2019年5月15日水曜日

壺坂寺・飛鳥 (2019. 5.15)


壷坂寺に到着。時刻は11時前。壷坂寺から壷阪山駅まで、さすがに歩くのはしんどいのでバスを利用することにする。次のバスは12:00。小1時間で参拝する。
壷坂寺: 南に桜の名所吉野山を控え北に万葉のふるさと大和三山奈良盆地を一望におさめる壷阪の山に建つ。大宝三年(703)に元興寺の僧弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壷を坂の上の庵におさめ、感得した観音様のお姿を模刻してまつったのが始まりという。礼堂に続く本堂八角円堂におわすご本尊は、十一面千手観世大菩薩。胸の前に手を合わせ法力を携えたお姿で衆生救済への力強い意地を感じさせる。殊に眼病に霊験あらたかな観音様、目の観音さまとして、広く信仰を集めてきました。(壷坂寺公式HPより)

拝観料を払い入る。 壷坂寺の鳥瞰図。高取城がメインなのでほとんど調べてこなかったが、かなり広い。(壷坂寺公式HPより)

④養護盲老人ホーム「慈母園」

 ⑥仁王門

⑦多宝塔

⑤ 天竺渡来 大釈迦如来石像

⑰階段を登る。

 ⑬三重塔

⑩禮堂

⑭天竺渡来佛伝図レリーフ「釈迦一代記」

⑪八角円堂

中に入って参拝。撮影は禁止されていないので、遠慮しながら御本尊を撮影した。奥に見えるのが本尊十一面千手観世音菩薩。

巨大仏像があるエリアに向かう。

道路を挟んで反対側にある。

①天竺渡来大観音石像。高さ20m。全重量1200t。
昭和58年3月 開眼
天竺渡来大観音石像は、インドハンセン病救済事業のご縁でインドからご招来したものである。 インド国民の協力と南インドカルカラの三億年前の古石がインド政府や様々な方のご支援で、提供され、延べ7万人のインドの石工が参加してすべて手造りで製作された。 20mの巨岩は動かすことも、運ぶことも不可能なので66個に分割して彫刻し、日本に運ばれ組み立てられた。 この巨岩を支える土台は深く基礎岩盤にまで掘り下げられ、数万巻の写経と土台石が埋納されている。 また、胎内には数万巻の写経と胎内石が納められ、66個の石が1本の巨石となっている。 この大観音石像はインドの文化勲章受章者シェノイ氏及びその一門によって製作されたもので昭和58年3月12日開眼法要が営まれた。 (壷坂寺公式HPより)

石像を見上げる。

眼下を見下ろす。遠くに寝仏が見える。

中段の広場に印を結ぶ手の彫刻。

②天竺渡来大涅槃石像。失礼して足元から。

観音石像と涅槃石像のツーショット。

あの山の向こうが高取城。よく登ったものだ。

入口に戻る。

三重塔とその向こうに観音像。急ぎ足で回ったが、お寺の風情よりも、石像をメインに
した仏様のテーマパークのようなところだった。

12:00のバスに乗り壷坂山駅に向かう。

壷坂山から飛鳥までは電車で1駅。12時半に飛鳥駅に到着する。

駅前の明日香レンタサイクルで電動アシストを借りる。WEBのクーポン券をスマホで見せると¥200円安くなる。それでも¥1300と、他の場所に比べて割高だ。

今日借りた自転車。

幹線には歩行者用と自転車用の道路が設置されていて走りやすい。観光地が点在する飛鳥では、自転車で回るのがいちばん。自分以外にも、自転車で走る人にたくさん出会った。

自転車で効率よく回るためにgoogleでマイマップを作成してきた。当初はキトラ古墳は離れているので番外にしていた。とりあえず、「太子の湯」で風呂に入るまで。

 ②天武・持統天皇陵に上る。

例によって表だけ。

今回飛鳥で一番寄りたかったのは、甘樫丘。曽我氏の館があった丘でもあるが、それよりも丘から大和三山を見たいと思った。甘樫丘に登るにはいくつかのルートがある。

自分は一番北の登り口から上る。

万葉の植物園路と名づけられている。

ところどころ植物名を尋ねるパネルがある。自分の不得手な分野。分からない。

坂を登ったところで下界を見渡す。一帯は飛鳥歴史公園になっている。実は30年位前に一度飛鳥に来ているのだが、ほとんど思い出せない。ただ、こんなに整備はされていなかった。

③甘樫丘に着く。シニアのグループが歴史の勉強をしている。

丘の西側に立つ。

先ほど高取城の国見櫓からも見たが、ここからは近い。耳成山と天香具山。

もう一つの山、畝傍山(うねびやま)。

どうしても3つ一緒にカメラに入らないので、パノラマで。

丘の東側。これから行く飛鳥寺方向。

丘を下りる。

④飛鳥寺に着く。

境内に入る。
飛鳥寺:蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭にかけて造営されたもので、本格的な伽藍を備えた日本最初の仏教寺院である。(ウィキペディアより)

