2019年7月2日火曜日

出雲大社 (2019. 7. 2)


ホテルは宍道湖の湖畔にある。ホテルを出て宍道湖湖畔を散策。

朝の宍道湖の風物詩と言われるしじみ取り。

湖畔を歩く。

 しじみ取りにズームイン。大きな柄杓に足でしじみを掻き入れ掬い上げる。

しじみ関係の資料を展示したしじみ館がある。まだ朝早いので閉まっている。

しじみ館の前に展示されたしじみ舟。

一畑電鉄の松江しんじ湖温泉駅。中井貴一主演映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』に、一畑電鉄が舞台になったので、それを売りにしている。

駅前には足湯がある。

出雲大社駅行きの電車に乗る。

車内には宍道湖を眺めるための座席がある。そこに座ったが、途中、一畑口駅で向きが変わるのでそこからは山側になった。

川跡駅で、大社線に乗り換え、大社駅に向かう。

一畑電鉄出雲大社前駅。

参道の南、大鳥居が見える。

参道を北へ、大社に向かう。

出雲大社前に到着。

出雲大社境内図。


 少し下り気味の参道を歩く。

ここから大社まで、松の参道。松の保護のため左右を歩くようになっている。

参道の西側にはウサギの彫像が並ぶ。

大国主命と因幡の白兎。

手水場も格式あるもの。

歩いてきた松の参道。

 銅門をくぐり境内に入る。
 たくさんの絵馬が奉納されている。


出雲大社拝殿。
出雲大社:縁結びの神・福の神として名高い「出雲大社(正式な読みはいづもおおやしろ)」は、日本最古の歴史書といわれる『古事記』にその創建が記されているほどの古社で、明治時代初期まで杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていました。
主祭神はだいこく様として馴染みの深い「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」で、『古事記』に記される国譲り神話には、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲り、その時に造営された壮大な宮殿(※)が出雲大社の始まりといわれています。(出雲観光ガイドHPより)

大きなしめ縄。賽銭を入れて参拝。

御本殿に向かう。

 ご本殿はこの八足門の奥にある。御本殿には出雲国造家のみが入ることができ、天皇家も入れない。ここでも賽銭を入れて参拝。

 少し離れて八足門。

銅門を出て、ムスビの御神像。
「ムスビの御神像」は、「銅鳥居」の手前右手に置かれています。この「ムスビの御神像」は、1986年(昭和61年)に寄進された像で「大国主神」の前に、「幸魂(さきみたま)」・「奇魂(くしみたま)」といった「魂」が現れて、その「魂」を頂く時の場面を表現しているそうです。(ここの記事より)

