ホテルで軽めの朝食。実は、目論んでいるおでん屋があって、朝7時から開いているという。
これはホテル近くのおでん街。居酒屋である。
目当てのおでん屋は静岡駅の南口にあるが、変更になったのか開店は8時になっていた。日本平行きのバスは1時間に1便。始発は8:20なので、おでんを食べてバスに乗るのはせわしないので、一度は断念したが、浜松でも名物が食べられず、静岡でも見送りは、すこし悔しいので、とにかく食べようと店に向かう。ちょうど開店。おでん以外に、おにぎりもある「おにぎりのまるしま」。
なかはこんな風。田舎の食堂といった感じ。
おでんを5本食べる。どれも1本60円で、計300円。
おでんを食べ満足してバス乗り場に戻る。一度乗り間違えたが、運転手に確認してすぐ乗りなおし、日本平に向かう。
約45分で日本平に着く。
中央の塔の周りをめぐっているのは、日本平夢テラスの歩行回廊。
テラスに上がると、富士山がよく見える。一気にテンションが上がる。
午後から天気は下り坂の予報だったが、現在は良好。来た甲斐があった。
こちらは焼津・御前崎方面。
回廊をめぐる。
バスが着いたロープウェイ乗り場と静岡市街。
画面中央に白く見えるのは南アルプスの山。
回廊を下りる。
続いて、日本平から少し下ったところにある富嶽台に向かう。
富嶽台入口。
展望所はあるが荒れている。
富嶽台から富士山を見る。
あとで訪れる三保松原。
富嶽台から日本平まで戻り、ロープウェイに乗る。
久能山に向かう。
日本平の下は切り立った崖になっているが、もともとは繋がっていたらしい。地震やがけ崩れで、今のようになった。
反対のロープウェイとすれ違う。現在のロープウェイは6代目。つい最近リニューアルされた。
久能山駅に到着。
久能山東照宮に向かう。
久能山東照宮境内図。
石段を上がる。
楼門を通る。
家康自らが植えたという家康梅。
咲き始めている。
本殿に向かう。
上ってすぐが唐門だが、唐門は通れない。右へ曲がる。
右側の石段を登ると日枝神社。
横の門を通り…
久能山東照宮本殿・拝殿。
本殿を斜めから。
久能山東照宮:久能山東照宮は、徳川家康公をご祭神としておまつりする全国東照宮の創祀です。徳川家康公は、天文11年(1542年)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)にお生まれになり、あらゆる艱難辛苦の末、戦乱の世に終止符を打ち、江戸時代260余年にわたる世界に其の比を見ない「泰平の世」の礎を築かれ、学問、産業、文化の基礎を確立し近世日本の発展に偉大な功績を残されました。晩年は大御所として駿府城に在りましたが、元和2年(1616年)4月17日、波乱に満ちた75年の生涯を閉じられました。徳川家康公は生前、家臣に対し、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)との遺言を残されました。この御遺命により御遺骸を久能山に埋葬し、その地に2代将軍秀忠公の命により久能山東照宮が創建されました。(久能山東照宮HPより)
本殿から見た唐門。
唐門から境内を見下ろす。
本殿の左側の門を通る。
きらびやかな装飾。
色鮮やかな壁画。
本殿を出て、家康の遺骸が埋葬された神廟に向かう。
神廟。遺言により西向きに作られている。
西には家康の生誕の地、岡崎があるからという説明だが、関が原合戦で西軍に組した毛利や島津ににらみを効かすとも思えるのだが…
本殿から下る。
総門を内側から。
石段を降りる。
東照宮出口。
出たところの広場から、焼津方面。ビニールハウスは特産のイチゴを栽培しているもの。
旧宝物館の前に展望台がある。
左は伊豆半島。
石段を少し下る。
一の門。
一の門の前に広がる駿河湾。
下には九十九折の石段が続く。ロープウェイが出来る前はここが唯一の参拝路であった。段数は1159段。一の門は909段目に当たる。1159→「いちいちごくろうさん」と語呂あわせがされている。
