2019年6月11日火曜日

城山・仙厳園 (2019. 6.11)

3連休が取れたので、当初は箱根に行くつもりだったが、5月19日、火山活動の活発化により大涌谷近辺への立入が禁止になった。箱根観光で、やはり大涌谷ははずせないので、もう一つのプランで用意していた鹿児島に行くことにした。
1日目は、西郷隆盛ゆかりの地を訪ねる鹿児島市観光、2日目は桜島、3日目はレンタカーを借りて、指宿から枕崎・知覧を走る計画を立てた。

広島を6:45の鹿児島中央行き新幹線で発ち、9:35に鹿児島に着く。

駅前に建つ彫像、若き薩摩の群像。

路面電車の市電に乗り、市役所前で降りる。鹿児島の路面電車は、路面が緑で風情がある。

鹿児島城跡、通称鶴丸城跡に向かう。堀には睡蓮が咲き始めている。

ドラマのシーンでよく使われる、鶴丸城の御楼門、現在工事中。この他、鹿児島市内はいたる処、工事中だった。
鹿児島城:鹿児島(鶴丸)城は、慶長6年(1601年)頃に、のちに島津家第18代当主・初代藩主となる家久が建設に着手した島津氏の居城で、背後の山城(城山)と麓の居館からなる城。(鹿児島県観光サイト・かごしまの旅より)

天守閣はなく、裏の城山が天守閣代わりになる。西南戦争で薩摩軍は城山に本営を築いた。城跡には黎明館(歴史資料センター)がある。今日はトイレだけ借りた。

黎明館の前に篤姫の彫像。

鶴丸城跡を出て少し歩くと、西郷隆盛像がある。

道路を挟んだところに撮影スポット。ここに立って写真を撮ると、犬が一緒に写る仕掛け。

照国神社の前を通り城山に向かう。

向こうの山が城山。標高は100mくらいだろうか。

城山遊歩道入口。

このマップを道案内にする。遊歩道の随所にもあるマップ。

遊歩道は緩やかな坂になっている。

城山展望台まで1000m。

途中、蓋をされた洞窟がある。これも西南戦争の跡だろうか。

城山展望台に到着。人気の観光スポットで、人が多い。

明日訪れる桜島と鹿児島市街が見渡せる。

展望台から、西南戦争で西郷隆盛が最後に過ごした洞窟に向かう。

その途中の「城山ドン広場」の奥にある、西南戦争薩摩軍本営跡。

隣に貯水塔が立つ。この貯水塔が薩摩軍の水源になったのかは、よくわからなかった。
周囲を最終的に約5万人の官軍が囲んだ西南戦争の最終局面、城山の戦い。
対する西郷軍は約300人で守っていました。(かごしまみて歩きより)

西郷隆盛洞窟は展望台からかなり離れたところにある。途中ここにもふたをされた洞窟がある。危険なので市が工事してふさいだとのこと。

城山からずっと坂を下りる。

西郷隆盛洞窟。
明治10(1877)年2月、鹿児島城下を出発した薩軍ですが、九州各地で転戦したのち、8月に解散。その後西郷隆盛の一行は九州の山間地を越えて鹿児島を目指し、9月1日、再び城下に戻り、城山に立て籠もりました。西郷が最後の五日間を過ごしたのがこの洞窟と伝えられています。(かごしまの旅より)

奥行きが4m、間口が3m、入口の高さは2.5m。

 ここで西郷隆盛が人生最後の数日を過ごしたのかと想像すると感慨深い。

洞窟からさらに坂を下る。日豊本線トンネルの入口に掲げられた「敬天愛人」の文字。「敬天愛人」は西郷隆盛が好んで使った言葉。

橋の上から写す。

ズームアップ。

線路に沿ってさらに坂を下ったところが、西郷隆盛終焉の地。洞窟からそう遠くない。650mくらい。
明治10年(1877)9月1日、熊本、大分、宮崎と各地を転戦した薩軍は再び鹿児島へ帰ってきた。一時混乱した官軍も次第に薩軍を城山へ追いつめ、十重二十重に包囲した。やがて官軍の砲撃が激しくなると、薩軍は本陣を岩崎谷の洞窟へ移し、ここで西郷は最後の6日間を過ごした。9月24日未明、官軍の総攻撃が始まると、西郷は桐野利秋、村田新八などの諸将とともに岩崎谷を下って行き、谷の入口付近で銃弾を受け動けなくなったので、「晋どん、晋どん、もうここでよか」と別府晋介に介錯を頼み、自決した。(維新のふるさと鹿児島市より)

