2019年2月7日木曜日

屋島 (2019. 2. 7)


終点の、琴電高松築港駅で下りる。このあたり、私鉄・JR・港が集中している。

昼ごはんの、うどんを探して歩く。 港から、後で訪れる屋島を見る。かすんでいるが、屋台形が見える。

うどん屋が見つからず、JR高松駅まで来る。

前にそびえるシンボルタワー。今日は昇る時間がないが、次回来た時は昇ろう。

駅近くでやっと見つけたうどん屋。讃岐うどんではなかった。連絡線うどんと看板がかかっていた。かつての宇高連絡船上で食されていたうどんの意味か。汁は、味がないほど薄かった。腹の足しにはなったが、物足りない。

屋島に向かう前に、高松築港駅の隣にある、高松城址に寄る。

入場料¥200。一帯は、玉藻公園になっている。

鞘橋を渡る。説明によると、城郭と本丸を繋ぐ唯一の通路で、有事の際はこの橋を壊す仕掛けである。

橋の上から、堀を見る。

天守台跡。

 天守台跡に向かう。

 天守台跡に上る。

天守台跡から見下ろす。ボランティアのおじさん、女子たちに熱弁をふるっている。

天守台を下りて、月見櫓に向かう。この橋の下を水が流れている。高松城は、海城とも呼ばれ、海のすぐ傍にあった。

月見櫓。中には入れなかった。

石垣の向こう側。今は道路が走っているが、かつてはすぐ海で、ここから船に乗っていた。

VR丸亀城同様、VR高松城アプリを用意してきた。高松城に寄ったのも、これを楽しむのが目的の一つだったが、 使い勝手がいまいち。これは海から見た高松城のVR画像。

高松城見学を終え、屋島に向かう。

駅の隣が城である。先ほど通った鞘橋が見える。

瓦町で琴平線から志度線に乗り換え、琴電屋代駅で下りる。自分と一緒に、南米系の男女2人組が下りた。かれらも屋島に登るのだろうか。

屋島登山口に向かう。

用意してきたこのマップと…

スマホのリアルタイムのマップを駆使して、登山道入口に到着。遍路道と表記してある。

途中、地元のおばさんが歩いていたので、道を確認する。この道でいいとのこと。

マップにあった地点、加持水に到着。おばさんは、時間がないのでここで引き返した。

おばさんにエールを送られ、自分はさらに登る。

途中分岐点があった。屋島城跡への道。狭く急なので、健脚者向きとある。午前中、450mあまりの山登りを敢行しているので、しばし迷う。

せっかく来たのだからと、意を決して登る。 この「せっかく」発想で、これまでも各地歩行距離を伸ばしている。

さすがにしんどかった。何回か休む。こんなところ自分以外に登らないだろうと思ったが、途中、下りて来る一人の若者男子に出会った。

屋島城跡に到着。

城壁の痕跡は以前から確認されていたが、時代確認されたのは最近のこと。復元作業も行われた。昨年2018年に訪れた総社・鬼ノ城同様、白村江の戦いに敗れた大和政権が、唐の侵略を恐れて築いた山城である。
古代山城屋嶋城(古代は屋嶋と表記された):中大兄皇子が唐と新羅の侵攻に備え、対馬、九州から瀬戸内海沿岸にかけて築かせた山城で、667年に築かれたことが「日本書紀」に記されています。断崖絶壁を最大限利用した古代山城で、城壁の9割程は天然の崖です。平成19年度から高松市が進めてきた屋嶋城跡城門遺構整備事業が完了し、平成28年3月19日から公開されています。迫力ある石積みと高松市街地の眺望は一見の価値あり。同時に整備された西尾根展望台からの眺めもおすすめです。(うどん県旅ネットより)

頂上から高松市街を眺める。 後で知ったが、VR高松城同様、「蘇る屋嶋城」というVRアプリがあった。ダウンロードしてみたが、現地でないとVRは見れないようだ。

 屋嶋城跡を後にし、屋島寺方面に向かう。

途中、源平合戦展望台地・談古嶺まで500mの案内がある。地図を詳しく予習してこなかったので、どうしようか迷うが「せっかく」である。

途中展望台があったので一休み。500mまで来ていないが、ここで引き返そうかと思う。そこにシニア男性2人連れが通りかかったので、この先はどこに続くか聞いてみた。ぐるっと回って、目的地の屋島寺にいけるとのこと。先に進むことにする。

途中、廃墟があった。廃校だろうか。でもこんなところに学校のはずはない。よく見ると観光施設の後だった。そういえば、マップにロープウェイ(休止中)とあったが、観光地として衰退している感は否めない。

源平合戦展望地に到着。

有名な那須与一の弓矢の的は、写真中央右の、入り込んだ水路のようなところらしい。一の谷の合戦で敗れた平氏が再起を願って退いた屋島。左の海側から源氏が攻めて来ると構えていたが、予想に反して、裏をかいて徳島に上陸した義経らは、右の山側から攻めてきた。混乱し敗退した平氏は、壇ノ浦に向かう。

