2019年6月13日木曜日

指宿・知覧 (2019. 6.13)


鹿児島の旅3日目は、レンタカーでメインの知林ヶ島、長崎鼻・枕崎、知林の武家屋敷を見て鹿児島市に戻るコース。ホテル近くのオリックスレンタカーが8時からなので、朝風呂に入り朝食を取ってゆっくりする。

8時前にホテルを出る。鹿児島市街は路面電車も走り、知らない道なので走るのに緊張する。路面電車のある交差点では右折しない経路を考え、ストリートビューで何度も予習し、運転に臨む。

知林ヶ島に行く途中の道の駅で一休み。今日の車は、日産のデイズ。右から3代目の青い車。

道の駅から見える、おそらく知林ヶ島。

知林ヶ島駐車場に到着。

 公園内を抜ける。

反対側は切り立った崖の魚見岳。上には展望所もあるようだ。

「本日は12:40頃に砂州が消える。12:10までには戻るように」との注意事項。このページで干潮時刻は調べてきた。比較的長時間、砂州が現れる。

いざ、知林ヶ島へ。
鹿児島湾(錦江湾)に浮かぶ美しい無人島です。3月から10月にかけての大潮又は中潮の干潮時には、長さ約800mの砂の道(砂州)が出現し、知林ヶ島に歩いて渡ることができます。
陸と繋がる島であることから、縁結びの島とも言われ、島には周遊道路や展望台、「チリンズベル」と名づけられた鐘などが整備されています。(いぶすき観光ネットより)

風が強いのが録音で分かる。

島に向かって左側は内海の錦江湾に面して波が緩やか。

右は外海に面して、波が荒い。

かなり歩いて、本土を振り返る。女子4人組が帰っていく。

知林ヶ島に到着。歩いてきた道は「ちりりんろーど」と名づけられている。同じ砂州渡りの小豆島のヴィーナスロードのように愛称がついている。

知林ヶ島から、鹿児島市方面

大隅半島。

来る前に気になっていたことがある。万が一、潮が満ちてかえれなくなったら、今まで帰れなくなった人がいるのか。①指宿漁協、②海上タクシーの連絡先が掲示してある。ただし有料である。

渡ったところには、市のおじさんたち3人が待機している。無謀なことをする人をチェックするため。おじさんに②の質問をしてみた。帰れなくなり、自力で泳ごうとして溺れかけた人がいたとのこと。おそらく、海上タクシーは有料なので泳ごうとしたのだろう。結局、海上保安庁の世話になった。
おじさんとしばらく談笑する。自分は一人で広島から来たこと、おじさんはすかさずカープのことを話題にする。知林ヶ島には展望台もあり、今日は時間がたっぷりあり登れるよ…と勧められるが、慣れない道路の運転が待っているので、またゆっくり来登ると返事する。

記念に100円払って、渡島証明書を発行してもらう。おまけに「指宿」の文字の入った貝殻をいただく。

渡島証明書。

 おじさんたちに挨拶して本土に返る。

途中、ドローンで遊んでいる家族に出会う。

1回で10分くらいしか飛べないとのこと。

今日は日がいいのか、渡る人も増えてきた。

本土に戻る。これから渡ろうかどうか思案中のシニアグループ。


知林ヶ島を後にし、次の目的地、西大山駅に到着。

日本最南端の駅として有名。

駅前にある「幸せを届ける黄色いポスト」。いかにも、インスタ女子受けするもの。

ホームに立ち、指宿・鹿児島方面。

枕崎方面。

「日本最南端の駅」で売り出し中。

きれいな三角形の開聞岳。標高は900m以上ある。いつか登ってみたい。

タクシーをチャーターして女子がやって来た。運転手さんに写真を撮ってもらっている。島根から来たという。やはり、ここはSNS関連の訪問者が多い。

駅前にある土産物店。本数も少なく乗客はほとんどないが、駅自体が観光地になっている。

 予定通り次の長崎鼻に着く。駐車場は各土産店の有料駐車場があるが、ジュース1本でも買うと無料になる仕組み。

「にしき堂」の駐車場に停めて、岬に向かう。

浦島太郎云々の竜宮神社。
龍宮神社(りゅうぐうじんじゃ)は,竜宮伝説発祥の地である長崎鼻にある豊玉姫(乙姫様)を祀った神社です。海の守り神と浦島太郎と乙姫様が出会った縁結びの神様として大切にされています。(いぶすき観光ネットより)

