2019年2月7日木曜日

金比羅 (2019. 2. 7)

四国の金比羅さんの階段を登りたいと思っていた。1泊するので、鳴門と組み合わせて回ることにした。新幹線で岡山まで、岡山から特急南風高知行きで琴平まで。

午前8時過ぎ、JR琴平駅に到着。

琴平駅前。

高灯籠の横を通り…
高灯籠:1865年(慶応元年)に完成した、高さ27メートルの日本一高い灯籠で、国の重要有形民俗文化財に指定されています。瀬戸内海を航海する船の指標として建てられ、船人がこんぴらさんを拝む目標灯となっていました。 (琴平観光協会HPより)

大鳥居を潜り抜け…

こんぴら表参道に入る。

階段の最初の1段目。

 金比羅宮本宮までは785段、そこから奥社まではさらに583段の階段がある。今回は奥社まで登るつもり。各地点の階段数はここにくわしい、本宮編奥社編

階段の両側に商店街が並ぶが、朝早いので多くは閉まっている。

100段目に到着。所々段数が表示してある。ここまで登ってきたが、今日は足が調子よく、余り疲れを感じない。ただ、その日の調子が前もって自覚できず、歩いてみて初めて気づくのが悲しい。

商店街の階段はまだまだ続く。

前を、案内のおじさんが引き連れた日本人のグループが登っている。おじさんは、冗談を交え軽妙な語り口で案内している。このグループとは、上まで抜きつ抜かれつ、旅の道連れになる。

大門。ここまでの階段の周囲には、 たくさんのスポットがあるのだが、今日は階段を登りきること自体が目的で、あまり脇に逸れないし、下調べもしていない。

ここで365段目、約半分弱を登ったことになる。下を振り返る。

大門をくぐってすぐ、「五人百姓」と呼ばれる飴屋が5軒並ぶ。 昔からこの5軒のみ、宮域での商売が許されている。ただ、今日は2軒しか人がいない。寒い中、女性がひざ掛けをして飴を売っている。

桜馬場と呼ばれる平坦な石畳の道がしばらく続く。

石畳が終わると、また階段が復活する。

階段を登ったところ、桜馬場西詰銅鳥居。名前の通り、青銅でできている。

階段手前の広場に御厩があり、神馬が2頭いる。寒いので毛布を掛けてある。神馬とは神様が乗る馬のことで、儀式のときなどに活躍する。

銅鳥居をくぐり左に行く。

また正面に向かって階段を登る。

今日は、ちゃんと手を清めた。

さらに階段を登って、旭社。628段目。

御本宮まであと少しのようなので、回廊で休憩する。今日は、トレッキングポール持参である。

御本宮へ向けて再出発。

鳥居をくぐると、賢木門(さかきもん)
賢木門:鳥居をくぐると賢木門があります。賢木門は、唐破風と千鳥破風の棟が交錯する檜皮葺の屋根をもち、他に類を見ない優麗温雅な様式を備えます。 「賢木門」はその昔「逆木門」と書きました。 天正年間(1573~1592)、長曽我部元親は兵を起こして諸州を侵略し、多くの神社仏閣を焼き払っていました。ある日、元親は琴平山の隣の大麻山に陣取ったのですが、その夜、琴平山の草木が全て敵兵に見え狂乱してしまいました。老臣らはこの出来事を、霊境付近を犯したための神罰である、と考えました。 そこで元親は罪を謹み、門を献納することにしました。ですが、建築を急ぐあまり、一本の柱を逆さまにつけてしまいました。そこで、その門は「逆木門」と呼ばれるようになりました。 明治12年(1879)の改築の際に、「逆」の字を嫌い「賢木門」と書くようになりました。(金比羅宮・御本宮参拝ガイドより)

賢木門をくぐりしばらく歩くと、階段が一つ下がっているところがある。

マイナス1段。
 表参道から本宮まで石段を上る中、唯一下がるのはこの1段だけです。 御本宮までの石段は785段といわれていますが、実は、「上がる」石段は786段あります。つまり、ここで1段下がることにより、786-1=785段となります。一説によると、786の「な・や・む」と読める語呂を忌み嫌い、一段下げて785段にしたといわれますが、定かではありません。(金比羅宮・御本宮参拝ガイドより)

