2019年7月2日火曜日

日御碕・足立美術館 (2019. 7. 2)


稲佐の浜から日御碕までは約8km。順調に自転車を漕ぐ。

褶曲運動により傾いたと思われる地層。出雲の伝説によると、朝鮮半島の新羅からひっぱて来てできたのが日御碕とのこと。途方もない話だが、日本列島自体、プレート運動により大陸から剥がれるようにしてできたわけだから、イメージとしては自然な発想かもしれない。
出雲の国引き神話:むかーしむかし。出雲の国に八束水臣津野命という神様がおられました。
「この国は何度も狭い国だ。まるで、細長く置かれた布のようだ。」と憂えて、海の彼方をご覧になると、新羅の国に土地が余っているのを発見されます。
「余っている土地を引いてこよう」と決断なさると大地に大きな杭を打ち、大きな縄を掛けると、反対側を新羅の国に引っ掛け、ぐいぐいと引っ張りました。
そして引き寄せられた土地は現在の出雲大社がある杵築(きずき)の岬となり、打たれた杭は三瓶山(さんべさん)別名 佐比売山(さひめやま)となったのです。
また、この引っ張るのに使った綱は薗の長浜になったのです。出雲大社から大田市へ走る日本海沿いの道路ですね。
このあとも命は沢山の島を引き寄せます。鹿島町あたりは隠岐の島から、本庄町あたりは良波(比定地不明)の国から、美保関は能登半島から、その時打った杭は大山となり、引っ張るのに使った綱は弓ヶ浜になったのです。このように八束水臣津野命の神話は他の神様とはスケールが違い、物凄くダイナミックです。
この神話は出雲風土記のみに収録されています。(出雲大社の歩き方より)

8km、楽勝と思っていたが、アップダウンが多く遠く感じられる。まだまだ先、あの向こうか。

海岸の景勝が目立つ。

マップで見ると幕島とある。半分を過ぎたところ。

奇岩景勝を見ながら進む。

日御碕神社近くに到着。

神社までは本線を逸れて下りまた上って来なければならない。自分の体力も電動自転車の電池残量も気になり、今日は遠くからバーチャル参拝。

日御碕に到着。

日御碕灯台に行くために商店街を通るが、ここで20数年前にここに来ていることを思い出す。ただ、灯台の風景がおぼろげながら浮かぶだけで詳細は思い浮かばない。今回のように、新羅から引っ張ってきたという神話も知らなかったので、ただ漫然と観光地として歩いていたのだろう。

日御碕灯台。
島根半島の最西端の断崖にそびえる「出雲日御碕灯台」。明治36年(1903)に設置され、高さ43.65m、海面から灯塔の頭上までは63.30mと、日本一の高さを誇ります。真っ白な外壁は、松江市美保関町で切り出された硬質の石材、内壁はレンガ造りで、外壁と内壁の間に空間を作った特殊な二重構造になっています。光度は48万カンデラで、夜間は約40km沖合まで達し、100歳を越えた今なお現役で海の安全を守っています。その歴史や文化的な価値の高さから、平成10年に「世界の歴史的灯台百選」に、また平成25年には国の登録有形文化財に選ばれています。 (出雲観光ガイドより)

灯台を見上げる。

海岸沿いに歩いていく。

灯台のある岬から、遊歩道のある岬へ。その間にある谷間。

 灯台を振り返る、一人旅女子が歩いている。指宿もそうだったが、一人旅女子が多い。

遊歩道を歩く。

展望台に出る。

このあたり、細い柱状節理で出来ている。

展望台から、経島(ふみしま)を見る。

展望台から経島に向かう。

 経島を眺める展望台。

経島。ウミネコの繁殖地でもある。
経島:天照大神が日御碕神社に祀られる以前に鎮座されていたという経島(ふみしま)は、日御碕神社の西方約100m沖の海上にあり、面積約3000平方メートルの無人島です。
柱状節理の石英角斑岩からなり、その形状が「経典」を積み重ねたように見えるためその名がついたと伝えられています。経島はウミネコの繁殖地としても有名で、国の天然記念物に指定されています。毎年11月下旬から冬にかけて約5000羽ものウミネコが飛来、4月〜5月にかけて産卵・孵化し、ひなの成長をまって7月頃に島を飛び立っていきます。この島は日御碕神社の神域として神職以外の一般の立入りは禁止されており、年に一度8月7日の例祭の時のみ、宮司だけがその島に舟で渡ることができます。別名夕日の祭りといわれ、刻一刻と日が沈む中で執り行われる様子は神々しさが漂います。(出雲観光ガイドより)