先端の灯台までは遊歩道がある。

浦島太郎を二回まわり亀を撫でると夢が叶うという… ここでまた島根のソロ旅女子に遭遇する。どうやら同じ観光地を巡っているようだ。

長崎鼻から開門岳を臨む。
薩摩半島の最南端に突き出た岬です。岬の西方には弓なりの砂浜が続き,その端に開聞岳がそびえ立っています。天気のいい日には,南の洋上に屋久島・竹島・硫黄島を望むことができます。遊歩道の一角には,篠原鳳作の句碑が建っています。隣接する赤水鼻はソテツ自生の北限地とされ,国の特別天然記念物に指定されています。(いぶすき観光ネットより)

遠くに見えるのが長崎鼻灯台。

灯台に向かう。

長崎鼻灯台。

灯台から南、岩場が続く。

灯台から開聞岳。

灯台から大隅半島。

せっかくなので岩場の先端まで行くことにする。

足場が悪いので注意して進む。

ところどころ歩道があるが…

平均台のように狭い道もある。

先端に到着。

岬の先端から開聞岳。

灯台に戻る。男子グループが前を歩く。 後で聞いたら名古屋から着たとのこと。昨日は知林ヶ島に渡ったが、道が消える寸前で、足を海に浸して帰ってきたとのこと。

 灯台まで戻る。

駐車場に戻る途中、西側の海岸は砂浜。

東は溶岩の岩場。

にしき堂で駐車料金代わりのミネラルウォーターを買う。長崎鼻、下調べをしていなくて、ただの岬かと思っていたが、予想以上の風景に出会えた。

駐車場に戻る途中、テレビで取り上げられた看板。

次に向かったのは、たまて箱温泉。眺望のいい露天風呂で有名な風呂であるが… 本日定休日。チェック漏れだった。まあ、暑いし後の運転を思うとゆっくり入る気分でもないので、さほど落胆はしない。

温泉の側には岩山がそそり立つ。

近くで湯気が立ち上る。

後で調べたら、温泉熱を利用した製塩工場のあとがあるらしい。砂むし温泉もあり、よく調べて改めて来て見たい。

 温泉には入れなかったが、結果的には今日のスケジュールからすると、時間的は帰ってよかったかもしれない。枕崎に向かう途中、緑地を前景にした開聞岳。昼ごはんはコンビニでおにぎりを買い、駐車場で済ます。

枕崎火ノ神公園に到着。
坊野間県立自然公園の表玄関にあたる火之神公園。雄大な景観は、薩摩半島随一を誇り、正面のさつま富士「開聞岳」と沖にそびえ立つ標高42mの立神岩が印象的で、枕崎の原風景として市民に愛されています。古事記や日本書記に登場する「山幸彦」が、旅の途中で立ち寄ったとの謂れのある土地で、地名である「火之神」の由来とされています。(まく旅より)


ズームアップ。

遠く開聞岳を臨む。

外海に面して、波が荒い。

 風に乗り鳥が舞う。

遊歩道があったが今日はパス。

平和祈念展望台がある。

登ってみる。

開けた展望は余りなかった。

もう一つの道があり、岬の上までいけるかと思ったが、通行止め。

火ノ神公園を後にする。

スーパータイヨーの駐車場に車を停めて枕崎駅に行く。そもそも枕崎に来たのは終点の印を見たかったため。

枕崎駅。列車の本数は2時間に1本くらい。

指宿・鹿児島方向。

終点の印。ここで線路は終わる。

枕崎観光協会、西大山駅が日本最南端の駅なのに対し、ここは「最南端終着駅」となっている。最南端の意味がいまいち不明。

さて今回の旅の最後の目的地は知覧。大河ドラマ「西郷どん」のロケにも使われた武家屋敷が有名である。枕崎から車で30分11。武家屋敷の前に、知覧特攻平和会館に寄る。近くのJAの駐車場に停めたが、知覧文化会館のほうが近かった。

歩いて知覧特攻平和会館に向かう。

知覧特攻平和会館。
この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
 私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。
 特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことは、再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろうと思います。
 この地が出撃基地であったことから、特攻戦死された隊員の当時の真の姿、遺品、記録を後世に残し、恒久の平和を祈念することが基地住民の責務であろうと信じ、ここに知覧特攻平和会館を建設した次第であります。(知覧特攻平和会館HPより)

