さて、下関街歩き、午後の部。まず赤間神宮に行くが、その前に、赤間神宮の横にある「日清講和記念館」に寄ってみる。
日清講和条約: 明治28年(1895年)3月20日から、料亭「春帆楼」において日清戦争の講和会議が開催された。この会議には日本全権の伊藤博文、陸奥宗光、清国全権の李鴻章をはじめ両国の代表11名が出席した。講和に向けて会議はくり返し行われ、4月17日に講和条約が調印された。
日清講和記念館:この記念館は、明治28年(1895)春、この地で開かれた日清講和会議と、下関条約と呼ばれる講和条約の歴史的意義を後世に伝えるため、昭和12年(1937)6月、講和会議の舞台となった春帆楼の隣接地に開館しました。
浜離宮から下賜されたといわれる椅子をはじめ、講和会議で使用された調度品、両国全権の伊藤博文や李鴻章の遺墨などを展示しています。また、館内中央には講和会議の部屋を再現し、当時の様子を紹介しています 。(下関市のHPより)
浜離宮から下賜されたといわれる椅子をはじめ、講和会議で使用された調度品、両国全権の伊藤博文や李鴻章の遺墨などを展示しています。また、館内中央には講和会議の部屋を再現し、当時の様子を紹介しています 。(下関市のHPより)
記念館の中に再現された会議場。
春帆楼は現在も営業中。ここが本店で、全国に支店がある。
春帆楼から赤間神宮に繋がっている。
赤間神宮:壇ノ浦の戦いにおいて幼くして亡くなった安徳天皇を祀る。
江戸時代までは安徳天皇御影堂といい、仏式により祀られていた。平家一門を祀る塚があることでも有名であり、前身の阿弥陀寺は『耳なし芳一』の舞台であったが、廃仏毀釈により神社となり現在に至る。(ウィキペディア)
江戸時代までは安徳天皇御影堂といい、仏式により祀られていた。平家一門を祀る塚があることでも有名であり、前身の阿弥陀寺は『耳なし芳一』の舞台であったが、廃仏毀釈により神社となり現在に至る。(ウィキペディア)
『耳なし芳一』のお堂。
その隣に、平家一門の墓。
子供の頃、家族旅行だったか、修学旅行だったか、いつ誰と来たかは覚えていないが、この墓の風景はよく覚えている。
次の目的地火の山に向かい、関門海峡沿いに歩いていく。この丸い石、後で調べたが、何かは分からなかった。
関門橋の下をくぐる。関門橋は高速道路の一部、一般道は、海底を通る関門トンネルになる。
火の山が見えてきた。倉橋島の火の山と同じく、かつて狼煙を上げるのに使われた山である。
ネットでは、火曜・水曜はロープウェイは運休という情報もあった。六甲有馬ロープウェイに続き、またしても運休かと覚悟していた。運休の場合、標高268mの山に歩いて登るかどうか迷っていたが、春休み期間だからだろうか、運よく運行している。
ロープウェイ乗り場まで歩いて登る。
デイケアの一環か、車椅子のご老人が多い。
0・20・40分、1時間に3回運行している。季節柄、乗客は多い。
約3分で頂上駅に到着。下山の最終は17:00とのこと。
頂上乗り場横の展望台から、関門橋を見下ろす。いい眺めだ。
せっかくなので、山頂まで歩くことにする。
KRY山口放送の送信塔。
さらに登って、火の山公園山頂。
山頂から、北九州東部を望む。
火の山は、明治時代になると狼煙台ではなく、砲台が設置された。
砲台跡で、今は子供たちが遊ぶ。
山頂散策を終えて下山する。ロープウェイ「火の山駅」。といっても、ふもとの「壇ノ浦駅」の2つしかない。
降りる途中、きれいな花が咲いている公園が下方に見えた。
ちょっと寄り道。チューリップ園になっている。花のみごろ「4月上旬~4月中旬」。ちょうど今。
ここも結構にぎわっている。
いちめんのチューリップ。
火の山公園を後にする。これから関門トンネルを歩き、九州に向かう。関門橋の下に、展望室を備えた門司港レトロハイマートビルが見える。
