2019年8月9日金曜日

八島 (2019. 8. 9)

これまで多くの島に行ったが、広島周辺の瀬戸内海の島で行っていない島がある。上関の南に位置する八島。今年6月に行った祝島同様、上関から船で行く。八島はひょうたんの形をした、南北に長い島である。南から、大中小の島が連結しているように見える。それぞれ、歩いていけると思うのだが、中と小が繋がっているかどうか、あるいは干潮時だけ繋がるタイプか、地図からははっきりしなかったが、ウォーキング意欲をそそられる島の形である。これといった観光地はないが、島の北端まで行くことにする。

これといった観光地もないので、最初は10時台の2便で渡り、13時の2便で帰るつもりでいたが、八島の港から北端までは約4km。往復で2時間以上はかかるので、滞在時間2時間半ではきつい。6時台の1便で渡ることに下。

八島行きの船は、上関と室津の船着場から乗れるが、車を停めやすい室津から乗る。船着場近くの道の駅周辺に停めることができる。朝4時過ぎに家を出て、いつものように、玖珂ICまで高速で行き、6時前に室津に着く。しばらく待機し、祝島行きの船が出た後、船着場に行く。係りのおばあさんが電話で乗客がある旨を連絡していた。船の始点は上関港なので、乗客がなければ室津はスルーする。八島行き定期船「かみのせき丸」。

乗客は自分ひとり。離島ではよくあることだ。

室津港を出る。

上関大橋の下をくぐり、外海に出る。

進行方向左に、平郡島が見える。去年の6月に行ったが、暑い中、2便しかない船に乗り遅れまいと走ったことを思い出す。

八島に近づく。中と小の間、繋がっているように見えるが…

こちらは大と中の間。

八島の港に到着。
八島:上関港の南約12㎞の瀬戸内海海上に位置し、山口県の最南端にあたる島です。南北に細長く、中央部が平坦になっているため、海上からの見る角度によっては、1島でありながら、2島以上の数に見えることがあります。島内からは弥生式土器が出土しており、また、平家伝説が残されている島でもあり、島の歴史は、比較的古いものと思われます。明治以降では、ハワイ移民を多く出した島としても知られています。(山口県のHPより)
2019年4月1日時点で、人口25人。

待合室。

案内図で確認。

北端に向かって歩く。なお大中小の島は、「大島」「小島」「与崎」と称するが、分かりやすいので、ここでは大中小と呼ぶ。

船出した上関が見える。

しばらく歩いたところで、八島の港を見る。

大中の連結部に着く。

進行方向左手(西)に祝島と小祝島が見える。

右折する道があり、東の浜辺に行く。

途中、登山用の道があるが、今日はパス。

大中の連結部の幅は数十mしかない。すぐ東の浜辺に出る。南方向。

北方向。右に写るのが平郡島。

石像が並ぶ。八島八十八ヶ所と言うらしい。多くの島には四国八十八ヶ所のミニチュアがある。

歩いていくと広場に出た。ヘリポートらしい。ここで行き止まり。

 八十八ヶ所を巡って元の道に戻る。

中のに向かい歩く。

中の麓。ここから坂道になる。

今日は山登りのつもりはなかったが、中を越えるには標高120mの峠を越えなければならなかった。

峠を越えて下り道。草に覆われた廃車。

ようやく山越えをして海が見えてきた。

小とは完全に陸続きになっているようだ。後で行くことにする。

先に八島神社に向かう。

鳥居から少し入ったところ。

階段を上ったところに八島神社。

おみくじ販売機がある。昭和53年奉納とある。コイン投入口もあるが、いまでも使用可能だろうか。

ダメだろうと思ったが、水道の蛇口をひねると水が出た。タオルを洗い汗を吹く。

神社下の階段に腰掛け休んでいたが、縄張りの侵入者と思われたか、蜂がうるさく付きまとうので落ち着かない。浜辺に戻る。

かつてこのあたりにも古浦という集落があった。

その集落の名残か、今は人もいないのに桟橋がある。

桟橋の先に行く。

確かに船がつけられるようになっている。

桟橋から中小の連結部の浜辺。

小の先は何処まで行けるだろうか。あとで探検する。

 桟橋の西側に岩場が延びている。

岩場の先に、岩場が島になっている。

名前はないが、平小岩島と仮称することにする。

岩場に下りる。

岩陰で休憩。

さて来島のメーンテーマである、島の北端を目指す。中と小の連結部を歩く。

まず西岸を歩く。

足場の悪い岩場が続く。

最初の突出部を越えると浜辺が広がる。

上の写真の先端まで言ったところ。ここから先は行けないようだ。

先ほど休憩した岩場をみながら元に戻る。

 途中、東側に抜ける切れ目があった。

東岸に出る。平郡島が見える。

東岸、行けるとこまで行く。

侵食され通路になっている部分に入ってみる。

 ここより先は行けない。

 海岸の探検を終えて戻る。

 中から小への下り口に戻る。

小(与島)を後にする。

再び山越えをして戻る。

中小の連結部に戻ってきた。

時刻は10時半。北端までの往復と探検で約3時間半を費やした。1便で来て正解だった。帰りの船の時間までたっぷりあるので、待合室の案内図にあった浄慶寺に行くことにする。眺望がいいらしい。メイン道路から脇道に入り、坂を登る。

八島の集落を見下ろす。この集落以外に他はない。

舗装路を歩いてお寺まで行けるかと思ったが、途中で草に覆われ行き止まり感がある。

 木陰でしばらく休む。今日も最高気温35℃近くの真夏日なのだ。熱中症にならないよう、ペットボトル2本持参し、1本は冷却用、1本は飲料用にしたが、そろそろ使い切る。島に自販機はないようだ。

 来た道を引き返し、もう一つの道を下る。

立派な石垣の道。

港と、先ほど山越えした中(小島)。

集落の道は狭い道が入組んでいる。

お寺への道を探してうろつく。暑さがこたえる。

お寺が見える。

やっとお寺の下に到着。階段を上る。

これまで人に会うことはなかったが、ここで初めて出会う。盆用の法要か、お坊さんの読経の声が聞こえる。

お寺からの眺望。ここに来るまでも見れたし、苦労してきた割りには… という感じ。

浜辺に戻る。多くの住居が廃屋のまま放置されたいる。

海岸に並ぶ墓石。島民25人に比べ圧倒的に、墓の数が多い。かつての賑わいを思う。

本土のコンビニで買ってきた弁当を食べようと、日陰を探して歩く。異様に新しくきれいな建物。老人向けの施設らしい。人口25人、おそらく高齢者がほとんどだろうから、いずれ無人島の道を辿るのだろう。

マップには八島花壇とあったものか。

休憩所みたいな場所を見つけたが、公共ではなく個人用なので遠慮した。

港近くにあるJAの支所。活動している気配はない。

結局海岸のわずかな影に場所を決め、弁当を食べ、船の時間まで過ごす。

自分が来たときからずっと、海鳥が動かないでいる。炎天下で暑くないのだろうか。結局、この場を去るときもそのままだった。

待合室で船を待つ。2便で来た人もいるのだろうか、数人の人が待っていた。

上関行きの船に乗り帰る。

八島での行程。


八島を後にする。見える集落が八島集落の全部。

八島の全景。

室津港に着く。自分はここで下りたが、何人かはそのまま上関港まで乗る。
上関訪問の定番である、鳩子てんぷらをたべ「鳩子の湯」に浸かり、帰路に着く。

なお、八島の南端には瀬戸内海最大の柱状節理があるが、そこに至る道はなく、船でしか近づけない。

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