ようやく御本宮までの最後の階段に到着。

「あと少し。御本宮まで133段!登って幸せ。福が来る!」と記されている。

のこり133段を踏みしめて登る。

登りきって下を見下ろす。

御本宮に到着、785段目。

お賽銭を入れ礼拝。

御本宮から南北へ伸びる廊下。祭典において本宮へ参進する祭員・舞人・巫女や、本宮に進む参拝者が、この廊下を通る。

神木のクスノキ。幹の周りは約4.7メートル、高さは約25メートル。

 神木の東側に神楽殿。

その他、多くの建造物があるが、今日は神社よりも、登ることに重きを置いているので、さらっと見て展望台に行く。

琴平の町を見下ろす。視界がよければ、先日いった丸亀あたりも見えるだろう。

多くの参拝者は御本宮で引き返すが、自分は奥社に向かう。

御本宮までの道と違い、ここからは静かな山歩きである。

常盤神社を過ぎる。832段目。

階段を登る。

白峰神社に到着。

923段目。奥社まで残り445段。

紅葉鳥居をくぐる。

紅白の梅が咲いている。思ったとおり、菅原道真を祭る菅原神社。

奥社まであと500m。

さらに階段を登っていく。トレッキングポールを使っているせいか、なんとか足はもっている。

卯花谷休憩所前を曲がる。

階段はまだまだ続く。1098~1206段。

手水舎の前で、道は大きく折れる。1261段目。

残り100段をゆっくり登る。

ついに奥社に到着。

正式には厳魂神社という。海抜421m。表参道からの合計階段数は1368段。

登りきった達成感を味わいながら、展望台から眺望を楽しむ。

奥社をあとにする。

御本宮から奥社までの道、確かに森閑としていたが、登る人は皆無ではなかった。約6~7組の人とであった。

御本宮まで下りてきた。

御本宮の裏側から表に戻る。

先ほどは見なかった絵馬殿。

絵馬には広島からの参拝者の合格祈願もある。

下りは、下向道を通る。

 階段を下りる。

五人百姓の飴屋がある大門に戻る。

時間がたったので、参道の店もいくつか開いている。1段目の階段から計って、約2時間半の金比羅参りだった。

ここまで、宝物館や博物館が各種あったが、今日はパスしてきた。しかし、どうしても見たいところが一つある。たどり着くまで試行錯誤して、ようやく到着。

現存する日本最古の芝居小屋である、旧金比羅大芝居、別名、金丸座。
旧金毘羅大芝居:天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古の芝居小屋です。江戸時代より〝讃岐のこんぴらさん〟として親しまれ、庶民信仰のメッカとしてお伊勢参りとともに、全国から多くの参詣客で町は賑わいをみせておりました。旅人は長い石段を登り〝こんぴらさん〟に参詣し、長旅の疲れを旅籠(旅館)で癒しました。
 そんなこんぴら詣での楽しみのひとつとして、年に3回〈3月・6月・10月〉催される会式の際、町には市が立ち、芝居、相撲、軽業、操り人形などの興行が仮設小屋で掛けられました。特に芝居見物は最大の楽しみだったに違いありません。
 「金毘羅大芝居」の劇場が創建されるまで、その都度、仮小屋を建てての芝居興行でしたが、天保6年、高松藩寺社方より常設の芝居小屋建設の許可が下り、当時の大阪道頓堀にありました大西芝居(後の浪花座)の規模、様式、構造を模して、富籤(現代の宝くじのようなもの)の開札場を兼ねた常小屋として建てられました。そして江戸、大阪、京都の大都市にある劇場に匹敵するものとして当時「金毘羅大芝居」の名は全国に知られ、東西の千両役者がこぞって「金毘羅大芝居」の檜舞台を踏んだといいます。
 しかし時代は移り変わり人々の娯楽の変化とともに近代以降、小屋は映画館と変り小屋の内部なども様式を変えてゆきます。また所有者が変わるたびに芝居小屋の名称は「金毘羅大芝居」より「稲荷座」「千歳座」「金丸座」と改名され、やがて興行は衰退し廃館となります。小屋も荒廃が進み、朽ち果ててゆく運命でした。
 けれど、そんな芝居小屋を町の人々は熱心に保存を望みました。江戸時代より現代に至るまで風雨に耐え火災にも遭うことなく奇跡的に残った最古の劇場「金毘羅大芝居」を後世に残すため多くの人々により保存運動が始まります。その活動はさらに広がりをみせ、国内外の建築、演劇に携わる専門家も加わり、芝居小屋を訪れ専門的な調査も行われます。やがて人々の願いは国にとどくこととなり歴史的、文化的価値が認められ昭和45年6月17日「旧金毘羅大芝居」として国の重要文化財に指定されます。
 そして、昭和47年より4年の歳月をかけ昭和51年3月に現在の愛宕山中腹に移築復元され、天保の時代そのままの姿に甦ったのです。 (こんぴら歌舞伎オフィシャルサイトより)

金丸座は現役の芝居小屋である。近々、歌舞伎の興業も予定されている。

入場料を払って、小屋の中に入る。

ボランティアのおじさんが熱心に説明している。

舞台から客席。

舞台裏の、役者控え室。

楽屋番控。

舞台の下に降りる。いわゆる、奈落。
奈落:仏教における地獄。また地獄に落ちること。梵語の naraka(ナラカ)を日本で音写したもの。
上記が転じて、日本の劇場における舞台の下や歌舞伎の花道の床下の空間の通称。廻り舞台や迫り出しの装置があるほか、通路にもなっている。名称の由来は、深く暗い所にあるからというのが一般的。また一説に、華やかな舞台の裏には常に嫉妬があり、それが怨念となった魔物が薄暗い舞台下に潜んでおり、時折これが悪さをするから舞台事故が起こるとかつては信じられていたことによるものとも。(ウィキペディアより)

廻り舞台を動かす装置。4人で回せるよう工夫してある。

奈落の底を進む。

1階に戻り出ようとすると、おじさんが2階もあるという。2階に上がり、舞台を見下ろす。2階には個室が用意してある。帰り際に、おじさんに現役の芝居小屋を確認すると、そうだと言う。本当は、歴史遺産として保存したいのだが、歌舞伎俳優の故五代目 中村 勘九郎の遺志により、芝居を続けていると言う。

金丸座を出て、高台から町並みを臨む。
金倉川に架かる一ノ橋を渡る。橋の向こうは商店街。このルートが表参道に直結している。

橋のかかる金倉川。

琴電琴平駅。

午後の目的地、屋島に行くため、高松に向かう。

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