2019年9月25日水曜日

一乗谷朝倉氏遺跡 (2019. 9.25)

福井県は昨年小浜を歩いたことがあるが、今回は東尋坊を中心に1泊2日の旅。1日目は、朝倉氏の遺跡がある一乗谷と恐竜博物館、2日目は東尋坊を中心に越前海岸を回る。

新大阪まで新幹線に行き、サンダーバードに乗り換える。

9:40、福井駅に到着。

駅前にある恐竜の像。

例によって寝不足気味だったが、テンションが上がる。

駅前のバス乗り場。きれいで分かりやすい。

一乗谷までは、JR九頭竜線かバスで行くが、10:00のバスを利用する。乗客は自分を含めて3人。

一乗谷朝倉氏遺跡復原町並の前でバスを降りる。多くの人は車か観光バスで来る。そこそこの人数の観光客がいる。ただ年配の人ばかり。
 越前朝倉氏:戦国大名。日下部姓。開化天皇あるいは孝徳天皇の後裔という。代々但馬国養父郡朝倉に住み,高清のとき,名を朝倉氏と称した。南北朝時代,広景は足利方の斯波高経に従い,越前に新田義貞を討ち,同国坂南郡三宅黒丸城に住んだ。その子正景は足利尊氏から一字をもらい,高景と改め,義詮から越前の地7ヵ所を得,のち守護斯波氏の被官となった。孝景にいたり,斯波守護家の三家老の一人となり,斯波氏の家督についての内紛に乗じて,越前一国を制し,一乗谷城を構築,文明3 (1471) 年,越前の守護となった。戦国家法『朝倉孝景条々』を制定。義景のとき,天正1 (1573) 年,織田信長に攻められ,越前大野で家臣景鏡にそむかれ滅亡した。 (コトバンクより)
 
広大な屋敷跡が発掘されている。

 再現された復元町並に入る。

津和野と同じように、町人と武士の居住区が分かれている。町屋群。

表の家屋敷跡。

武家屋敷群を行く。

 展示がある一軒に入る。

奥の屋敷に人形が置いてある。

入口に人形かと思ったら案内のおばちゃんだったので驚く。自分は去年、朝倉氏と縁のある浅井氏の小谷城に登ったことを話すと、その他いろいろと教えてくれた。一乗谷は明智光秀とも縁がある、来年のNHK大河ドラマが明智光秀を扱うので、ロケに来たが、果たして使われるかどうか…

復元町並を出る。橋の向こうにあるのは、朝倉義景の館跡。

唐門。朝倉義景の菩提を弔うために移築された松雲院の山門で、豊臣秀吉が朝倉義景の善提を弔うために寄進したものと伝えられている。

遺跡内に入る。

遺跡内を歩く。

朝倉義景の墓所。
朝倉義景:戦国大名。孝景の子。初め孫次郎延景と称し,天文 21 (1552) 年将軍足利義輝の偏諱を得て義景。同 17年父の死により跡を継ぎ一乗谷城主。加賀,能登,越前の一向一揆と戦ったが,義輝の命によりこれと和し越前を平定。永禄9 (66) 年,彼を頼った足利義昭を迎えることができなかったことから,以後織田信長を頼った義昭と対立。義昭は同 11年上洛,将軍職についたが,義景は信長とも対立し,元亀1 (70) 年には浅井氏と連合して,姉川で織田,徳川連合軍と戦ったが大敗を喫し (→姉川の戦い ) ,さらに天正1 (73) 年,信長の攻撃を受け,居城一乗谷に火を放ち,越前大野で自刃。義景は歌を二条浄光院に学び,また京風文化を一乗谷に移し,ここを小京都たらしめた。 (コトバンクより)
その最後はウィキペディアに詳しい。

館跡の裏山に上る。

 湯殿跡庭園。

館跡を見下ろす。

橋を渡り、もう一つの庭園に行く。

 諏訪館跡。朝倉義景の妻の館があった。

その庭園跡。下段庭園。

上段庭園。

背後は杉林。

庭園から復元町並みを見る。

庭園の高台から降りる。

さて、交通の便のよくない一乗谷だが、JR九頭竜線が12:10にある。現在11:20。十分間に合いそうだ。

緑の中で一休み。9月下旬だが汗ばむ陽気。

一乗谷川のほとりを歩き駅に向かう。

四角い箱が並んでいるが、これは町屋の井戸の跡。

井戸とトイレは共用ではなく、1軒ごとに整備されていた。いわばバストイレ付。手前の穴がトイレ跡だろう。

一乗谷を後にする。

下城戸跡。防御のための城下町の入口。

JR九頭竜線の一乗谷駅が見えてきた。

駅の近くに朝倉氏歴史資料館がある。バスをここで降りて、資料館を見学した後復元町並に向かうコースもある。来るとき同乗したおばちゃんはここで降りたから、その跡遺跡地区まで歩いただろうか。時間がないので今日はパスする。

