石見川本駅では、地元の方々がお出迎え。
石見川本駅は、三江線の三次・江津の駅以外で、唯一有人駅(限定時間のみ)。駅舎も他の三江線駅に比べると立派である。
次の江津行き電車の発車まで、約1時間半の待ち時間がある。この時間を利用して、利用客は昼食を取ったり町を散策する。石見川本町も、この待ち時間に合わせて、「おもてなし」をしている。
「三江線おもてなしサロン」。中に入ると、無料のお茶が振舞われる。
「三江線乗車記念切符」をもらった。(実際の三江線乗車人数でなく、おもてなしサロンを訪れた人の数)H29.3.31~12.3 約250日で、10494人。1日平均すると42人になるから、廃線が決まる以前の三江線乗客数からすると、かなりの人が訪れている。
ここでもらったウォーキングマップを頼りに、町内を散策する。高架下をくぐり
江の川の堤に出る。川と周辺にそびえる山々。江の川の典型的な風景。
堤の階段に座り、昼食をとる。恒例の弁当の写真を取り忘れた。三次構内の売店・セブンイレブンでかったので、想像はつくと思う。
堤防から駅を写す。先ほど乗ってきた電車が止まっている。
昼食+一服して、川沿いに歩く。山々がきれいだ。
車道の柱に、水位を示す表示がある。黄色:注意、オレンジ:避難、赤:危険。昭和47年に大洪水があったと聞いている。
車道から、町の道に降りる。三江線らしいトンネル。
三江線には踏切がない横断道が結構あると聞いたが、ちゃんと踏切がある。踏み切りを渡り、町内の散策に向かう。
町の北側斜面に、巨大な建物があるので行ってみる。「悠邑ふるさと会館」
日曜なので、屋台も2件出ていて、催し物を行ったいた。
建物の外に、なぜか宇宙船。寄贈なのか一時的展示なのか分からないが、アポロ宇宙船スカイラブ3号。この山間の町に、完全にミスマッチだが、町おこしの一環なのだろう。
この高台から見下ろす町の風景。山間の町の静かなたたずまい。都会とは別世界にきた気がする。
さて、江津行き電車の時間もあるので、駅に帰る。途中に郵便局を通る。あの水害の記録が壁に刻まれている。上のプレートに「昭和47年7月洪水 実績浸水深」の文字。そこまで水に浸かったという記録。本当に大水害だったんだ。
石見川本発13:45の電車に乗り、江津まで向かう。三次から江津への方向で、石見川本駅は約2/3位の場所にあり、江津までは残り8駅。1時間弱で到着する。
しばらく、江の川の風景を楽しみながら、駅をいくつか過ぎる。このままずっと、この風景の中を走っていたいが…
ここに暮らす人にとっては、自然は風景でなく、時に猛威を振るう生活の場。それを風景と感じられる自分は旅人なのだろう。
これまで谷あいの風景が主だったが、江の川の川幅が広くなってきた。
河口も見えてきたので、終点も近い。
江津本町駅。終点江津駅のひとつ前の駅。本町といって、何かあるわけでもないが…
無事、午後3時前に江津駅に到着。
江津駅で外に出て、江津の町を歩くつもりで、浜田行の電車まで、1時間の余裕をもったタイムテーブルを作っていた。
で、江津の町を見てみると、人影がほとんどない。ここはGhotsではなくGhost Townなのか。Goatsでも歩いているとシャレになるが…(江津の方、ごめんなさい)
結局、江津の町は一瞥して、一つ早い15:08発のの電車で浜田に向かう。
出雲方面⇒
浜田までの電車の車窓から見る、久しぶりの日本海
浜田に15:31着。駅前から、15:55発の広島行高速バスに乗る。
約2時間半、バスに揺られて、広島駅新幹線口に着いた時、辺りはすっかり暗くなっていた。
散るものははかなく美しい。桜はそうだ。ただ、桜は来年また見ることができる。三江線は、来年4月で動きを止める。
消え行くものは寂しい。その寂しさが見るものをいとおしく感じさせるのだろうか。
長らく使っていなかった「ふるさと」という言葉をおもいだし、そこから永遠に追放されたかのような寂しさを感じる旅でした。
と気持ちは暗くなるのだが、これだけ惜しまれる三江線なら、一度は廃線にして、しばらくしたら、観光線として復活したらどうだろう。音楽バンドが、解散コンサートで動員し、何年かの後、復活コンサートでまた動員する。あの手口と同じく…
やはりだめかぁー。
予断ですが、三江線の各駅を歩いて訪ねたライターのブログがあります。
と気持ちは暗くなるのだが、これだけ惜しまれる三江線なら、一度は廃線にして、しばらくしたら、観光線として復活したらどうだろう。音楽バンドが、解散コンサートで動員し、何年かの後、復活コンサートでまた動員する。あの手口と同じく…
やはりだめかぁー。
予断ですが、三江線の各駅を歩いて訪ねたライターのブログがあります。
とても面白く、読みながら大笑いしてしまい、自分もブログを書いてみようと思うきっかけになったものです。
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