2019年5月15日水曜日

高取城 (2019. 5.15)



ホテルの地下1階が温泉・大浴場になっていて、入湯税が宿泊費に含まれている。朝5:30より入れるので、朝風呂に入る。

風呂から上がってホテル5階の部屋から。橿原神宮前駅は、近鉄京都線と吉野線の連結駅。右が京都、左が吉野、前方右が大阪線。先日、吉野に花見に行ったときもこの駅を利用した。

ホテルを出る。

 橿原神宮前駅はいつも夜下りたので、駅舎はよく見えなかった。これは西口。

東口は神社の雰囲気が漂う。

吉野行きの電車に乗り、壷阪山駅で下車。時刻は6:50。当初は、壷阪山駅からバスに乗り、終点から山に登るつもりでいたが、パンフレットやWEBの方では、駅から歩くコースのほうが味わい深いとの見解が主流で、自分も駅から歩くことにした。

このマップをプリントして携帯。

駅から旧街道に入る。土佐街道というらしい。

観光センターの夢創館。朝早いので閉まっている。

かつて城下町だったのでいにしえの風情のある建物が多い。これは城代家老の役宅であった、植村家長屋門。

町並みが終わると、城までの登城路となる。 「日本最強の城」がキャッチコピー。高取城は日本三大山城の一つである。他に美濃岩村城、備中松山城。後者は昨年訪れた。

周囲に山が広がる。

緩やかな坂を登る。

マップにも載っている水車。

始めの確認地点、砂防公園に到着。

ここから本格的な山歩きが始まる。

 コケ愛好家が喜びそうな苔蒸した石垣。

 途中、宗泉寺に寄る道に入る。


すぐに宗泉寺が見えてきた。

宗泉寺。高取藩城主植村家の菩提寺。

元の道に戻る。舗装路は途切れて山道になる。

勾配も急になる。

高取城址の碑石。

曲がりくねった登り坂、七曲り。

椅子があるので一服する。

坂は続く。さすが日本最強の城、登ること自体が大変で攻める気力もうせるだろう。

案内板があるので現在地を確認。この道は大手道という。やはりバスに乗らず、歩きのコースを選んでよかった。このみちが登場のメインルートになる。

一升坂。築城の際、男たちに米一升を御褒美に与え、士気を高めた。

手ぶらでも大変なのに、資材を担いでの登攀はきついだろう。

猿石に到着。通過ポイントの一つにしていた。

本丸まで760m。山頂近くになっての何百mは、平坦地の同距離に比べて時間がかかるのを、これまでの経験から感じている。

明日香村に続く道。こちらからも築城の資材は運ばれたのだろう。

各地点にある「目標位置」。設置が消防署なので、緊急時に位置を教えるためだろう。

二の門跡を通過。

気のせいか、坂の傾斜が少し緩やかになった気がする。

国見櫓の案内がある。WEBでも絶景ポイントとして紹介されていた。

国見櫓に向かう。

櫓跡の高台からの眺望。大和三山や、遠くに堺、神戸も臨める。

大和三山の耳成山(左)と天香具山(右)。

国見櫓から大手道に戻る。矢場門跡。

松ノ門跡。

本丸まで360m。

ようやく日本最強の城を攻略?

宇陀門跡。

千早門跡。やたら門跡が多いが、後で再現CGを見たら、門の多さも頷ける。

やっと本丸近くに着いたか。

苔むした石垣が時を感じさせる。

十三間多門跡。まだ門があった。

写真に写るシニア2人は先ほど会話した人たち。しきりに道順を議論していた。自分と同じマップを持っていた。

十五間多門跡。

新櫓跡。

ようやく本丸の石垣か。

感慨深く見上げる。

本丸への矢印。

本丸に到着。時刻は9:20。約2時間半の城攻め?だった。
高取城:高取山(583.9m)山頂に築かれた典型的な山城。南北朝以来、越智・本多・植村氏の居城として使われてきた。元弘2年(1332年)、南朝方に属した高取の豪族、越智八郎が築城。越智氏の時代(1533年)までは、深谷峻崖の天険を利し、橋梁を設け本棚を廻らしたカキ上げ城で本城は貝吹山城であった。その後、郡山城主となった豊臣秀長の命を受け、天正13年(1583年)に本多氏が入城、時の軍学者、諸木大膳技師長となり、石塁を築き土塀を廻らし、本丸に大小の天守閣を起こし、多門を連ね、幾多の櫓楼を配して、山城に平城の築城技術の長所を採用し、要害堅固と美観の完成で面目を一新。近世的城郭として整備された。本多氏が絶えた後、譜代の大名の植村家政が寛永17年(1640年)に入城。明治2年(1869年)の版籍奉還まで、14代に渡り居城した。版籍奉還により明治政府の管轄になり、明治6年(1873年)に廃城となった。(高取町観光ガイドより

本丸跡の高台広場。

端に一段高くなった石垣がある。

その上から見渡す。

足元を覗き込む。

石垣下の広場を見下ろす。

本丸の外周に沿って歩く。若者に一人出会う。登れるところまでタクシーで来たとのこと。でも、やはり歩きで大手道を登ったほうが達成感がある。

外周の上から吉野方面を見渡す。

コンビニで買ってきた塩むすびを食べる。こういうところで食べると、格別の味だ。

一時本丸跡ですごした後、下山する。

早く本丸に到着したい気持ちが強くて、途中の位置をゆっくり確認しなかったが、この城郭図を見れば、次から次に現れる門跡も理解しやすかっただろう。


こちらは、奈良産業大学チームが作成した高取城CG画像。さすが日本最強の城。

下山は五百羅漢を経て壷阪寺に至るコース。右が登ってきた大手道。下山はまっすぐ行く。

壷阪口中門跡。

いきなり急な階段。

若い男女が登ってきた。彼らは何処から登り始めたのだろうか。

大手道に比べて登城道のものものしさは感じられない。

 ひたすら山道を下る。

ところどころ分岐があり、分かりにくいところもあるので、注意して案内を確認する。この道は「大淀古道」と呼ぶらしい。

 ロープに捕まり下りる。このルートで、登るのは大変だろう。大手道がお勧めコースだったのがよく分かる。ただ壷坂寺からのルートは途中まで来るまで登れるので、一利はあるだろう。

五百羅漢に到着。

それぞれかお顔が異なる。

五百羅漢を後にする。

ここで車道と合流。

壷坂寺が見えてきた。

壷坂寺は巨大仏像で有名な寺。

ハイキングの女子グループとすれ違う。ここから高取城に上るのだろうか。上り下りの間、都合10人前後の人に出会った。

山の間から高取の町が見える。

壷坂寺新参道を下る。

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