これまで瀬戸内を中心に多くの島々を訪ねた。祝島は早い段階で候補に上っていたが、延び延びになっていて、ようやく今回訪れることとなった。祝島行きの船便は1日3便しかなく、1便は上関の室津港を6:10に出港する。朝早く出かけなければならず、日の出が早くなる季節まで待っていた。
早朝4時過ぎに車で家を出る。約1時間40分で、上関室津港に到着。車は道の駅・上関海峡の裏に駐車する。
6:10の祝島行き高速船「いわい」に乗る。自分以外のほとんどは釣り人である。
帰りは上り便、祝島12:30。おおかた6時間の島滞在になる。
約30分で祝島に到着。
このパンフレットを持参しているが…
港の近くにあった案内図で確認しておく。
祝島:瀬戸内海有数の漁場とされる周防灘と、伊予灘の境界に位置する山口県熊毛郡上関町の島である。瀬戸内海の海上交通の要衝に位置し、万葉集にも登場、古代から栄えた歴史を持つが、高度経済成長期から人口が流出。現在は漁業と有機農業で生計を立てる過疎地域。祝島の文化としてユニークな神舞と石積みの集落は2006年に発表された水産庁の未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選に選ばれた。(ウィキペディアより)
2019年3月現在で人口は350人、高齢化率75.7%。人口はこの20年で半減している。祝島のHPに詳しい。
祝島の名物である、風除けのための石積みの練り塀を通る。
平地は少なく、すぐ上り坂になる。
標高100mまで上ったところ。集落と祝島小学校を見下ろす。
さて、これといった名所はないのだが、しいて言えば、平さんの棚田と行者堂。左手が棚田、右手が行者堂。まず棚田に向かう。行者堂は帰りに登る予定。
最近通行止めに遭遇することが多い。今日も断念かと思ったが、「強風時及び雨天日とその翌日は」通行止め。今日は大丈夫のようだ。
道は同じ標高で、島を巻くように続いている。
上関方面。
枇杷の実がみのっている。
祝島は枇杷の産地。山の斜面の畑がいちめん枇杷畑。 しかし余り手入れがされていない感じ。
歩いていても人に会わない。運搬用のリフトが錆びついている。
石垣の畑があるが、これは平さんの棚田ではない。目的地まではまだかなりある。
ここにも錆びついたリフト。
ケーブルは海岸まで下りている。かつては船で運んだのだろうか。
ようやく作業する人に出会う。畑の手入れをしておられる。
歩くこと1時間、平さんの棚田に到着。
平万次氏(農業)の祖父と父が2代で築いた棚田の高石垣は、最も高いところで9メートルあり、棚田の石垣では日本最大級。V字型の空間に石を落とし込んでいく谷積みと呼ばれる手法が用いられ、数トンもある巨石から小石まで理想的に配列されています。その景色は圧巻です。宝の島100景(国土交通省)の1つに選ばれました。(上関観光協会のHPより)
平さんご自身のお話はここ。
今は耕作はされていないようだ。
道の側に石碑がある。「今日もまた 積もりし雪を かきわけて 子孫のために ほるぞうれしき」と読めた。
上に小さな住居がある。
その前を通り、上の棚田に登らせてもらう。
これをみな人力で作られたと思うと頭が下がる。
棚田の上から。中央左が、無人島の宇和島、その左はおそらく有人島の八島。
ここで暮らしながら、棚田を作り耕されたのか。
住居の前にノートが下がっていた。書き込み用のようである。最後は今年4月29日になっている。自分も日付を名前だけを記した。
帰り道、最初に出会った老夫婦にまた出会った。自転車で行く心積もりだったが、山道の自転車は禁じられているので、意に反して歩きになった。後どれくらいかを案じておられたが、せっかくなので行くことを勧めて分かれた。
上の畑で作業している人を発見。
さらに、バイクで作業に向かうおじさんとすれ違う。ウォーキングの間、合計3人の作業者に出会った、それでも、畑の多くは放置されている気がする。
行者堂との分岐点まで戻ったが、例によってトイレに行きたくなった。普段は便秘気味なのだが、歩くことで腸の働きが活発になり催す… よくあるパターンだ。船着場にきれいなトイレがあったので向かったが、船の発着時間以外は閉まっている。困ってうろついていると、地元のおばちゃんが、公園の中にあることを教えてくれた。なんとか間に合った。
公園には、万葉集に収められた、祝島を詠んだ遣新羅使の歌碑が立つ。
港では、木造船を建造中。
時刻は9時半。船の時間まで3時間もある。行者堂に行くには、下りてきた道をまた登らなければならない。少し暑くもなってきたので、先に自転車を借りて、島の北部に行くことにする。
自転車はチャリンコハウスで借りる。
係員不在なので、封筒に¥300入れてポストに入れる。
チャリンコで島の北部に向かう。
「原発絶対反対」。自分もそう思う。
島の北端を回る。
西約1kmに浮かぶ、無人島の小祝島。
小祝島と小島。
北東方向には、牛島。室積みから定期船が出ている。いつか行こうと思う。
北は、光・下松。
島の西側は三浦湾という。
集落はないが、公衆トイレがある。観光客用か。
とりあえず行けるとこまで行ってみる。
ログハウスがあるが、現在は使用されていない。
道はここで行き止まり。
三浦湾を見渡す。向こうからぐるっと回ってきた。人のいない静けさの中、先ほどから銃声らしき音が響く。おそらくイノシシ狩りだろう。最近知ったがイノシシは泳いで海を渡るそうだ。行く島々でイノシシによる被害が多発しているが、泳いでたどり着いたものもいるだろう。
小祝島と小島の間、かすかに島影が見える。方角からすると、昨年行った大分県の姫島だろう。
港に戻ってきた。自転車を返し、コーヒー店が営業中なので入る。
アイスコーヒーを飲みながら休む。
船の時間まで小1時間。行者堂に登るには足りないので、集落を歩く。
瓦が風で飛ばないように、石で押さえている。
祝島小学校。
現在休校中。最近、子供が1人誕生し、その子が通うとしになると再開するとか。
校庭から集落を臨む。
石積みの練り壁沿いに港に戻る。
郵便局は営業中。
お巡りさんは「外出中」。用事があるときは100番するように。
港から。集落は斜面に並んでいる。
帰りの船を待つ。
待合室の中。『鶴瓶の家族に乾杯』のポスターがはってある。又吉直樹と祝島を訪れたようだ。近々放映される。
祝島を後にする。
祝島の全景。
上関大橋の下をくぐる。
船内には、出荷されるビワの荷物が積まれている。畑が放置されているように見えたが、それどもいくつかは現役である。
室津港に戻る。途中に港はあったが、乗る人も降りる人もいなかった。この船は柳井港まで行くのだが、全員室津港で降りた。
道の駅で、昼飯代わりに、あつあつのてんぷらを買う。
表のテーブルでいただく。歯ごたえがあり、おいしい。
鳩子の湯で風呂に入り、帰る。
今日の行程図。
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