関門トンネル人道の下関側入り口は、火の山ロープウェイから降りてすぐ。
歩行者は無料、二輪車は¥20。トンネルまではエレベーターで降りる。
関門トンネル開通60周年。ちょうど還暦。自分より少し若い (^_^)
トンネルは2層になっている。上が車道、人道はその下にある。労を惜しまず、人道を加えたのは正解であった。
歩行者・自転車・50cc以下の原動機付自転車が利用できる幅4m・長さ約780mのトンネルで、徒歩で約15分ほどで関門海峡の海底を通り抜けることができる。両端とも国道2号に接続していないが、人道も国道2号に指定されている(国道2号車道に対する自転車歩行者道の扱い)(ウィキペディア)
門司に向かって歩く。
トンネルの一番低いところが山口県と福岡県の県境になっている。
門司側出口(入り口)まであと少し。観光客やウォーキングを楽しむ人が結構歩いていた。
エレベーターで地上に出る。
門司側から見た関門橋。
先ほど登った火の山。
関門海峡は流れが速い。後で調べたら、日本海側と瀬戸内海側で干満の時刻の差があり、それにより生ずる水面差が速い潮流を作り出している。ちなみに、瀬戸内海で一番速いのは鳴門海峡、次に来島海峡、関門海峡は3番目になる。
門司港レトロ観光列車のめかり駅に向かって歩く。実は、観光列車は3月上旬からの季節列車で、なおかつ土日のみという運航日の制限がある。ただし、春休み期間は毎日という情報を調べていたので、下関街歩きを敢えてこの時期に設定したという段取りがあった。ちゃんと乗れるだろうか? だめなら引き返し、門司港まで歩かなければならないが…
関門海峡めかり駅に着く。
次の発射は、16:20。予想通り運行している。よかった。今日はロープウェイも観光列車も思惑通り。
大人片道¥300。終点の九州鉄道記念館駅まで買う。
トロッコ列車がやってきた。
北九州銀行レトロライン「潮風号」
「門司港レトロ地区と和布刈地区間は2kmちょっとあります。歩くにはちょっと遠いかな、と言う距離です。つい最近まで、門司港駅から和布刈公園をぐるりと回り込んで、田浦港まで臨港線(貨物線)が伸びていました。石灰石、セメントなどを積出港である田浦港まで運んでいたものですが、輸送量の減少に伴い平成17年に休止されました。この休止された臨港線に観光列車を走らせようと考えました。レトロ地区と和布刈地区を観光列車で結ぶことで、両地区の移動は楽しくスムーズなものになります。また、門司港―和布刈公園―下関(みもすそ川)―下関(唐戸)―門司港と大きな周回ルートを創り出すことで、関門の魅力を満喫してもらえるものと期待しています。」(公式HPより)
乗客は最終的に7~8人になった。
めかり駅を出ると、しばらくしてトンネルに入った。ここで、サプライズ。魚拓をモチーフにした映像が、車内の天井に投影される。しゃれた演出だ。
「ノーフォーク広場駅」「出光美術館駅」、2つの駅を通過して終点に到着。
門司港レトロは、2009年秋に一度訪れている。時刻は午後4時半を過ぎたころ。かなり歩いて足も疲れているし、門司の風呂にも寄るので、今日はパスすることにした。
唐戸港から船がここに着く。
門司港から、風呂のある門司駅まで。
門司駅で降りる。
海沿いに10分くらい歩いて、「楽の湯」に到着。入浴料¥700。
夕方6時前。少し早いが、おなかが空いたので、関門海峡を見ながらここで夕食。
ホルモン焼き定食、たしか¥800だった。
盛りだくさんのコース。われながら頑張って歩いた。午後のウォーキングコース。
風呂を出て、門司駅から在来線で小倉まで。小倉から新幹線のぞみで広島まで。門司を18:37に出発したが、乗り継ぎがうまくいって20時には自宅に着いた。新幹線、運賃は高いが、速いもんだ。願わくば、事故のないように。
0 件のコメント:
コメントを投稿