館内は撮影禁止。唯一撮影したゼロ戦。海に沈んでいたのを引き上げたもの。胴体は半分ちぎれ痛々しい。

会館を出て裏に行く。

三角兵舎がある。 敵機に見つからぬよう林に紛れて建てられた。敵機を意識しなければならないのは、戦争が追い詰められていたためだろう。

特攻隊員が最後の夜を過ごした兵舎。 ここで遺書を書いたと思うとやるせなくなる。
 これは、特攻隊員たちが出撃するまでの起居していた半地下式の三角兵舎を会館横の杉林に復元したものです。三角兵舎の中で隊員たちは、日の丸に寄せ書きを書いたり、故郷へ送る遺書や手紙を書いたりしていました。(知覧特攻平和会館HPより)

なんともやるせない気持ちで平和会館を後にする。

武家屋敷近くの有料駐車場に停める。

知覧武家屋敷。
江戸時代、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる102の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に麓と呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を結集させることなく分散して統治にあたらせました。知覧もその一つです。「知覧麓の武家屋敷群は、薩摩の麓の典型的な作例の一つで、折れ曲がった本馬場通りに沿って連なる石垣と生垣からなる景観にも優れ、我が国にとってその価値は高い。」として、昭和56年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されいます。また、同時に地区内の7つの庭園が「優れた意匠で構成されており、その手法は琉球等庭園と相通じるものがあり、庭園文化の伝播を知る上でも貴重な存在である。」として国の名勝に指定されました。指定された7つの庭園の中で森重堅邸庭園のみが池泉式で、ほかは全て枯山水式となっていて、今に残る枯山水の伝統美と時代の息吹を感じさせてくれます。(知覧武家屋敷庭園公式HPより)

案内所があって見学料¥500となっていた。とおりを歩くだけでも有料なのかと思ったが、各所にある庭園に入るための入園料だった。パンフレットがチケット代わりになる。

見事に手入れされた植木の道。

①西郷恵一郎庭園

②平山克己庭園

なかで職人さんが仕事中。

表でも生垣を刈っている。自分もかつて植木屋の見習いをしたことがある。生垣を刈っているうち、手が疲れて下がり、斜めになったのを思い出す。

③平山亮一庭園

まっすぐな道。

半分くらいまで歩いたか。稽古場跡。

「西郷どん」ロケ地の看板。

 知覧型二ッ家。

 さらに道は続く。

④佐多美舟庭園

⑤佐多民子庭園

⑥佐多直忠庭園

ところどころにカフェなどがあるが、今日は閉まっている。

ここは無料公開の旧高城家住宅。

ようやく武家通りの終着地に来た。

⑦森重堅庭園

ここには売店もあり、係りの人もいた。

これまでの庭と少し趣が違う。様式が異なるらしい。

来た道を戻る。

生垣は高さがきれいに揃えられていた。

鹿児島に戻るため、知覧ICから指宿スカイラインに入る。指宿スカイラインは高速ではなく、信号のない一般道。工事が多かった。

指宿スカイラインには各所に展望台がある。そのなかでも大きな錦江台展望公園。

 吊橋を渡って展望台に行く。

橋の下にはアジサイの群生。

展望台に到着。

遠く桜島を見る。

レンタカーは18時まで借りていたが、17時半には返却した。

錦江台展望公園のあとにもう一つの展望台、錫山展望台に寄って旅を振り返るつもりでいたが、錫山展望台は工事中のため登れなかったので、中央駅8回にある観覧車に乗ることにする。

以前、ゴンドラのドアを閉め忘れるという事故を起こしているの知っている。おねえさん、ちゃんと閉めてよ。

1周約15分。

鹿児島中央駅。九州新幹線の始発。

一番上まで到達。

桜島方向。朝はイオンの横の道路(ナポリ通り)を走って出発した。

仙巌園方向。手前に連泊したホテル。

城山方向。

18:29のさくら新大阪行きに乗る。

3日間歩き回り、名残惜しい。

電車の待ち時間があれが、駅地下で黒豚を食べようと思ったが、余裕がなかったので、駅弁の黒豚弁当(最後の一つだった)を新幹線の中で食べる。

今日の行程。よく走った。

昨年の比叡山他に続く2泊3日の旅だった。2泊3日だと、自分は人生の旅人であることを感じる、旅愁深い旅になる。なんとも去りがたい気持ちで旅を終えた。

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