2019年2月21日木曜日

和歌の浦2 (2019. 2.21)


⑧つづいて、番所庭園に向かう。観光スポットが多いので、それぞれについて詳しく予習してこなかったが、見晴らしがよさそうなロケーションという認識だけあった。岬の上にあるので、ここに来るまで坂をかなり登った。自転車を電動にしておいてよかった。適当に自転車を停めて、入口が分からないので、開いている扉から入った。職人さんが作業中だった。

岬の先に向かって歩く。松の手入れが行き届いている。

南側の眼下では、岸辺で何か採っている。

海の緑がかった青がきれいだ。

黒船の見張り番所の跡。
番所庭園:番所庭園の有るここは、地図にも出ている様に「番所の鼻」と言い、平坦で海に長く突き出た地形で、紀州藩は海の防備見張りのため遠見番所を設けました。藩領の長い海岸線十数ヶ所に番所がありましたが、ここはその中でも和歌山城に最も近い番所として、狼烟場と共に重要な所でした。其の後、遠見番所は鷹の巣山頂へ移転したので、ここは「元番所」とも呼ばれたのです。米国ペリーの来航(嘉永六年一八五三年)を機に、紀州藩も本格的に海防に取り組み始めました。翌年安政元年(一八五四年)に家老三浦長門守御持場「元番所お台場」が、当庭園大芝生の所に構築されました。紀州藩が出版した異船記には、この元番所お台場全体の鳥瞰絵図や大砲・鉄砲・人員の配置などが詳細に記載されています。(番所庭園HPより)

南側のパノラマ。

万葉の歌碑。
紀の国の 雑賀(さひか)の浦(うら)に 出(い)で見れば
   海女(あま)の燈火(ともしび) 波の間(ま)ゆ見ゆ

岬の先に浮かぶ二つの島。

下に少し下りて見る。

眼下を覗き込む。

「恋人岬」。ありがちな命名。

恋人岬からの眺め。

南側、向こうに灯台が見える。行けるのだろうか。

散策を終えて戻る。

数々の時代劇のロケ地になった。

来たとき入り口が分からないので勝手に入ってしまったが、入口はちゃんとあり、入場料も¥600いると、係りのおじさんが教えてくれた。後払いで払い、ついでに、岸辺に下りる道、灯台に登る道を教えてもらう。ノーチェックで来たが、番所庭園予想以上の絶景だった。

まず海岸に下りる。番所庭園駐車場の横の狭い道を下りる。

草むらの中を進む。

海岸に出た。

紀州東照宮、和歌浦天満宮など、あいこちで緑がかった石を見たが、ここに同じ石がある。後で調べたら、緑泥片岩で「紀州の青石」とよばれる石。
緑泥片岩: 玄武岩に代表される火成岩などが、比較的に低温・低圧のもとで広域変成作用を受けて生成されたもので、変成岩としては変成度合いが小さいものである。豊富に含む緑色の成分と、発達した面状構造(片理)がみせる縞模様によって外観が美しいとされ、日本では庭石などに愛好されている。(ウィキペディアより)

おばさんたちが採っているのはひじき。

番所庭園の先の小島が見える。

緑泥片岩を見ながら上に戻る。

番所庭園から自転車を漕いで雑賀崎(さいかざき)灯台に登る。電動なので、なんとか漕いで登りきった。

灯台の展望台に上がる。

番所庭園を見下ろす。

和歌公園方面。

灯台の下には、野良犬が3匹。

2つの島は、左が地ノ島 、右が沖ノ島。一般に友ヶ島といい、最近観光客の増えた人気のスポットである。

次に、和歌浦展望台にむかう。一度下まで下りたが、そこからまた急な坂を登る。さすがに急勾配で、やむなく自転車を押して上がる。

たどり着いた峠。田の浦口のバス停がある。

⑨もっと低い海岸沿いにあるのかと思っていたが 、そこから少し下ったところに、今日の風呂の万葉の湯があった。

展望台に登る前に先に風呂に入ることにする。展望台も2ヶ所あるので、風呂上りに位置を確認しておきたい。

 ホテル併設なので中は広い。

事前に調べておいたが、スマホでこの券を提示すると半額の¥750になった。

ただ、浴槽は2つ、露天が1つ。半額でなければ¥1500だが、やや高い。

風呂を上がって、海を見ながら一服。

 展望台は2つある。新和歌浦展望台は、万葉の湯から歩いてすぐ。もう一つは、高津子山(たかつしやま)展望台。ここらら見える山の頂上にあるが、登り口がいまいちはっきりしない。

⑩とりあえず新展望台に登る。崩落修復の工事中で、おにいさんに高津子山展望台を聞くと、ここから道があるとのこと。

新展望台からの眺望。和歌公園の半島と、手前が先ほど入った万葉の湯のあるホテル。

新展望台の裏に道があった。ウォーキング中のおじさんがいたので、再度確認した。

緩やかな坂道を登る。道は整備されている。

展望台が見えてきた。

⑪高津子山、別名、章魚頭姿山(たこずしやま)。標高 136m。
 かつて南海和歌浦軌道線があり、その新和歌浦駅と高津子山をロープウェイが結んでいた。頂上にあった回転展望台の後に、今の展望台がある。(1971年に廃線)

