、永六輔作詞、いずみたく作曲、デューク・エイセスが歌ったご当地ソング「女ひとり」の歌碑が立っている。
「京都 大原 三千院
恋につかれた 女がひとり
結城に塩瀬の 素描の帯が
池の水面に ゆれていた
京都 大原 三千院
恋につかれた 女がひとり」

緑に囲まれた坂道を登る。道沿いにはお土産屋が並ぶ。漬物屋が多い。

三千院の下に到着。

三千院入口に向かう。お土産屋や食堂が並ぶ。

三千院に到着。
三千院:延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄が比叡山東塔南谷(とうとうみなみだに)の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まる。その後、慈覚大師円仁に引き継がれ、平安後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡となった。寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そして洛中を幾度か移転し、その都度、寺名も円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と変わることとなる。明治4年、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇御宸筆の勅額により、三千院と称されるようになる。明治維新後、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史をつないでいる。(三千院公式HPより)

 三千院境内図。

 拝観料を払い、客殿に入る。出口が別なので、靴はビニール袋に入れてもって歩く。

客殿の廊下から、庭園を眺める。庭園は、聚碧園と有清園があるが、これはおそらく聚碧園。

 出口の宸殿を出る。

次に向かう。

往生極楽院。

階段を上がって…

金色不動堂。

また階段を上がって…

観音堂。

観音堂から下ったところに、おさな六地蔵。

修学旅行の学生たち。向こうに見えるのは、たぶん往生極楽堂。

境内図を頭に入れていなかったので、何処を歩いたか定かでないが、庭園についての説明板が立っているので、また戻ってきたのだろう。

このあたりが有清園になるのか。

弁天池と奥に細波の滝?

西方門を出る。

三千院を後にする。

畑で作業中の人たち。大原は日本一の紫蘇の産地。しば漬や梅干の材料になる。

大原からバスで、京阪出町柳駅まで。出町柳から電車で清水五条まで。

駅を出て清水寺に向かう。清水寺まではかなりの距離がある。

五条坂入口。

「清水ちかみち」 とあるのでこちらを行く。

前をあるく着物姿のおねえさんたち。着物はレンタルだが、着ているのは、ここでも多くは中国人。

近道は門の横に出る。

こちらは正面の参道。ものすごい人。

仁王門
清水寺:北法相宗の本山。西国観音霊場三十三カ所第16番札所。778年(宝亀9)延鎮上人が開山、798年(延暦17)坂上田村麻呂の創建と伝える。音羽山中腹に30近い堂塔伽藍が並ぶ。現在の主な堂塔は、1633年(寛永10)徳川家光の再建。‘清水の舞台’で知られる本堂(国宝)は寄せ棟造り、檜皮葺、寝殿造り風の優美な建築で、十一面千手観音立像を安置。舞台の下方に音羽の滝、谷を隔てて安産祈願の子安の塔(重文)がある(京都観光Naviより)
境内図はここ

仁王門の前から参道を見る。おそらく6~7割は中国人観光客。2~3割が修学旅行生。GW後の平日にもかかわらず大賑わい。

仁王門をくぐり、西門。

鐘楼。

西門と鐘楼の間を登る。

右手に三重塔。

 ここで拝観料を払う。

轟門をくぐり。

回廊を歩き。

本堂に入る。2017年2月より工事中。

ここも人がたくさん。

いわゆる清水の舞台から東方面。

京都市街方面。

舞台を支える柱群。

本堂を出る。

阿弥陀堂。

阿弥陀如来にお参り。

阿弥陀堂の奥に、奥の院。

奥の院の舞台から。本堂はご覧のとおり。

京都市街。

坂を下りる。

坂の途中に脇道がある。眺望がいいらしいので登る。

子安堂。

本堂他を見渡せるビューポイント。

坂を下りて本堂下に戻る。

音羽の瀧。
 清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となった瀧です。こんこんと流れ出る清水は古来「金色水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願します。(清水寺公式HPより)

修学旅行生が多く、並んで待つので、六根清浄・所願成就は、今日は見送る。

清水の舞台を見上げる。

瀧の近くに、「阿弖流爲・母礼の碑」(アテルイ・モレ)。今回、京都の数あるお寺の中で清水寺を選んだのは、この碑を訪れるため。アテルイは平安時代、蝦夷の勇者。NHKドラマ「火怨・北の英雄」で知った。
阿弖流爲:陸奥国胆沢(現在の岩手県奥州市)へと侵出した紀古佐美率いる朝廷軍を巣伏の戦いで撃退したが、続く大伴弟麻呂、そして坂上田村麻呂率いる朝廷軍にたて続けて敗北。のち自ら降伏し、田村麻呂も助命を嘆願するが、京の公卿達の反対により河内国で処刑された。(ウィキペディアより)

碑の裏には「みちのく桜」。

本堂下の茶屋で昼食のきつめうどんを食べる。

出口に向かう。

三重塔を下から。最近は、緑のもみじを「青もみじ」として観光資源にしているところもあるが、確かに、紅葉だけでなく、「青もみじ」もいい。

清水寺を後にする。人が多いが、帰りは正面の参道を通る。

色とりどりの扇子を売る店。

参年坂に下る側道があるが、人ごみに疲れて今日はパス。


弁慶と牛若丸が出会った場所とされる互譲大橋まで戻り、京阪電車に乗り、次の目的地伏見稲荷に向かう。



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