経島をズームアップ。

 予定では大社まで帰り、出雲そばを食べるつもりだったが、空腹状態で坂のアップダウンを帰っていく余力はない。商店街の一つで昼ごはんにする。

サザエのつぼ焼きと…

出雲そば。

道は工事が多く、信号付き片側通行が3ヶ所もあった。

出雲大社前まで戻る。朝、宍道湖でしじみ取りを見て、しじみを食べたいと思ったが、空いている店はなかった。ここでしじみ汁を発見。

1杯¥500だが、とてもおいしく満足した。

次の目的地、足立美術館に行くには、JR安来駅に行かなければならない。まず、バスで大社前駅からJR出雲市駅に向かう。電車で向かう方法もあるが、乗り換えだし今の時間、1時間に1本しかない。バスは13:20。待つ間に、駅のそばに展示してある、電車を見学。映画に使われたものと同じモデル。

中にも入れる。

バスがやって来たので、JR出雲市に向かう。

 JR出雲市駅に到着。

余り待つこともなく、特急がやって来た。

14:40、安来駅に到着。

駅の中はシャレた造りだ。日田駅もそうだったが、地方のJR駅が面白い。

足立美術館には無料のシャトルバスが30分おきに運行している。15時のバスに乗る。

足立美術館は安来駅から山間部に入ったところ、バスで約20分で到着。

入場料は¥2300と高額だが、米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」による庭園ランキングで、16年連続日本一に選ばれた、とても美しい庭園がある。自分はNHKの「ニッポン印象派」で知った。横山大観他の美術作品も展示されているが、自分にとってはやはり庭がメインである。

苔庭。

 足立美術館の創設者、足立全康の彫像。
足立美術館:地元出身の実業家・足立全康(あだちぜんこう、1899年 - 1990年)が1970年(昭和45年)、71歳のときに開館したものである。質量ともに日本一として知られる大観の作品は総数130点にのぼり、足立コレクションの柱となっている。大観のほかにも、竹内栖鳳、橋本関雪、川合玉堂、上村松園ら近代日本画壇の巨匠たちの作品のほか、北大路魯山人、河井寛次郎の陶芸、林義雄、鈴木寿雄らの童画、平櫛田中の木彫なども収蔵している。足立全康は裸一貫から事業を起こし、一代で大コレクションをつくりあげたが、その絵画収集にかける情熱は並外れたものであったらしく、数々の逸話が残されている。なかでも大観の名作『紅葉』と『雨霽る』(あめはる)を含む「北沢コレクション」を1979年(昭和54年)に入手した際の武勇談は有名である。
足立美術館のもう一つの特色は、その広大な日本庭園である。庭園は「枯山水庭」「白砂青松庭」「苔庭」「池庭」など6つに分かれ、面積5万坪に及ぶ。全康自らが、全国を歩いて庭石や松の木などを捜してきたという。 専属の庭師や美術館スタッフが、毎日手入れや清掃を行っていて「庭園もまた一幅の絵画である」という全康の言葉通り、絵画のように美しい庭園は国内はもとより海外でも評価が高い。 日本庭園における造園技法のひとつである借景の手法が採られ、彼方の山や木々までも取り込んで織り成す造形美は秀逸である。 (ウィキペディアより)

枯山水庭。館内は、美術館以外は撮影可能。

庭が見渡せるよう広い窓で作られている。

展望スペースからのパノラマ。

この庭を見るに当たって、自分なりにポイントを決めてきたが、遠景の滝を庭の一部として使う借景がそのひとつ。

その滝である亀鶴の滝。滝は道路を挟んだ山にある。

館内は混雑を避けるため、行き帰りの順路がはっきり決められている。順路に従い進む。

自分の決めた2つ目の見所。

部屋の壁をくり貫いて風景を取り入れる、生の額絵。

生の衝立。

奥には庭を鑑賞する人たち。

生の掛軸。

掛軸の奥には生の衝立と同じ人たちが見える。

池庭。

メインの庭ではないが立派なものである。

ようやく、屋外で庭を見れるところにやって来た。

白砂青松庭。自分が決めた3つ目の見所。
 何処から見ても美しい。

 白砂青松庭のパノラマ。

 思わず動画で撮影。

年に数回は刈る、じゅうたんのような芝庭。

庭の隅で手入れする職人さん。これだけの庭を手入れするのは大変だろう。

若い人が多い。

庭の鑑賞を終えて美術館エリアに入る。撮影禁止だし、主な目的は庭だったので、さらっと見て通る。ただ、横山大観の墨絵は良かった。

出口のある新館に向かう。新刊は現代作家の作品が展示してある。

美術館を出る。

歩いてすぐのところにある、さぎの湯荘で風呂に入る。

旅館の日帰り温泉で、風呂は家屋の一番奥のほうにあって迷うそうだった。

ただ、美術館で買った横山大観の墨絵のクリアファイル(¥320)をさぎの湯荘に忘れてしまった。出た後に気づいて、またあの込み入った中を探すのも面倒なので、そのまま置いてきた。その墨絵はこれ。

 17:15の最終のシャトルバスで安来駅に戻り、18:04の特急「やくも」岡山行きで、岡山に行き新幹線で広島に戻る。自宅には夜10時頃に着く。

今日の行程。

0 件のコメント:

コメントを投稿