2018年10月26日金曜日

備中松山城 (2018.10.26)

今年7月に予定し、西日本集中豪雨のため延期していた備中松山城。今年3月に登ったが、ロープウェーの運休と雨のため中断した六甲山歩き。ともに日帰りで行けるコースだが、運賃と時間の節約のため、岡山で1泊する連結コースを考えた。しかし、2日目の天気予報が雨になっているので、やむなく再度日帰りに分割し、備中松山城だけのつもりで準備し、出かける前にもう一度天気予報を確認すると、どうやら神戸近辺の雨は夜に降り、朝方には晴れる予想に変わっていた。それで急遽連結コースに戻し出発した。
いつものように朝一の新幹線に乗る。岡山での宿は予約していなかったので、新幹線の中からスマホで予約した。

2日間の旅程は
1日目: 備中松山城→備中高松城址→吉備津神社→吉備津彦神社→岡山市の後楽ほのかの湯 (岡山泊)
2日目: 六甲山歩き→六甲有馬ロープウェー→有馬温泉・銀の湯→須磨浦公園
今回も盛り沢山のスケジュールだ。

備中松山城
岡山から 備中高梁までは特急やくもで35分。

7:40に伯備線・備中高梁駅に到着。

備中松山城の標高は430m。高梁市の標高を差し引いても、実質400m弱の高低差がある。全てを歩きで上るのは、午後の行程を考えるときつい。さいわい、平日は循環バスが8時台に2本あるので利用する。8:05のバスはちょうど出たところ、次の20分のバスに乗る。案内所のおばちゃんがていねいに、松山城までの順路を教えてくれた。

おばちゃんの指示通り、運動公園前で下車。

トンネルをくぐり抜け…

シャトルバスが出ている城見橋駐車場まで坂道を登る。

 バスは往復¥400。

 登城口のあるふいご峠駐車場に到着。城見橋駐車場からここまで、かなりの距離と高低差があったから、シャトルバスを利用して正解だった。ここから歩いて登る。

前に老夫婦。途中追い抜くとき、少し話す。10年前に一度来ているが、そのときはしんどくてリタイアした、今回2度目の挑戦とのこと。

たしかに、結構な登り坂である。自分は今日は調子がいい。最近の毎日屈伸運動30回の効果が出たのだろうか。 老夫婦に速いとほめられた。

中間地点にある櫓跡。

ここからの眺望もよさそうだが、今日は霧に包まれている。

大手門跡に到着。

このあたりの風景が、NHK大河ドラマ「真田丸」の冒頭に使用された。

そのワンシーンと同じアングルの写真。

ここから三の丸、二の丸を経て、本丸・天守閣に至る。

本丸に到着。

ここからは雲海が見える。さきほどの櫓跡は、あの雲の中にあったようだ。

\300を払って天守閣に登る。

備中松山城。
備中松山城:岡山県高梁市内山下にあった日本の城(山城)である。別名、高梁城。「備中松山城跡」として国の史跡に指定されている。日本100名城。四国の愛媛県松山市にあった松山城を初め、各地の松山城との混同を避けるために、一般的には「備中松山城」と呼ぶ。城跡が国の史跡、江戸時代に建造された天守や二重櫓などが重要文化財に指定されている。標高430メートルの臥牛山山頂にあり、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある。(ウィキペディアより)

眼下には、木々の間に高梁川が見える。

天守閣に上る。

遠くに高梁の市街地が見える。

通常の観光コースは天守閣までで引き返すが、今日は大松山城跡まで行く。大松山上城は最初にできた城で、これに対し、城郭の整備された「備中松山城」は小松山城とも呼ばれる。石垣沿いに北に向かう。
大松山城:臥牛山で最初にお城が築かれた場所です。中世の城郭としては大規模なもので、鎌倉時代から戦国時代にかけて使用されたお城です。曲輪が7段にわたって築かれており、堀切もみられます。直径の太い樹木がみられるのも特徴です。(高梁市のHPより)

大松山城まで580m。

堀切にかかる橋を渡ると、大松山城エリア。

ちょうど半分くらいまで来た。ここまで人には出会わない。

これも堀切の跡だろうか。 峠を越える。

つり橋方面との分岐点。左に行く。

大松山城跡に到着。

井戸の跡。

例によって、城跡といっても何があるわけでもない。

大池のある分時点に戻る。

池の横を通りつり橋に下りる。

大松山つり橋。

橋を渡る。

橋を渡ったところ。

そのさき少し登って、橋の見える場所で休憩。

山々を眺めていると、中年男性が登ってきた。展望台まで歩いていくと言う。雲海に浮かぶ松山城が見えることで有名な展望台である。ここからかなり離れているので、自分はここから引き返す。