こちらは、小豆島方面の海。

少し行ったところに東屋がある。

ここから屋島の屋台形がよく見える。

さらに周遊して、仙遊橋に着く。

橋を渡ったところに、屋島の地形について説明がある。もう一度、おさらいする。

風化しやすい花崗岩の上に、硬い讃岐岩質安山岩(サヌカイト)が水平に被い、被われた部分だけが風化せず残ったため、独特の台形型が出来上がった。このような地形を、メサ形溶岩台地という。また、屋島はかつて遠浅の海に浮かぶ島だったが、江戸時代に塩田造成などの干拓が行われ、陸続きになった。なお、自分がいるのは南嶺で、見えているメサ台地は北嶺という。下って登れば歩いていけるが、今日は到底無理だ。

仙遊橋の下は、車道になっており、車で上がってきた場合はここをくぐって、駐車場に入る。

ドライブインもあるが、みやげ店に人は入っていない。

ドライブインの横を通り、屋島寺に到着。四国八十八箇所霊場の第八十四番札所。

境内を歩く。琴電屋島駅で一緒だった、外国人のカップルが歩いている。どうやってここまで来たのだろうか。バスもあったから利用したのかもしれない。それにしては、歩いてきた自分と時間が同じである。まあ、どうでもいいことだが…

 蓑山大明神。道に迷った弘法大師を、老人に化けて道案内した狸を祭った神社。

本堂。
屋島寺: 天平勝宝6年(754年)に唐僧の鑑真和上が屋島の北嶺に普賢堂を建て、持参していた普賢菩薩像と経典を納めて創建。その後、鑑真の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立。精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職に就任しました。
弘仁6年(815年)には、弘法大師が嵯峨天皇の勅願を受けて屋島寺を訪れ、北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に遷移。十一面千手観音像を彫造し、本尊として安置しました。(屋島ナビより)

御成門を出る。

さて、計画としては、登ってきたコースではなく、マップによると西へ下りる道があるようなので、屋島の西側に下りて、屋島第一健康ランドで一風呂浴びる予定。さびれたおみやげ店を通る。みな閉店している。

茶屋は閉まっているが、展望台がある。

高松港を見下ろす。

少し北側、いつか行こうと思っている、男木島と女木島。高松港から近い。

水族館は開いているようだが、静まり返っている。

先ほど撮ったこの地図によると、確か西に下りる道があるはずだが、地図の場所にいってもそれらしきものがない。ここから冒険が始まる。

ひょっとしてこれか。消えかけた文字で「屋島古道・かんじんの道」とある。他に見当たらないので下りてみる。

途中、行き止まりのような、藪道のような、よく分からない状況になる。一度上まで戻る。

時刻は、午後4時20分。日も傾きかけている。道に迷ったら大変だ。やはり、元の道を下りようか。でも、温泉に浸かりたい気持ちも強い。しばし、 迷ったあと、もう一度下りて、先ほどと反対の方向に下りてみる。やったー、広い道に合流した。これで温泉に入れる。

勇んで下りていくが、途中、道なき道になりそうで、不安になる。日が暮れるまでになんとか下山しないと。よくある赤い紐の目印が頼りだ。

なんとか麓に下りてきたが、なんと柵がしてある。こじ開けて向こうに出る。

説明によると、イノシシ対策の鉄条網らしい。おお、自分はイノシシの側にいたのか。下る道々、イノシシが掘り起こした跡が多数見受けられた。出入りは鉄骨を抜き差しして出入りするとのこと。中からは分からなかった。

ようやく舗装路にでた。一安心。

これが、西側登山道の入口。誰も登る人はいないだろう。

あの上の展望台あたりから降りてきたことになる。今日一番の敢闘賞だ。

屋島第一健康ランドに到着。ここは24時間営業で、宿泊もできる。最初はここに泊まろうかとも考えていたが、やはり風呂だけにした。


宿泊できる施設とあって、中は広い。入浴料は2時間以内で¥800、それを過ぎると¥1500。つまり¥1500で泊まれるわけだ。

しこし早いが風呂上りに、食堂で夕食。てんぷらうどんにしたが、思うような讃岐うどんではなかった。前回の丸亀同様、香川ではうどんでまとめようと思っていたが、今日は、期待はずれがつづく。

琴電の駅まではかなりある。来たときに路線バスがあるのを知り、時刻をチェックしておいた。18:30の高松駅行きに乗る。あの道を下りて風呂に入る人はいないだろうから、例によって貸しきり状態かと思ったが、途中、人が乗りそこそこの乗客になった。

琴電片原駅前で下りて、ホテルまで歩く。今日はビジネスホテル東宝イン高松。

5階の港が見える部屋だった。

素泊まり¥4500。

今日の行程図。

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