ホテルの地下1階が温泉・大浴場になっていて、入湯税が宿泊費に含まれている。朝5:30より入れるので、朝風呂に入る。
風呂から上がってホテル5階の部屋から。橿原神宮前駅は、近鉄京都線と吉野線の連結駅。右が京都、左が吉野、前方右が大阪線。先日、吉野に花見に行ったときもこの駅を利用した。
ホテルを出る。
橿原神宮前駅はいつも夜下りたので、駅舎はよく見えなかった。これは西口。
東口は神社の雰囲気が漂う。
吉野行きの電車に乗り、壷阪山駅で下車。時刻は6:50。当初は、壷阪山駅からバスに乗り、終点から山に登るつもりでいたが、パンフレットやWEBの方では、駅から歩くコースのほうが味わい深いとの見解が主流で、自分も駅から歩くことにした。
このマップをプリントして携帯。
駅から旧街道に入る。土佐街道というらしい。
観光センターの夢創館。朝早いので閉まっている。
かつて城下町だったのでいにしえの風情のある建物が多い。これは城代家老の役宅であった、植村家長屋門。
町並みが終わると、城までの登城路となる。 「日本最強の城」がキャッチコピー。高取城は日本三大山城の一つである。他に美濃岩村城、備中松山城。後者は昨年訪れた。
周囲に山が広がる。
緩やかな坂を登る。
マップにも載っている水車。
始めの確認地点、砂防公園に到着。
ここから本格的な山歩きが始まる。
コケ愛好家が喜びそうな苔蒸した石垣。
途中、宗泉寺に寄る道に入る。
すぐに宗泉寺が見えてきた。
宗泉寺。高取藩城主植村家の菩提寺。
元の道に戻る。舗装路は途切れて山道になる。
勾配も急になる。
高取城址の碑石。
曲がりくねった登り坂、七曲り。
椅子があるので一服する。
坂は続く。さすが日本最強の城、登ること自体が大変で攻める気力もうせるだろう。
案内板があるので現在地を確認。この道は大手道という。やはりバスに乗らず、歩きのコースを選んでよかった。このみちが登場のメインルートになる。
一升坂。築城の際、男たちに米一升を御褒美に与え、士気を高めた。
手ぶらでも大変なのに、資材を担いでの登攀はきついだろう。
猿石に到着。通過ポイントの一つにしていた。
本丸まで760m。山頂近くになっての何百mは、平坦地の同距離に比べて時間がかかるのを、これまでの経験から感じている。
明日香村に続く道。こちらからも築城の資材は運ばれたのだろう。
各地点にある「目標位置」。設置が消防署なので、緊急時に位置を教えるためだろう。
二の門跡を通過。
気のせいか、坂の傾斜が少し緩やかになった気がする。
国見櫓の案内がある。WEBでも絶景ポイントとして紹介されていた。
国見櫓に向かう。
櫓跡の高台からの眺望。大和三山や、遠くに堺、神戸も臨める。
大和三山の耳成山(左)と天香具山(右)。
国見櫓から大手道に戻る。矢場門跡。
松ノ門跡。
本丸まで360m。
ようやく日本最強の城を攻略?
宇陀門跡。
千早門跡。やたら門跡が多いが、後で再現CGを見たら、門の多さも頷ける。
やっと本丸近くに着いたか。
苔むした石垣が時を感じさせる。
十三間多門跡。まだ門があった。
写真に写るシニア2人は先ほど会話した人たち。しきりに道順を議論していた。自分と同じマップを持っていた。
十五間多門跡。
新櫓跡。
ようやく本丸の石垣か。
感慨深く見上げる。
本丸への矢印。
本丸に到着。時刻は9:20。約2時間半の城攻め?だった。
高取城:高取山(583.9m)山頂に築かれた典型的な山城。南北朝以来、越智・本多・植村氏の居城として使われてきた。元弘2年(1332年)、南朝方に属した高取の豪族、越智八郎が築城。越智氏の時代(1533年)までは、深谷峻崖の天険を利し、橋梁を設け本棚を廻らしたカキ上げ城で本城は貝吹山城であった。その後、郡山城主となった豊臣秀長の命を受け、天正13年(1583年)に本多氏が入城、時の軍学者、諸木大膳技師長となり、石塁を築き土塀を廻らし、本丸に大小の天守閣を起こし、多門を連ね、幾多の櫓楼を配して、山城に平城の築城技術の長所を採用し、要害堅固と美観の完成で面目を一新。近世的城郭として整備された。本多氏が絶えた後、譜代の大名の植村家政が寛永17年(1640年)に入城。明治2年(1869年)の版籍奉還まで、14代に渡り居城した。版籍奉還により明治政府の管轄になり、明治6年(1873年)に廃城となった。(高取町観光ガイドより)
本丸跡の高台広場。
端に一段高くなった石垣がある。
その上から見渡す。
足元を覗き込む。
石垣下の広場を見下ろす。
本丸の外周に沿って歩く。若者に一人出会う。登れるところまでタクシーで来たとのこと。でも、やはり歩きで大手道を登ったほうが達成感がある。
外周の上から吉野方面を見渡す。
コンビニで買ってきた塩むすびを食べる。こういうところで食べると、格別の味だ。
一時本丸跡ですごした後、下山する。
早く本丸に到着したい気持ちが強くて、途中の位置をゆっくり確認しなかったが、この城郭図を見れば、次から次に現れる門跡も理解しやすかっただろう。
こちらは、奈良産業大学チームが作成した高取城CG画像。さすが日本最強の城。
下山は五百羅漢を経て壷阪寺に至るコース。右が登ってきた大手道。下山はまっすぐ行く。
壷阪口中門跡。
いきなり急な階段。
若い男女が登ってきた。彼らは何処から登り始めたのだろうか。
大手道に比べて登城道のものものしさは感じられない。
ひたすら山道を下る。
ところどころ分岐があり、分かりにくいところもあるので、注意して案内を確認する。この道は「大淀古道」と呼ぶらしい。
ロープに捕まり下りる。このルートで、登るのは大変だろう。大手道がお勧めコースだったのがよく分かる。ただ壷坂寺からのルートは途中まで来るまで登れるので、一利はあるだろう。
五百羅漢に到着。
それぞれかお顔が異なる。
五百羅漢を後にする。
ここで車道と合流。
壷坂寺が見えてきた。
壷坂寺は巨大仏像で有名な寺。
ハイキングの女子グループとすれ違う。ここから高取城に上るのだろうか。上り下りの間、都合10人前後の人に出会った。
山の間から高取の町が見える。
壷坂寺新参道を下る。
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