2019. 7.12
始発の新幹線で広島を発ち、新大阪から地下鉄御堂筋線と近鉄奈良線、いつもの乗り継ぎで8:50に近鉄奈良駅に到着。
東に向かい、若草山入山口まで歩く。
若草山まで800m。入山口は春日大社の裏手にある。
春日大社参道を行く。ここで急な空腹に襲われる。なにか食べられる店はまだ閉まっているし、唯一開いていた土産物店で菓子を買って空腹を満たす。
昨夜は眠れずうとうとして過ごした。体調はよくない。加えて、例の頭痛が始まって、トイレの前の椅子に座り収まるまで休む。前途不安だ。
頭痛が治まったので歩き始める。マップで見ると、入山口はこの階段を登った所だろう。
若草山南ゲート。調べてきた限りでは、ゲートが南・北2つあり、南からのルートが見晴らしがいい。
入山料¥150を払う。
鹿たちがのんびりと草をはむ。
若草山登山開始。
若草山、この草原が印象的で美しい。
少し登った所で奈良の町を見下ろす。
石段を登っていくが、収まったはずの頭痛がまた始まった。
結構高いところにも鹿がいる。
北ルートと合流する1重目に到着。重目は通常の登山で言う合眼に当たる。2重目、3重目とあり、3重目が頂上に当たる。
1重目から少し上ったところ、町を見下ろす。 右下の広場が、北ルートと合流する展望広場。
天気もよく緑もきれいで言うことなしなのだが、すでに頭痛が耐えがたくなっている。
頭痛に耐えながら頂上を目指す。
2重目に到着。
頂上に登る前に、再度入口がある。ここでチケットを見せる。
頂上を目指す。
3重目、若草山頂上。標高342m。
眺望は1重目の広場からのほうがいいかもしれない。
頂上からのパノラマ。
頂上でも鹿たちが草を食んでいる。
頂上にある鶯塚古墳跡。
予定では、1重目でもう一度眺望を楽しみ、北ルートで下山するつもりだったが、頭痛はひどくそれどころではない。ゆっくり下山するのが精一杯。
春日大社まで下りてきたが、この先の寺社見物は無理と判断して、悔しいが今日はここで断念、帰ることにする。
近鉄奈良駅で少し休み、痛みが和らぐのを待つ。なんとか電車には乗れるくらいになったので、帰路に着く。
この一月間、由布岳、松江でも少し歩いた後に必ず頭痛が起きていた。今日もそうだ。今日は頭痛薬も携帯し飲んでは見たが効き目はなかった。毎回10日くらいで脱出できた頭痛のシーズン、今回は長引いている。いつか終わるのだろうか。先一月のうちに予定していた、泊りがけの旅行は見合わせることにした。ホテルやレンタカーを手配して、途中で断念は避けたい。この頭痛シーズンが終結したと確信できるまでは、日帰りで様子を見る。
2019. 7.15
1日休んで、また休みなので、頭痛が心配だが、再度奈良に行くことにした。なんとも高価な旅になった。
今回は体力の消耗を考慮して、近鉄奈良駅からバスで春日大社に向かう。駅を出てすぐあったバス停で待つが、バスが停まらない。近くのコンビニで聞くと、運賃¥100の巡回バスと、通常のバス停が違うところににあった。訪問者に対しては、やや不親切な案内だ。9:30、春日大社に到着。神社前にある、奈良公園で一番大きい欅の木。
3日ぶりの、リベンジ春日大社。
顔がかゆいのか、鹿が足で顔を掻いている。
改めて、春日大社の鳥居をくぐる。
奈良の観光客はほとんど中国人。例によってよくしゃべる。頭痛のときは頭に響く。手水場で台湾の修学旅行生たちが手水のガイダンスを受けている。自分も、再度確認してきた礼法で手を洗う。左手→右手→左手で口をすすぐ→柄杓を立てて洗う…
本殿に向かう。苔むした灯篭、趣がある。
榎本神社の階段を上り…
南門に向かう。
春日大社南門。
春日大社:春日大社は、今からおよそ1300年前、奈良に都ができた頃、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、遠く茨城県鹿島から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰(ウキグモノミネ)にお迎えした。やがて天平の文化華やかなる神護景雲2年(768年)11月9日、称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手によって、中腹となる今の地に壮麗な社殿を造営して千葉県香取から経津主命様、また大阪府枚岡から天児屋根命様・比売神様の尊い神々様をお招きし、あわせてお祀り申しあげたのが当社の始まりです。(春日大社公式HPより)
境内図。
南門を入ってすぐ、幣殿・舞殿。
本殿のある境内には拝観料を払って入る。
中門。本殿はその向こう。
順路に従い、中門の前を通り回廊を行く。
回廊からいったん表に出る。石田三成の家臣、島左近が奉納した灯籠。
表の回廊を上る。
御蓋山浮雲峰遙拝所。
この鳥居の向こうに御蓋山浮雲峰。
奈良時代の初め平城京守護のため、鹿島の武甕槌命様が白鹿の背にお乗りになり天降られた神蹟、御蓋山の頂上浮雲峰の遙拝所。神護景雲2年(768)に御本殿が創建される以前に、鹿島・香取・枚岡の神々様がお鎮まりになる神奈備として崇められ、現在も禁足地として入山が厳しく制限されている。(春日大社公式HPより)
もう一度境内に入る。
樹齢800~1000年の大杉。
神社の裏手にある藤浪之屋。
中は闇の中にともる灯篭群。春日大社には灯籠が多く、時節に応じて灯されるがそれを再現したもの。