当初、この石段を下るコースも考えたが、交通の便が悪く、ここで引き返すことにする。
一の門を表から。
もういちど駿河湾を眺める。
ロープウェイ乗り場に戻る。
日本平に向かう。なお、久能山はもともと武田信玄が作らせた山城があった。いまでもその痕跡の石垣が各所にある。武田氏滅亡の跡、徳川氏がここを支配した。
日本平の乗り場に戻る。
さて、次は富士山のよく見える三保松原に行くのだが、日本平から直通のバスはない。土日祝日は清水駅までのバスがあり、清水駅から三保松原まではバスはたくさん出ている。今日は平日。公共機関を利用するとすれば、静岡駅行きバスでJR東静岡駅まで行き、IRで清水駅まで行き… どれだけの時間がかかるか分からない。さらに次のバスの時間まで30分以上ある。やむなく今回はタクシーを使う。
乗り場にあった番号に電話してタクシーを呼ぶ。待つこと20分、タクシーがやって来た。車中、少し運転手さんと話す。こんなに富士山がよく見えるのも珍しいとのこと。恵まれたい他。
三保松原・神の道入口でタクシーを降りる。
神の道の入口にある、御穂神社。
三保松原まで歩いて約10分。松の並木道が続く。
神の道は羽衣の松から御穂神社までの参道に当たる。
神の道を行く。
途中に倒れ掛かった松。下をくぐり…
神の道を出る。
広場になっていてお土産屋もある。
「みほしるべ」という文化センター。今日はトイレだけ借りた。
三保松原に入る。
羽衣の松。
羽衣の松:この松は御穂神社のご神体で、祭神の三穂津彦命・三穂津姫命が降臨する際のよりしろ(目印)とされており、およそ500mの松並木の参道「神の道」を経て御穂神社へと通じています。(清水海岸ポータルサイトより)
どれが羽衣の松かよく分からないが、囲ってあるのでとりあえず1枚。
羽衣伝説:三保の村に伯梁という漁師が住んでおりました。ある日のこと、伯梁が浜に出かけ、浦の景色を眺めておりました。ふと見れば、一本の松の枝に見たこともない美しい衣がかかっています。しかし、あたりに人影はありません。誰かの忘れ物だろうと、伯梁が衣を持ち帰ろうとしたそのとき、どこからともなく天女があらわれてこう言いました。『それは天人の羽衣。どうそお返しください』ところが、それを聞いて伯梁はますます大喜び。『これは国の宝にしよう』とますます返す気配を見せません。すると天女は『それがないと私は天に帰ることができないのです』とそう言ってしおしおと泣き始めます。さすがに伯梁も天女を哀れに思い、こう言いました。『では、天上の舞いを見せてくださるのならば、この衣はお返ししましょう』天女は喜んで三保の浦の春景色の中、霓裳羽衣の曲を奏し、返してもらった羽衣を身にまとって、月世界の舞いを披露しました。そして、ひとしきりの舞いのあと、天女は空高く、やがて天にのぼっていったといいます。
なお、このときの羽衣の切れ端といわれるものが、近くの御穂神社(みほじんじゃ)に保存されています。(清水海岸ポータルサイトより)
海岸に向かう。
三保松原の海岸。砂地にめり込んで歩きにくいが、しばらく歩くことにする。
これからが、今回の旅のハイライト。富士山をたっぷり眺める。
ほんとうに美しい山だ。気持ちが現れる。神が宿る霊峰というのもうなづける。
三保松原から富士山①
さらに海岸を進む。
振り返って反対側の海岸。
釣りをする人もいる。
波消しブロックの向こうに富士山。
ズームアップ。
三保松原から富士山②
向こうの堤防に若者がいる。そこまで行くことにする。
足場は結構危ない。注意して進む。
青い海と富士山。
ズームアップ。
富士山を堪能し、松原に戻る。
もう一度眺める。
松林の中には遊歩道がある。左が海の道、右が松林の道。
海の道を行く。
三保松原を歩く。
歩き始めたあたりまで戻る。
遊歩道の合流(分岐)点。
朝は、軽めのホテル朝食とおでん。小腹が空いたので店に入る。
