山口県の島歩きを予定していたが、天候不順のため予定変更し、来月に予定していた大阪城から姫路城までの城めぐりをすることにした。
朝一番の新幹線で新大阪まで行き、在来線に乗り換え、8:10、大阪環状線のJR大阪城公園駅で降りる。
大阪城ホールの石垣に沿って大阪城に向かう。よく見たら本物の石垣ではなく、コンクリートの壁に薄い石板が貼ってあった。
歩くこと10分、大阪城入口に到着。
大阪城マップ。
定番コースの入口、青屋門。
天守閣が見える。
門を入って、内堀の南側。
北側に、天守閣に向かうための橋、極楽橋が見える。
極楽橋を渡る。
橋の北側、観光船が待機している。JR駅を降りたところに、川の駅というものがあったから、そこから乗って、堀を遊覧するのだろうか。(後で調べたら、川の駅は大阪観光クルーズの駅だった)
橋の南側の内堀と石垣。
橋を渡ってすぐ、山里丸に石垣が陳列してある。
大阪城築城には各所大名が参加したが、それぞれの石には各藩の家紋が刻んである。去年行った、牛窓の前島にも、大阪城石垣の切り出し場があった。そこにも家紋を刻んだ石があった。
天守閣に向かう。
天守閣を見上げる。
天守閣は9時から入城できるので、広場でしばらく待つ。すでに観光客が大勢いる。
広場東側に「豊臣石垣公開プロジェクト」の工事現場がある。現在の大阪城は徳川の時代になり、それまであった豊臣時代の城を埋めて築城されたもの。最近、豊臣時代の石垣が発見され、それもあわせて公開するための計画が進んでいる。ただ、建築費を募金でまかなうため、いつ完成するかは決まっていない。
天守閣を正面から。
広場から堀を見下ろす。
時間になったので、¥600を払って入城する。
天守閣に入る。
5Fまではエレベーターで。
天守閣の展望台に出る。
北側、先ほど歩いた極楽橋方面。
東側、大阪城ホールとJR駅方面。
南側の広場。
館内の展示を見て1Fに下りる。この大阪城を築いたのは徳川秀忠だが、展示の多くは秀吉中心だった。
天守閣を出る。
広場を南に向かう。
大阪城の石で一番大きな石がある、桜門枡形の巨石につくが、例によって中国人の団体に占拠されている。
しばらく待って、人がいなくなったので撮影。通称、蛸石。備前岡山の犬島か前島が産地。前島はすでに訪れたし、犬島は近いうちに訪れる予定。
大阪城南の桜門を出る。すごい人だ。中国を中心に、東南アジアの言葉が聞こえる。自分の知識では、タイ・フィリピン・ベトナム、どの国の言葉かは分からない。
桜門の前に豊国神社。今日はパス。
桜門を出て大手門に向かう。
大手門を出て、城の西側。
千貫櫓が見える。
外堀を渡り、千貫櫓と多聞櫓。
南外堀を東に歩く。見える櫓は、六番櫓。
南外堀の中央あたり。ここで大阪城の敷地を出て南に向かう。
歩くこと25分。かつて、あの真田丸があった場所までやってくる。緩やかな上り坂になっている。
真田丸は、現在は学校のグランドがある辺りにあったと推測される。それを説明する記念碑が立つ。
三光神社に到着。この神社自体は真田丸と直接の関係はないが、真田丸があった丘にあるため、真田丸の旗が掲げてある。
三光神社本殿。
鎮座地の丘は宰相山とも真田山ともいう。かつては大坂城の出城「真田丸」が置かれ、大坂の陣のときには真田信繁が大坂城から当地までの抜け穴を掘ったといわれ、社殿の下に残っている。境内には黒田屏風に描かれた真田信繁を元にした像がある。千田嘉博によると、現在残っている抜け穴は真田信繁がつくったものではなく、真田丸を攻めた前田軍の塹壕の痕跡の可能性が高いとしている。(ウィキペディアより)
真田信繁の像が建つ。
像の隣に、真田の抜け穴がある。
大阪城見物を終え、JR玉造駅から、次の城、明石城に向かう。
JR大阪駅で環状線から、JR神戸線の新快速に乗り換え約1時間、12:10にJR明石駅に到着。ホームから、明石城のシンボルである、2つの三重櫓と長い石垣が見える。
明石駅北口。
昼ごはんは、駅構内の立ち食いうどん。
駅北口から西へ少し歩き、明石城入口。
橋の上から。白鳥が1羽泳いでいる。
明石城マップ。一帯は明石公園になっており、城の北部に広大な敷地が広がるが、今日は南半分を巡る。
明石城:今から400年前の1619年(元和5年)に、初代明石藩主小笠原忠政(後の忠真)が外様大名の多い西国の備えとして、徳川幕府2代将軍秀忠から命じられ築城されました。本丸跡に建つ巽櫓・坤櫓は日本に12基しか現存していない三重櫓のうちのふたつで、国の重要文化財に指定されています。(明石城公式ウェブサイトより)
明石城に入る。東の櫓、巽櫓(たつみやぐら)。
西の櫓、坤櫓(ひつじさるやぐら)。
2つの櫓のツーショット。
城に向かって東側にある、武蔵の庭園。
武蔵は、巌流島の決闘の跡、剣術指南としてしばらくここに住んだらしい。
木陰で御婦人がオカリナの練習。聞こえてきたのは、ジョンデンバーの「故郷へ帰りたい」、ユーミンの「やさしさに包まれたなら」。耳慣れた曲。
巽櫓の下。
登城する。
石垣の東側。
角は、算木積みと呼ばれるもの。近代以降、石垣の角はこの積み方が多い。長方形の石を交互に組み合わせ、強度を増した積み方。
石垣と巽櫓。明石城にきた主目的は、この風景を見たかったから。
巽櫓の裏側。
展望所に上がる。
明石駅方面。
天守台。明石城には天守は築かれなかった。
なぜ天守が築かれなかったのか
残念ながら理由はわかりません。建築費用を節約しつつ、ただし必要があればいつでも建てられるように天守台のみ築いておいたとも考えられますし、当時の主力兵器である大砲の標的になりやすい天守は――とくに「大坂の陣」でその威力を敵味方に見せつけたあとだったこともあり――不要と考えられたのかもしれません。
天守台から坤櫓。
明石球場。
坤櫓を見ながら城を下りる。
城の出口。
出たところから、坤櫓。
駆け足で明石上を見物し、明石公園出口に向かう。
今日は雨も覚悟しての城めぐりだが、思いのほか、青空が見える。気持ちのよい芝の公園である。
もういちど2つの三重櫓。
公園を出る。
出たところに、ししおどし。ししおどしの音を聞きながら、公園を後にする。
遠くに見えるのが明かし展望台。涼気のため噴霧するミストの街路を通り、今日最後の城めぐり姫路城に向かうため、JR明石駅に向かう。
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