早朝5時前に家を出て、7時半に鞆シーサイドホテル横の駐車場に着く。(山陽自動車道・福山東ICで下りる。)
走島行フェリー乗り場は歩いてすぐ。
乗船運賃片道¥570。
乗り場のある鞆港。
走島まで約25分。フェリーに乗る。
走島に到着。お医者さんと看護師さんらしき人も下りる。訪問介護か。
走島。釣りか海水浴が主で、これといった観光名所はない。強いてあげれば、島東部の唐船地区の風景がきれいとのこと。唐船地区に向かい歩く。
走島:備後灘に浮かぶ有人島。本州広島県福山市の鞆の浦から南東6kmに位置する。集落地以外はほぼ急傾斜地である。集落は3つ、北西の本浦地区、東の唐船地区、南西の浦友地区からなる。2010年現在で人口570人、高齢化率57.9%。2000年から2010年の間で数字で見ると人口減少率は26.6%。これに関連して2015年に走島幼稚園・走島小学校・走島中学校と3つとも閉校している。 (ウィキペディアより)
峠を曲がるあたりで撮影。走島港。
鞆の浦方面。
遠くの岬があるあたりが唐船地区。
途中に、波が岩を穿って穴の開いた洞門がある。 ネットで調べていたところによると、干潮時には通り抜けできるらしい。現在、干潮時なので浜辺に下りる。
遠くに、今年4月に行った北木島が見える。
洞門をくぐる。
通り抜けた反対側から。
洞門の横に通路ができているので、ぐるりと回って戻れるか思ったが、岩場で歩けなかった。
また洞門をくぐり、もと来た順路を戻る。浜辺に放置された、錆びた金属のハンドル。なんとなく趣を感じる。
唐船の港に到着。
港に放置された粗大ゴミの山。実は、事前にネットで調べたときに、この島にはゴミが多いことを知っていた。
唐船天女浜海水浴場。季節はずれで人はいない。
きれいな砂浜だ。
沖に見えるのは無人島の宇治島。ここには福山市から連れてきた鹿が野生化しているらしい。無人島なので定期便はないが、「宇治島サニーアイランドクリーン作戦」と称して、毎年夏に、有志が島の清掃活動を行っている。一般も参加できるので、機会があれば参加したい。
狭い路地を通り、港のほうに戻る。先ほどの神社の横では、まだ島の人たちが話していた。これまでいくつか離島を歩いたが、島の人の話は、声が大きく、話が長いという共通の特徴がある。
来た道を、走島港のある本浦地区に戻る。ゴミの山同様、廃屋と廃車も多い。
すでに廃校になった、走島小中学校の「海をきれいに」のポスター。このポスターは島のあちこちで見かけた。なんとなくむなしい。
廃車のオンパレード。この島では、すべてが放置されている。それも島の特徴と言える。
本浦地区に戻る。ここが走島の中心になる。南の浦友地区に向かう。
廃校になった走島小学校。
中学校は地区のセンターに利用されている。
廃園になった幼稚園。
浦友地区には峠をひとつ越えていく。坂を登る。途中、島で見かけるただひとつの商店があった。写真を撮りたかったが、島の人たちが前で話をしていて、気が引けてた。
坂の上にある八幡神社。この島では珍しく、参道がきれいに修復されている。
神社まで登る。
浦友地区に出る。
小さな集落があるだけで、これといって何もない。
狭い路地をたどり戻る。
廃車も目立つが、老人車も目だって多い。
路地は工事中で行き止まり。
車道まで戻り、本浦地区に戻る。
屋根に草が生い茂る、思い切りのいい廃屋。この下でさっきの商店に出たが、まだ話が続いていた。本当に話が長い。結局、島唯一の商店の写真は撮れなかった。
小学校の前まで戻る。老人車にのる老人に出会う。このほか、数台の老人車に乗った老人たちが集まり話している光景にも出会う。
港近くまで戻る。走島汽船のHPに広告のあった「カラオケ匠」。想像していたものとずいぶん違う。今も営業しているのだろうか。またここでカラオケする人はいるのだろうか。不思議な店である。この他、島には旅館や民宿があったが、利用されている雰囲気ではなかった。
( 走島海運のHPより)
現在11時。帰りの船は12:30なので、1時間半もあるので、港近くを歩く。広い土地が空き地のまま放置されている。
走島本浦・浦友地区浄化センターらしい。建物の前に人がいる。ずっと立ったままで、何をしているのかは不明。
沖に浮かぶ無人島を廃船のツーショット。廃車・廃屋・廃校・廃船… 結局、この島で いちばん印象に残ったのはそれだった。すべてが放置されたまま。高齢化も進み、観光か産業で再起する力がないと言うことか。
他にいきたい所もないので、待合室の前のベンチで、居眠りしながら1時間過ごす。
帰りのフェリー。来るとき一緒だった、お医者さんたちも乗る。
走島を後にする。
鞆の浦に戻りまず昼ごはん。駐車場近くにあった「十割そば 三代目作十」で、かきあげそばを食べる。
実は、10年前に一度、鞆の浦と仙酔島に来ているの。今日は、鞆の浦は1ヶ所を除いてパスするつもりである。 仙酔島までの船は、以前のものと変わっている。坂本竜馬ゆかりの「いろは丸」を模写したもの。