参拝を終え南門を出る。(南門を内側から写す)
参道を下る。
奈良の鹿愛護会。今日は閉まっているが、階段を上ると保護された鹿たちを見ることが出来る。
奈良の鹿:奈良公園に生息する鹿は、奈良の歴史と関係がとても深く、現存する日本最古の和歌集「万葉集」にも詠まれているように、春日野(現在の奈良公園)一帯には、古来より野生の鹿たちが生息しています。約1300年前には平城京鎮護のため、神様が白鹿の背に乗り御蓋山(みかさやま)に入山されたという伝説から、神鹿(しんろく)として保護敬愛されるようになりました。
その後、明治の初期や戦中戦後の混乱期に頭数が激減するなどの危機を乗り越えて、今から60年前の1957(昭和32)年には、国の天然記念物「奈良のシカ」として指定を受けました。奈良公園内各所に群れ遊ぶ天然記念物「奈良のシカ」は、奈良公園の名物であり、また都市の近くで人々が自由に野生動物に親しめる他に類のない非常に貴重な存在でもあります。(鹿愛護会HPより)
万葉植物園。今日はパス。
奈良公園各所で鹿せんべいを売っている。愛護会が管轄し、売り上げの一部は鹿の保護活動資金になる。鹿たちも分かっていて、せんべいの売り場には多く集まる。なお、鹿の主食は草、せんべいはおやつ。
奈良公園飛火野園地。
奈良公園で行って見たいとマークしている浮見堂に向かう。
このあたりは人が少なく静か。
浮見堂にかかる橋に到着。
浮見堂。
八角堂形式(六角形)のお堂。
お堂から池を見る。
池の畔にある洞水門。水琴窟とも呼ばれ、水を落とすと金属的な音が響く。
池を一周する。
百日紅の季節。
荒池の畔の広場。主食の草を食む鹿。せんべいに群がる鹿と違い、ここの鹿はおとなしい。餌があるからだろう。
興福寺の五重塔が見える位置。
奈良国立博物館。仏像も展示してあるが、今日はパス。仏像は、今日はひとつに狙いを定めている。午後から行く予定の中宮寺、菩薩半跏像。
博物館の前にある氷室神社。
平城遷都に伴い作られた氷室が起源の神社。
とりあえず参拝。
氷みくじなるものがある。
¥200でお札を買って、氷の上に乗せると文字が浮かぶ仕組み。「旅行」盗難に気をつけよ。はい、荷物を確認しました。
神社の前にある蓮池。低い鳴き声が響く。
近くにいたガードマンのおにいさんが教えてくれた、ガマガエルがいた。
次の東大寺に行く前に、奥村記念館という無料休憩所で涼む。
東大寺に向かう。ここも中国人オンパレード。
南大門を通り…
東大寺に向かう。
境内図。
中門。ここでまた頭痛が始まる。椅子に腰掛けてしばらく様子を見る。
頭痛は収まらないが、若草山の時ほどひどくはないので、悪化しないことを祈りながら、参拝料を払い入る。
大仏殿(金堂)
東大寺:奈良時代は華やかな時代であると同時に、政変・かんばつ・飢饉・凶作・大地震・天然痘の大流行などが相次ぎ、惨憺たる時代であった。このような混乱の中、神亀元年(724)二月、聖武天皇が24歳で即位し、待ちのぞんでいた皇太子基親王が神亀四年(727)10月5日に誕生する。ところが、神亀五年(728)9月13日、基親王は一歳の誕生日を迎えずして夭折する。聖武帝は、すぐに親王の菩提を追修するため金鍾山寺を建立(同年11月)し、良弁(のちの東大寺初代別当)を筆頭に智行僧九人を住持させた。天平13年(741)に、国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、この金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となり、これが東大寺の前身寺院とされる。
天平12年(740)2月、河内国知識寺に詣でた聖武天皇は、『華厳経』の教えを所依とし、民間のちからで盧舎那仏が造立され信仰されている姿を見て、盧舎那大仏造立を強く願われたという。(東大寺HPより)
八角灯篭。
大仏殿に入る。
他の寺社と異なり、三脚を使わなければ撮影は可能。ここに来て大仏を写せなければがっかりだろう。
お顔をズームアップ。正式には毘盧遮那(ビルシャナ)仏。
大仏の左側にある、虚空菩薩像。
大仏と菩薩のツーショット。
左奥にある廣目天。
裏を回って、右裏にある多聞天。
大仏右にある如意輪観音。
大仏と観音様のツーショット。
大仏を右下から。
大仏殿を出る。
大仏殿の遠景。
続いて二月堂エリアに向かう。
鐘楼。
階段を上り二月堂に向かう。
階段を上ったところにある四月堂。二月堂に比べてこじんまりとしている。
二月堂。
舞台に上る。
二月堂舞台。
東大寺方面を見下ろす。
三月堂(法華堂)。二~四月堂とも、各月に法会が開催されたところから来た名前。
手向山神社。このあたりの寺社、それぞれじっくり見ればいいのだが、頭痛優先で、ただ写真を写すのみに終わる。
下に降りる。
大仏殿の前に戻る。池の周囲を巡る。
遠くに若草山が見える。体力が持てば、二月堂の後に、北ゲートから入ろうかと考えていたが、今日の体調ではとても無理だった。
ようやく頭痛も落ち着いた。先日のように、耐え切れずに帰ることもないので、午後の予定地法隆寺に向かうために、博物館前からJR奈良駅行きのバスに乗る。
奈良公園マップ。
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