城山を一回りして、鶴丸城跡近くの薩摩義士碑に戻る。

城山遊歩道のもう一つの入口がある。

鶴丸城跡・城山を後にする。

鶴丸城跡横の交差点に、西南戦争の銃弾跡。

石垣に銃弾の跡が残る。

さて、昼からはもう一つの観光スポット、仙巌園を巡る。市役所前から路面電車に乗り、終点の鹿児島駅で降りる。鹿児島駅からバスで行けるはず。新幹線が開通するまでは、日豊本線の鹿児島駅がメインの駅だったが、現在は中央駅に比べてひっそりしている。ここも工事中。駅前ロータリーのバス乗り場をイメージしていたが、それらしきものはない。駅の係員にバス乗り場を教えてもらう。少し離れた道路わきにバス停があった。おまけに、鹿児島市内のバスは複雑で、どれが何処に行くのか、初めての自分にはさっぱり分からない。後で調べたら、一般の市営バスのほか、カゴシマシティビューとまち巡りバスがあり、それぞれ路線が異なる。鹿児島駅からは市営バスにしか乗れないので、結果的には中央駅から、後者の観光バスに乗ったほうが分かりやすかった。

なんとか市営バスに乗り、仙巌園前で降りる。

仙巌園+尚古集成館の共通チケットを買う。

さきに尚古集成館に行く。
尚古集成館:幕末、薩摩藩主島津斉彬は、西欧諸国のアジア進出に対応し、軍事のみならず産業の育成を進め、富国強兵を真っ先に実践しました。それら事業の中心となったのが、磯に建てられた工場群「集成館」です。その地に慶応元(1865)年に竣工した機械工場は、重要文化財となっており、現在内部は島津家の歴史・文化と集成館事業を語り継ぐ博物館「尚古集成館」として親しまれています。(尚古集成館HPより)

館内は撮影禁止なので外観だけ。

川を挟んで集成館の西側に、ガラス工芸薩摩切子の工場。
芸薩摩切子:薩摩藩が幕末から明治初頭にかけて生産したガラス細工・カットグラス(切子)である。薩摩ガラス・薩摩ビードロとも呼ばれた。現在は復刻生産されている。(ウィキペディアより)

熱気の中で作業が行われている。熱いのを我慢して少し見学。

溶かして柔らかくなったガラス球を職人さんが口で吹いて造形する。思うように行かないと、再度ガラスを溶かしリセットする。

集成館から仙巌園に向かう。

仙巌園に入る。
仙巌園:万治元年(1658)に19代島津光久によって築かれた島津家の別邸です。28代島津斉彬もこよなく愛し、篤姫など多くの人を魅了しました。桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な景観を楽しむことができます。およそ1万5千坪の広大な庭園には、四季折々の花々が咲き誇り、島津家の歴史を伝える史跡が数多く残されています。(かごしまの旅より)

 確かに趣のある庭園である。そして広い。

入り口でもらったこのマップを片手に歩く。小さな文字でびっしり書いてあるので、何度も位置を照らし合わせながら歩く。

入ってすぐ、反射炉跡。島津斉彬は仙厳園内に工場群を設けた。反射炉以外にも随所にその跡が見られる。

反射炉の上に立つ。

去年訪れた萩の反射炉は失敗に終わったが、ここは機能した。そういえば萩のおばちゃんが、薩摩に 対抗意識を燃やしていた。

庭園に至る道に、お土産屋が並ぶ。園内の随所に、おしゃれで新しいお土産店やレストランがある。

例によって、コンビニのおにぎりとスナック菓子をかじりながらの昼ご飯だったので、おなかがすいた。焼団子を食べる。

庭園に向かう。

薩摩示現流の資料館。

正門。いったん表に出て撮影。

仙巌園は周りの景色をとりこんだ借景の大名庭園として有名。

錫門。大河ドラマ「西郷どん」に使われた。

御殿。ここはオプションの別料金で中に入れる。自分はオプション付きの入場券だが、庭園を一巡りして最後に中に入るつもりなので、前を通り過ぎる。ここもドラマに使われた。