これは2008年の船。
今日、鞆の浦で寄りたかった、福禅寺 対潮楼。その景色の良さから「日東第一形勝 」と称され、江戸時代の朝鮮通信使も招聘され滞在した。
福禅寺:創建は平安時代の950年頃、空也による創建と伝えられる。現在の本堂と隣接する客殿(対潮楼)は江戸時代の元禄年間(1690年頃)に建立された。江戸時代を通じて朝鮮通信使のための迎賓館として使用され、日本の漢学者や書家らとの交流の場となった。 1711年(正徳元年)に従事官の李邦彦が客殿からの眺望を「日東第一形勝(日本一の景勝という意)」と賞賛し、1748年(延享5年)に正使の洪啓禧が客殿を「対潮楼」と名づけた。(ウィキペディアより)
石庭は立ち入り禁止。
入場料\200を払って入る。
場内のアナウンスが、この赤い敷物に座り、窓枠を額縁に見立てて写真を撮るのがベストと案内している。
その指示どおり撮影。正面手前が弁天島、奥が仙酔島、右が皇后島。なるほど絵になる写真が撮れた。
右側の遠くに、先ほど行った走島が見える。
さて、鞆の浦の狭い町並みを車で通り抜け、今日車で来る要因になった後山公園に上る。福山方面と鞆は舗装された「グリーンライン」で繋がっている。
子供連れの家族が、ダンボールを敷き詰めてスキーを楽しんでいる。
展望台に上る。
展望台から、駐車場と島々。
福山市街地。
そのパノラマ。
後山公園を下りる途中のビューポイントで車を止めて撮影。これから向かう田島と内海大橋。
鞆の浦の町と港。
田島に行く前に寄りたい所がある。本線から南に入ったところにある、阿伏兎観音。近くに車を止めて歩く。
阿伏兎観音は磐台寺の奥にある。ここで拝観料¥100を払って入る。
阿伏兎観音はせり出した岩場の上に建造されている。 階段を上る。
阿伏兎観音の上から岬の灯篭を見る。
その灯篭の方に下りる。
阿伏兎観音を見上げる。
阿伏兎観音の土台の岩場と遊歩道。自分が帰る頃、たくさんの人が観光で訪れた。テレビのロケなどにも使用され、有名な人気スポットのようだ。
駐車場に帰る道から、これから渡る内海大橋を見る。
田島・横島には内海大橋を渡っていく。渡る手前で。
内海大橋は、大橋では珍しいく、きれいなカーブを描いている。向こうが田島。
橋を渡り田島に入る。田島から大橋を写す。
田島:後灘に浮かぶ備後群島を構成する有人島。本州福山市沼隈半島の南約0.5kmに位置する。西隣が横島で、2つの島は魚がキスをしているような姿をしている。2島は睦橋、そして田島と本州は内海大橋で結ばれている。北西側が百島になる。東は阿伏兎で、東に3kmほどに鞆の浦がある。(ウィキペディアより)
田島で特に見たいものはないが、マップで見ていた憩いの森なるものに車で上がれそうなので上った。 こういうあまり人が来そうにない山の上にこれまでも何回か車で上っているが、対向車に遭遇したことはなかった。今日初めて遭遇してびっくりした。老年の夫婦が乗る普通車だった。自分が少しバックして、やっと離合することができた。
山頂は特に何があるわけでもないし、眺望がいいわけでもない。
木々の途切れる見晴らしのいいところから、大橋を見下ろす。何度見ても美しい橋だ。
憩いの森から下りて横島に向かう。横島へは内海大橋からまっすぐ走ると2車線の車道ですぐだが、今日はあえて南側の道を走ることにした。マップで見る限り、やや曲がりくねっているが車で行くことができそうだ。
途中まで、わりと広い道だったが、だんだん狭くなり、ついに山の中の細い道を運転することになった。ところどころガードレールもなく崖の上のような道。先ほどのように対向車に出くわすと、すれ違うのは困難だ。引き返すわけにも行かず、対向車に出会わないことを祈りながら運転した。地元の人はこの道の狭さを知っているのだろう。対向車に遭遇することはなかった。やっとの思いで横島とつなぐ陸橋を渡る。
陸橋を渡ってすぐの港に車を止める。先ほど、あの田島の中腹の道を運転してきたわけだ。
時間も夕方になり、運転にも疲れているので、横島はここまで終わることにする。横島探検でまた狭い道に入り、暗くなっては危険だ。
横島川から陸橋を移す。
やや離れて陸橋を写す。陸橋の真ん中が、魚の形に見立てた二つの島が出会うラブスポットと、内海町のHPで説明してあったが、橋の真ん中にはこれといった目印はなかったようだ。
横島から、今度は主道の車道を走り、田島・内海大橋を経由して、松永の銭湯・遊湯までたどり着く。ここで一風呂浴びて帰路に着く。遊湯から山陽道・福山西ICはすぐ。
今日は車でよく走った。車の距離メーターで確認すると300km以上。帰宅したのは午後7時過ぎ。すっかり暗くなっていた。
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