安倍川餅を食べる。
神の道を通り、清水行きのバス停に向かう。
三保松原入口バス停。
一度乗ったが、反対方向のバスだった。一区間で下車して、反対側のバス停で待つ。富士山が見えたので、てっきり清水駅の方向と思ってしまった。後でマップを確認すると、Uターンしているのが分かる。
今度は間違いなく、清水駅行き。
JR清水駅の手前の、新清水駅で下車。静岡鉄道の駅である。JRと同じ区間を走るが、駅数が多い。広島のJRと広電宮島線の関係に似ている。
新静岡行きに乗る。駿府城跡にいくには、JR静岡駅より新静岡駅の方が近い。
終点新静岡駅。
歩いて約10分。駿府城跡に到着。見えるのが巽櫓(たつみやぐら)。
駿府城公園マップ。
東御門から入る。
橋の上から。敷地が広いのが分かる。
門をもうひとつくぐる。
一帯は、駿府城公園になっている。
駿府城:今から650年ほど前の室町時代に今川範国(のりくに)が駿河国の守護に任ぜられました。そのころから、駿府城周辺に今川氏の館があったと考えられています。
駿府周辺の五カ国の大名となった徳川家康は、天正13年(1585)から居城として駿府城の築城をはじめ、天正17年(1589)に現在の二ノ丸以内の部分を完成させました。慶長8年(1603)征夷大将軍となった家康は江戸幕府を開き、慶長10年(1605)将軍職を秀忠に譲り、翌11年(1606)より再び駿府城の修築に着手し、駿府の町割りや安倍川の治水事業に取り掛かりました。(駿府城公園HPより)
巽櫓・坤櫓(ひつじさるやぐら)・紅葉山庭園の共通券を買う。
巽櫓に入る。駿府城天守閣の模型。
駿府城下町の模型。
巽櫓の前の本丸掘(内堀)
坤櫓に入る。中ではビデオが放映されたいた。それによると、家康は、今川氏の人質時代、徳川の5大老時代、将軍職を秀忠に譲っての大御所時代と、あわせて3回、駿府で過ごしている。(徳川家康と駿府)
坤櫓を出て発掘現場に向かう。
かなり広い区域を発掘している。
現場は一部を見学できる。
発掘現場。見学者用の専用路がある。
左に見える建物は、発掘情報館「きゃっしる」。
発掘現場を出たところに家康像。
ここで猛烈に空腹になった。よく考えれば、おでんと安倍川餅しか食べていない。運よく。おでんの店が公園内にあった。
おでんをほおばる。ここで静岡おでんを食べられるとは思っていなかった。
腹が落ち着いたので、駿府城公園の最後に、紅葉山庭園に向かう。
紅葉山庭園に入る。
梅が咲き始めている。
紅葉山庭園。回廊式の大名庭園だが、後で調べると、静岡県各地の自然風景をイメージして庭が作られているそうだ。下調べして、ゆっくり回ると、それなりの見方も出来ただろうが、今日は富士山で満腹(?)になり、表面だけ見て回ることになった。
これは、海岸の岩場を模したものか。
入口にある四阿(あずまや)。
茶室。
茶畑を模したサツキの畝。
築山は富士山か。
一番奥にある二段落ちの滝。
富士山(?)の側を通る。
茶畑(?)の側を通る。
今回のたびも終わりに近づいた。
出口に向かう。
四阿に戻る。
四阿から庭園を眺める。
紅葉山庭園を出て、駿府城公園を後にする。
もう一度新静岡駅に戻り、柚木駅で下りる。
富士山を見ながら歩く。
今日の風呂、柚木の郷に着く。
休憩室も広く、ゆっくり出来る。
風呂を出て、今度はJR東静岡駅に向かう。東静岡駅はすぐ側だった。
在来線の駅にしては立派な駅。
静岡駅に戻り、夕飯にする。実は、朝バスを待つときに、駅構内のポスターで、浜松餃子を見ていたのだ。駅ビル6Fの中華料理店。浜松の浜松餃子を食べていないので、これが浜松餃子かは判断できないが、それとは関係なく、おいしかった。執念で食べた浜松餃子だった。
静岡から新幹線自由席。名古屋でのぞみに乗り継いで帰る。
富士山がよく見えて恵まれた旅だった。静岡での行程図。
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