御殿横の庭。アヤメが咲く時期。

御殿前から桜島を望む。

ドラマで斉彬と西郷どんが相撲を取るシーン。下の広場に土俵を作って撮影された。北川景子扮する篤姫は、ここから相撲を見ていた。

園内各所に立つ、ドラマロケ地の看板。

池を渡り、御殿を横から。

山の上部の岩に刻まれた文字を発見。
巨大な岩石に刻まれた11メートルにも及ぶ「千尋巌」の大文字は、27代島津斉興が文化11年(1814年)4月に完成させたものです。これを刻むために延人員3900人と三ヶ月もの日数を要し、工事の際は磯山の杉や竹で足場を組んで作業を行ったといわれています。このように岩に文字を刻む作庭方法は日本庭園では大変珍しく、中国文化の影響と思われています。(九州倶楽部より)

高枡。水の分岐と水量を調節する水道施設。

これもドラマに使われた階段。

アジサイの向こうに水力発電用ダム跡。仙厳園が単なる庭でなく、科学技術の実験場であったのが分かる。

園内マップに乗っていた、桜島展望ポイント。

鹿児島市街方面。

桜島展望ポイントから坂を少し上る。

曲水の庭。4月に曲水の宴なるものが催される。

庭の下から。
曲水の宴とは、上流から流した酒盃が前を通り過ぎないうちに和歌を作り、盃を取り上げて酒をいただく風流な宴です。(仙厳園HPより)

 アジサイの道の向こうに小屋がある。

 迫ン太郎なるもの。
 迫ン太郎とは、谷水の流れを利用した米つき機の一種で、精米機の無かった頃、もみや玄米を精米する時に利用していました。三十代島津忠重の頃には、小屋の中にこの迫ン太郎と交互に上下する杵や臼を並べ、ここで精米したお米を食べていたとされています。
迫とは小さな谷のことで、村中で一番の働き者であった太郎の名前と合わせて、水が流れる限り絶え間なく働くこの装置を迫ン太郎と呼んだと伝えられています。(現地案内板より)

迫ン太郎の奥から約20分の遊歩道があったが、今日は暑くて体力を消耗し、例によって足首も痛むので、御殿に戻る。

靴をビニール袋に入れて持ち、中に入る。

大河ドラマ「西郷どん」出演者のサイン色紙。

御殿内の庭。

応接室。

寝室。

浴場。

トイレ。

御殿を出る。広い庭なので、手入れ用の専用車がある。

出口に向かう。

仙厳園を出る。

帰りはカゴシマシティビューに乗る。来たときの市営バスとは乗り場も経路も違う。鹿児島駅は通らなかった。

かごしま水族館前で下りる。

河べりに人が集まっている。

そういえば、野外でイルカの訓練をしているのをテレビで見たことを思い出した。

イルカが何時ジャンプするかわからない。何回かシャッターチャンスを逃して、やっとゲット。

波止場の展望灯台まで歩く。

桜島フェリーが入ってくる。

灯台の展望台から、夾竹桃の向こうに桜島。

 桜島フェリーは昼間は15分間隔。夜は1時間に1本だが、24時間運航している。

ここに来た目的の新波止砲台跡。生麦事件の後、薩摩藩がイギリスと戦った薩英戦争時の砲台跡。薩摩藩はこの戦争で近代兵器の実力を認識し、集成館に見られる科学技術の導入に進んだ。

水族館から橋を渡り元に戻り、砲台跡の全景。

ホテルに入るには早いので、バスで鹿児島市一の繁華街、天文館に行く。その名称は、かつて薩摩藩が天文観測の研究施設を建設したことに由来する。

これでもかという看板の昭和食堂。

ホテルニューニシノの温泉に入る。

夕飯は昭和食堂でなく、鹿児島中央駅地下でラーメンを食べる。

この旅で連泊する、ホテルタイセーアネックス。

2泊で1万円、24時間入れるサウナ・大浴場がある。ネットで偶然見つけたが、駅から近くお得なホテルである。大浴場は外部からも入れる。レストルームには仮眠して1泊する人もいた。

本日の行程。

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