小松山城と大松山城を区分けしている堀切の橋に戻る。

天守閣の見える広場で一服。

備中松山城の城主はめまぐるしく変わっている。戦国時代終盤には、三村氏と毛利一族が争った備中兵乱があった。三村氏は滅び、松山城は一時毛利氏の支配下に置かれた。

城を折りながら見る。場内で一番大きい石垣。

大手門跡の石垣は、自然石とうまく組み合わせて作られている。

シャトルバスで登ったふいご峠駐車場まで下りてきた。バスは往復料金を払っているので、また城見端駐車場まで戻ることもできるが、今日は敢えて登山道を歩いて下りる。バス料金片道分は寄付ということで。

高低差200mくらいなあるので、かなりの距離の下り坂。膝が痛くなる。

麓で山ガールに遭遇。彼女は、自分が下りてきた登山道を登るわけだ。

車道に出た。城見端駐車場からのシャトルバスを利用しない登山道の入り口はここになる。

高梁市街地に下りてきた。武家屋敷を歩く。

資料館があったが有料なのでパス。

伯備線高架をくぐり…

紺屋川美観地区に着く。

岡山県下最古の、高梁基督教会。

昔を偲ばせる古い町並みが続く。

橋の上に作られた灯篭。

振り返ると、遠くに先ほど登った松山城がある臥牛山が見える。

高梁市街を貫く、高梁川に下りる。上流方向。

下流方向。

川沿いの白壁の道をJR駅方向に向かって歩く。

時間は昼食時。どこか食堂でもないかと商店街を通るが、音楽だけ流れるシャッター通り。昼ごはんは、駅前のコンビニで弁当を買い、移動の列車の中で食べた。

寂びれた商店街と対照的に、立派な駅舎。

市立図書館+蔦屋+スタバの組み合わせは、徳山と同じ。後で聞いたところによると、このコンビネーションは高梁市のほうが先らしい。

備中高松城跡
午後、伯備線で備中高梁から総社まで行き、総社から桃太郎線(吉備線)で備中高松まで行く。

14:15、備中高松駅で下車。

駅から東に進み、桃太郎線の踏切を渡る。

最初に目に入るのが大鳥居。

備中高松城跡までしばらく歩く。「史跡舟橋」を通る。

高松城は城自体よりも、水攻めで有名である。NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」でも描かれた。
高松城水攻め:日本の戦国時代におきた戦い。天正10年(1582年)に織田信長の命を受けた家臣の羽柴秀吉が毛利氏配下の清水宗治の守備する備中国高松城を攻略した戦いである。秀吉は高松城を水攻めによって包囲したことから、高松城の水攻めとも呼ばれる。水攻めの最中に主君である織田信長が明智光秀に討たれる本能寺の変が起きた。その報を聞いた秀吉はただちに毛利方と和睦を結んで、城主清水宗治の切腹を見届けた後、明智光秀を討つために軍を姫路へ引き返した。 

 一帯は、高松城址公園になっている。特に何かがあるわけではないので、歴史に興味のある人がやってくる。

資料館に入り、しばらくビデオを見る。


 水攻めで自害した城主、清水宗治にちなみ、宗治蓮を名づけられた蓮池。

宗治の首塚。おかやま観光ネットによると、高松城を攻め滅ぼした秀吉によって作られた供養塔とのこと。

横に宗治の辞世の句が建つ。「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」

 高松城址公園から、水攻めの際に気づかれた堤防の後が残る、蛙ヶ鼻築堤跡に向かう。その途中にある、太閤岩への登山道入り口。ここを登ると、水攻めのときに秀吉が腰掛けて見下ろしたと言われる岩があるが、今日はパス。

 蛙ヶ鼻築堤跡一帯は、水攻め史跡公園になっている。

男の人がひとり、ベンチに腰掛けていた。

堤防の跡。

堤防が8.4m。高松城本丸最上段の高さが、7m。その差1.4m。水没するわけだ。この高さの堤防が約3km、JR備中高松駅から足守駅あたりまで、突貫工事で築かれた。