 駅に向かう。田んぼの中にぽつんとある小さな駅。

駅のホーム。向こうは福井方面。

列車がやって来た。1両編成。この次は、15時台になる。九頭竜線は越美北線ともいう。福井と岐阜の美濃大田を結ぶ計画だったが(越前・美濃)実現されず、岐阜側は長良川鉄道越美南線になった。

自分以外にも数人が待っていた。ワンマンカーで乗り口を間違えてまごつくが、無事福井行きに乗る。

15分弱でJR福井駅に戻る。

駅構内のカフェで、昼ごはんのフレンチトーストセットを食べる。午後から恐竜博物館に行く予定だが、アクセスなど確認しているうちに重大なことに気づく。なんと毎月第2・4水曜日が休館日。果たして今日は第4水曜日。よく調べて来なかった自分が悪いが、実を言って恐竜にはさほど興味はなく、セカンドメニュとして考えていたので、さほど落胆しなかった。ただ、空白になった午後をどうするか、コースを組み替えるか、しばらく思案する。東尋坊はメインなので明日に回したい。とりあえず、恐竜博物館のある勝山に行ってみることにする。


越前鉄道の福井駅から電車に乗る。福井口で永平寺勝山線と三国芦原線に分岐する。

約1時間で終点勝山駅に到着。恐竜博物館開館日なら、バスと連絡しているが、今日は休みなのでバスも運休。タクシーはいたが、旅のポリシーにしたがい歩くことにする。

駅前から、遠くに見える卵型ドームが博物館だろう。ずいぶん遠い。

橋の上から、九頭竜川を見る。下流福井方面。

人影もなく気の抜けたようなひっそりとした町をひたすら歩く。

交差点に恐竜の彫像。

ようやく博物館が近くに見えてきた。

通称ホワイトサウルス。

サイクリング中の女の子が写真をとっていたので声をかける。博物館が休館を知らなかった。あるいは、ホワイトサウルスが目当てだったのか。

ホワイトサウルスの横を通り、博物館に向かう。

畑一面に白い花。

路傍にはコスモス。マップに従うとこのルートだが…

恐竜の森・林内道路は立ち入り禁止。こちらは裏口にあたるようだ。休館日のためか。仕方なく、表の入り口に向かう。

黄金色の稲田を歩く。

メインルートへの近道を登る。

メインルートを行く。

各所に、ブック型の案内板が立っている。

道路の壁面に埋め込まれた恐竜の骨が雰囲気を醸し出す。

アメリカで発見された化石のレプリカ。

恐竜博物館のドームを間近に見る。

博物館入り口。休みでなければ…

丘に恐竜が座っている。

丘に登る。

イベントにあわせた恐竜博士。

勝山駅前の橋が見える。あそこから歩いてきた。

博物館の周囲には、かつやまディノパークや恐竜発掘ランドなどあり、子供連れが1日遊べる。

博物館には入れなかったが、恐竜の雰囲気を味わって、博物館を後にする。

途中にあった、恐竜の脚の骨のレプリカ。これが実際の大きさだとすると、本体はとてつもなく大きい。

博物館の正面入り口。

また、ひたすら駅に向かい歩く。

橋のたもとに戻ってきた。行くときは気付かなかったが、ここにも恐竜の像。至るところに恐竜だが、恐竜以外にないのか、と皮肉ってしまう。

橋を渡って駅に戻る。橋のアーチが恐竜にも見える。

勝山駅から、今日の宿のある、あわら湯の町駅に向かう。時刻は17:10、駅を出てから2時間50分に及ぶウォーキングだった。

福井口で、越前鉄道三国芦原線に乗り換える。


あわら湯のまち駅に到着。勝山を出たのが17:15、現在18:50だから、約1時間半かかったことになる。

あわら湯のまち駅を出てホテルに向かう。

ホテルの前に、ホテルの案内で知った店で、ソースカツ丼を食べる。

はじめて食べたが、本当にソースの味。

今日のホテル、美松に到着。実は最初は福井駅近くを探したが、どこもいっぱいだった。恐竜博物館も休みだし、駅前も静かなのに、どうして宿泊客が多いのかは分からない。

温泉宿だが、自分は簡素なシングル¥6000。温泉宿なので、部屋にバスユニットはないが、大浴場は深夜早朝は入れた。夜2回朝1回、計3回入った。

勝山での今日の行程図。

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