修学旅行の小学生でにぎわう。

飛鳥寺には有名な飛鳥大仏がある。拝観料を払って拝観する。

画像はネットから。

⑤ 飛鳥寺の前には蘇我入鹿の首塚。入鹿が殺されたのはここから少し離れた飛鳥宮だが、お寺の近くまで飛んできたとか。平将門の首も飛んだというが、よく飛ぶものなのか。

田んぼの中を飛鳥宮跡に向かう。

⑥飛鳥宮跡に到着。
板蓋宮は、7世紀半ばの皇極天皇の宮殿で、中大兄皇子(天智天皇)らによって蘇我入鹿が暗殺された乙巳の変(大化の改新)の舞台。皇極天皇、斉明天皇(皇極天皇重祚)の皇居跡で、伝飛鳥板蓋宮跡とされていたが、継続的な調査で、飛鳥板蓋宮だけでなく、飛鳥岡本宮(舒明天皇)や、後飛鳥岡本宮(斉明天皇)、飛鳥浄御原宮(天武・持統両天皇)など、複数の宮が継続的に置かれていたことが判明し、平成28年に、名称が「飛鳥宮跡」に改められた。現在復元されている石敷広場や大井戸跡は上層の飛鳥浄御原宮のもの。(なら旅ネットより)

 石敷広場。

 大井戸跡。

 そんなに広い場所ではない。ここで乙巳の変が起きたのかと思うと、想像力をかきたてられる。

一人の女性がずっとたたずんでいる。歴史に思いをはせているのだろうか。

⑦石舞台に到着。周辺は観光地化されていて、お土産店や食堂が並ぶ。

入園料を払って入る。30年前に来たときは、畑の中にぽつんとあるだけで、もちろん無料だった。ただこういう遺跡などの見学料は、施設維持のためと思い違和感はない。巨大古墳をどのように作ったか、推定図が立っている。

あるいは蘇我馬子の墓か。
この巨大古墳が誰の墓なのかは不明であるが、付近に蘇我馬子の庭園があったことから、馬子の墓ではないかとの説が有力である。また、石室が露出しているのは、馬子の横暴な態度に反発した後世の人が封土を取り除いたためともいわれている。(なら旅ネットより)

古墳の中に入る。

立ってもらくらく入れる高さ。

中も広い。天井部。

側面部。

山を背景に石舞台を遠くから。

今日は、朝パン1つ、高取城でおにぎり2つの食事で、腹が減った。石舞台近くの食堂でざるそばを食べる。

石舞台から橘寺へ移動。

 ⑧橘寺に到着。
創建年代不詳。文献に初めて登場するのは天武9年(680)。聖徳太子誕生の地といわれ、太子建立の7カ寺の一つ。8世紀には66もの堂宇が立ち並ぶ大寺院で四天王寺式伽藍配置をとっていた。現在は江戸期に再建された本堂(太子殿)など、わずかな諸堂を残すのみとなっている。室町時代の聖徳太子坐像(重要文化財)をはじめ、善悪2つの顔が刻まれた二面石などがある。境内には3つの副柱の穴をもつ塔心礎が残る。(なら旅ネットHPより)

本堂の横を歩く。

観音堂?

三光石、阿字池、聖徳太子ゆかりの遺跡。

経堂?

?となっているのは、2日間でお寺や城を歩き、建造物の名を判別するのにも疲れてしまい、名前がはっきりしないため。自分の歩いた順路と下の図で推測した。

蓮華塚。

二面石。右が善面、左が悪面。

⑨亀石。たどり着くまで迷ったが、飛鳥巨石遺跡の一つ。石舞台を見た後なので少し拍子抜け。ああ、そう… という感じ。

⑩さて、太子の湯に到着。

風呂上りに表で一服。時刻は16時前。自転車は17時までなので、少し時間がある。風呂に入ってリフレッシュしたので、番外のキトラ古墳まで行くことにする。

太子の湯からキトラ古墳へ行く道はマップ上では平坦に見えたが、峠を越えることになる。電動なのでなんとか越えられた。峠の上から、飛鳥の町並みを見る。

キトラ古墳は右。

⑪キトラ古墳に到着。

古墳を中心に広場になっている。

古墳の頂上あたりまで近づく。古墳なので、これ以上は立ち入り禁止。

古墳から下を見下ろす。古墳近くには、体験施設など様々な施設があるが、今日はパス。

時間内に自転車を返却し、16時半に飛鳥駅に着く。 大阪阿部野橋行き急行で大阪まで行き、地下鉄・新幹線と乗り継いで広島に帰る。

今日の行程。

2日間、京都から飛鳥まで、盛りだくさんの旅になった。

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