和歌浦公園の半島を望む。

干潟をズームアップ。干潮ですっかり干上がっているのが分かる。

先ほど歩いた番所庭園がある、雑賀崎。

友ヶ島方面。光の条がきれいだ。和歌山朝日夕日百選の一つになっている。

和歌山市街。紀ノ川が流れる。

万葉の湯のホテル。新展望台からの写真と比べると、ここが高いことが分かる。

展望台を後にする。

予定のスポットもあと2つ。自転車を停めているホテルのうらから蓬莱岩が見える。あそこに下りていく。

⑫老人福祉施設の横の坂道を下り、蓬莱岩に到着。
蓬莱岩:和歌浦観光遊歩道を歩いていくと浜辺から海に向かって突き出す形で見えてくる、ぽっかりと穴のあいた一見すると奇妙な形の岩。広辞苑によると「蓬莱山:中国の伝説で東海中にあって仙人が住み、不老不死の地とされる霊山」とあり、縁起の良い名前でもある事からも、この蓬莱岩はパワースポットや奇岩ともいわれています。(和歌山の観光ポータルサイトより)

むこうに犬を連れたおばちゃんがいる。小さな橋が架かっているので行ってみる。

奇岩の所以の、ぽっかり空いた穴。

少し離れて全景。

岩の先端から、和歌公園を見る。

二言三言、おばちゃんと挨拶を交わし、愛犬を一枚撮らせて貰う。

さて、めまぐるしく駆け巡った和歌浦観光。最後に和歌山城を見て終わることにする。和歌山城はJR駅の近くなので、午前中紀三井寺に南下したほどの距離を北上することになる。調べてこなかったので、城の入口に迷うが、とりあえず、西側の追廻門から自転車で乗り入れる。

後で探したマップ。

 石垣の間を走っていく。

野面積の石垣。

天守閣の下に自転車を置き、坂道を登る。今日は何度坂道を登り降りしただろうか。

天守閣が見えてきた。敷石は緑泥片岩である。

北風のなか、忍者コスチュームの若者が案内していた。茶屋があるのでそこの人だろうか。

⑬和歌山城。
和歌山城:天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。その築城を担当したのが、築城の名人藤堂高虎(とうどうたかとら)でした。まず、秀長の城代として桑山重晴(くわやましげはる)が入り、慶長5年(1600)には、関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長(あさのよしなが)が入城。そして、元和5年(1619)には徳川家康の第10男・頼宣(よりのぶ)が入城し、紀州55万5千石の城となり、以来、水戸・尾張と並び、徳川御三家のひとつとして、長い歴史を刻んできました。
和歌山城の石垣には、紀州特産の青石(緑泥片岩)が多く使われ、たしかに和歌山に来たことを実感させてくれます。 (和歌山市観光協会公式HPより)

入場料¥410を払い天守閣に入る。

紀州南高梅。和歌山は梅干の名産地である。和歌山出身の歌手、坂本冬美も、高校卒業後梅干工場関連の施設で働いていたことがある。
紀州南高梅:梅生産量日本一を誇る和歌山県を代表する品種であり、日本国内で生産される国産梅の6割は和歌山県産である。果樹王国紀州和歌山のブランド梅であるだけでなく、梅のトップブランドとしてその名は知られている。果実は非常に大きく、種は果実のわりに小さめであり、果肉が厚くて柔らかいのが特徴。おもに梅干しや梅酒に加工される。和歌山県のみなべ町が発祥の地であり、かつ生産量も多い。(ウィキペディアより)

天守閣に登る。2~4階に武具などの恒例の展示物があるが、閉館の時間も近づき、天守閣からの眺めが目的なのでスルーする。

天守閣最階上。ガラス戸を開けて外に出ることができる。

和歌山市街。紀ノ川がよく見える。

しばし、眺望を楽しんだ後、階下に下りる。順路に従い、長い通路を経て…

外に出る。

恒例のリュックの記念撮影。ここで一服。

天守閣を後にする。

和歌山城の遠景。

堀の横の道路を、自転車を漕いでJR和歌山駅に向かう。

和歌山駅に帰ってきた。時刻はちょうど午後5時。出かけたのが午前9時前だから、朝から休みなく、8時間余り走り回ったことになる。

自転車を漕ぎながら、オムライスを探したが、結局食べることができなかった。腹も減ったので、駅地下ののサイゼリアで何か食べようと思い入る。オムライスはないので、ハヤシライスを頼む。

帰りは新大阪で新幹線に乗り継げる、特急くろしおを利用する。1時間に1本走っている。

17:47のくろしお28号に指定席で乗る。新大阪までは約1時間、新大阪から新幹線で広島まで帰る。

船で四国から渡り、強風にもめげず、和歌山市内を走り回った一日だった。

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