備中高松駅に戻る途中、両端がスロープの長い歩道橋を渡る。

歩道橋の上から桃太郎線、岡山方向。

総社方向。大鳥居が見える。

吉備津神社
続いて桃太郎線で1駅の吉備津神社に向かう。

15:50、JR吉備津駅で下車。

神社は歩いて10分くらい。

松並木を歩く。

吉備津神社に到着。
吉備津神社:御祭神・大吉備津彦大神は四道将軍として山陽道に派遣され、温羅という悪者を平定し、吉備国に平和と秩序を築きました。吉備国の総鎮守で、県内では最も古く大きな神社です。
創建について詳しいことは分かっていませんが、社伝によれば仁徳天皇がこの地に行幸された時に御創建になったもので、延喜式では名神大社。やがて一品の神階を授けられました。三備(備前・備中・備後)の一宮として全国の人々から深く信仰されています。おかやま観光ネットのHPより

 温羅については今年6月、鬼ノ城に行ったときに勉強したが、悪者というのは、征服した側からの一歩的な言い方である。

 それはそれとして、立派な神社である。

本殿・拝殿。

本殿を横から写す。

境内では巫女さんたちが掃除している。

大きなイチョウの木。

吉備津神社で有名なのが、長い回廊。左に曲がり回廊を歩く。

長さを表現しようと、回廊が一区切りつくまで動画を撮った。

 途中で脇に見えるアジサイ園。実は、この夏に来ようと思ったのは、このアジサイが目当てだった。

現在工事中で、参拝できない。

回廊から脇に逸れると、もうひとつ吉備津神社で有名な鳴釜神事が行われる、お釜殿がある。

お釜殿入り口。 時間外で閉まっている。

 鳴釜神事は、釜を焚いて、そのとき出る音の種類で吉凶を占うもの。案内によると有料で申し込めるし、見学もできるようだ。

近くで水車が回っている。


神社の境内を出る。池に浮かぶ宇賀神社一帯が公園になっている。

先ほど歩いた長い回廊を外から見る。

 吉備津彦神社
さて、予定はここまでだが、岡山に行くには早いので、頑張ってもうひとつ回ることにする。吉備津彦神社、吉備津神社と一文字違いで紛らわしいが、桃太郎線で1駅の備中一宮にある。歩いても20分くらいのところなので、マップを頼りに歩くことにする。

2つの神社の中間地点。

途中に、古代を象徴する神社と対蹠的な現代のラブホテル。「満室」の掲示のまま閉館となっている。

17時前、吉備津彦神社に到着。
 吉備津彦神社:大化の改新後、吉備の国は解体され、備中、備前、備後の三地域に分割されました。それに合わせる形で、吉備の国を守っていた吉備津神社が各地域に分社され、備前には吉備津彦神社が造られました。
    備中:吉備津神社(岡山市北区吉備津)
    備前:吉備津彦神社(岡山市北区一宮)
    備後:吉備津神社(広島県福山市)
と、元々備中に位置していた吉備津神社の神様を3ヵ所に分霊して現在の形になりました。
現代風に言えば、備中の吉備津神社がオリジナルという訳です。(ここを参照した。)

吉備津神社に比べると、こじんまりしている感じ。

本殿。

これが、君が代にも出てくる「さざれ石」なるものとか。

神社に似つかわしくない、安っぽい桃太郎の彫像。特に見たいともうところもないし、雨が降り出したので、早々に引き上げることにする。

桃太郎線の備中一宮駅に向かう途中、列を組んで帰宅する学童たち。郷愁を誘う。

備中一宮駅に到着。

岡山に向かう。

さて今日の風呂と決めていた、後楽温泉ほのかの湯に行く。岡山駅から、路面電車・清輝橋線で、終点清輝橋で降りて、歩くこと20分。ようやく到着。今日は歩きすぎてか、左の足裏が痛む。入浴料¥750。

風呂上りにレストランで夕食。

かつとじ定食。

温泉を出て、また電車に乗ろうしたが、間違えて逆方向に歩いてしまった。 ホテルのチェックインは午後8時と申告していたので、遅れる旨を電話した。電停に行く前にバス停があって、岡山駅行きが走っていたので、帰りはバスに乗る。無事、予約した岡山リバーサイドホテルに着く。個室のカプセルホテル。1泊\4000。

今日は、よく歩いた。歩行計では、41000歩、25km。


0 件のコメント:

コメントを投稿