 松の参道の東側の広場を歩いて戻る。

松の参道の前にある浄めの池。

椅子に座り朝食を取る。

大社の横の脇道から、古代出雲歴史博物館に向かう。

古代出雲歴史博物館。

昨日の風土記の丘に比べるととても立派な施設である。

ここでもフリー乗車券の割引が有効。ただ、来店東京での特別展示に、出雲からも出品されるため、この博物館の展示が空になり、半年間休館、リニューアルするそうだ。

入ってすぐ、出雲大社本殿を支えていたといわれる「宇豆柱」

館内はフラッシュなしで撮影可能。かつての大社本殿1/10の模型。何種類かの案がある。

その中で一番大きいもの。

 高さ48m。先の宇豆柱がこれを支えていた。

本殿の上の交差した巨大な木材(名前が分からない)。

朝汲促戸(あさくみせと)の市。館内には資料を基に再現した風俗の模型が展示してあって、遺物よりも興味を引かれた。

須恵器を焼く様子。

 朝汲促戸(あさくみせと)の筌漁(ひびりょう)。小枝の束を水に差して魚がかかるのを待つ原始的な漁法。

古代の舟の模型。

男女の出会いの場、歌垣。

銅鐸の展示コーナー。

たくさんの銅鐸が並ぶ。

中が磨り減った銅鐸。中を振り子で叩いて音を出した。

銅剣の展示は圧巻だ。

山の神に銅剣を捧げる様子。

銅鏡。

昨日風土記の丘にあった岡田山1号墳に葬られた人たちの想像図。

これも昨日行った岩屋後古墳の模型。

埴輪。

玉作りの様子。

館内の見学を終える。ゆっくりまわれば半日はかかるだろう。多くの興味深い展示があった。2Fは喫茶と展望所、売店がある。

博物館を後にする。

さて、出雲大社のあとは、稲佐の浜から日御碕に行く予定だが、バスは極端に少なく歩いていける距離でもない。そこで、いつものように自転車を借りることにする。来たときに電車の駅で自転車を見かけたが、博物館のおねえさんに確認したら、やはりそこでレンタルできるとのこと。

1日¥800で電動自転車を借りる。

先に大社とは反対側の南に下る。先ほど遠くから見た大鳥居。

そして、南下した目的地である旧JR出雲大社駅。
出雲大社駅:駅舎は明治45年(1912)に国鉄大社駅の開通により開業され、大正13年(1924)2月に新たに改築されました。出雲大社の門前町にふさわしい、純日本風の木造平屋建てで、和風趣向の際立つ建物です。JR大社線は、平成2年(1990)3月31日に廃止され、その後旧大社駅舎は平成16年(2004)国の重要文化財に指定されました。(出雲観光ガイドHPより)

今も観光施設として保存されている。

ホームに出る。

出雲市方面。

プラットホーム。

かつては大勢の利用者が通ったであろう改札口。

駅舎を斜めから。

「このポストは復元したもので使用できません」

次に、出雲大社の横を通り、稲佐の浜に向かう。途中、歌舞伎の始祖・出雲阿国(いずものおくに)の墓に寄る。
出雲阿国:安土桃山時代の女性芸能者。ややこ踊りを基にしてかぶき踊りを創始したことで知られており、このかぶき踊りが様々な変遷を得て、現在の歌舞伎が出来上がったとされる… 出雲国杵築中村の里の鍛冶中村三右衛門の娘であり、出雲大社の巫女となり、文禄年間に出雲大社勧進のため諸国を巡回したところ評判となったとされている。(ウィキペディアより)

墓は小高い丘の上にある。

稲佐の浜に到着。
稲佐の浜:出雲大社の西方1kmにある海岸で、国譲り、国引きの神話で知られる浜。浜辺の奥に大国主大神と武甕槌神が国譲りの交渉をしたという屏風岩があり、海岸の南には、国引きのとき、島を結ぶ綱になったという長浜海岸(薗の長浜)が続いています。また、この浜は旧暦10月10日に、全国の八百万の神々をお迎えする浜でもあります。(出雲観光ガイドHPより)

 稲佐の浜にある弁天島。
稲佐の浜に一際目立つ丸い島があります。地元では「べんてんさん」と呼ばれて親しまれている島で、かつては稲佐湾のはるか沖にあったため、沖ノ御前、沖ノ島と呼ばれていました。昭和60年前後までは、島の前まで波が打ち寄せていましたが、近年急に砂浜が広がり、現在では島の後まで歩いて行けるようになりました。(出雲観光ガイドHPより)

 稲佐の浜、出雲市方向。

稲佐の浜、日御碕方向。

今日のマイバイシクルと弁天島。

さらに、稲佐の浜を上から見るために、近くの奉納山に登る。電動なのでなんとか登れる。

山頂の奉納山公園に到着。

山頂にある出雲手斧神社。

展望台の上から、出雲大社方向。

展望台の上から稲佐の浜。

弁天島が見えないので見そうなところを探す。

奉納山山頂から、弁天島。

奉納山を下りる。歩きの場合はここから歩いて登る。

稲佐の浜を後にし、日御碕に向かう。途中、稲佐の浜を振り返る。

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