2018年11月20日火曜日

琵琶湖就航 (2018.11.20)

昨夜は、近江大橋を見に行ったが、今日はもう一つの大橋、琵琶湖大橋を見に行く。 朝早く、5時半くらいにホテルを出て、6:20、マップ上では一番近いJR湖西線の堅田駅で下りる。

マップを頼りに、橋が見えそうな湖畔まで歩く。出島の灯台。古い木造の灯台だそうだ。

先端まで上る。

上から大橋を写す。

湖畔を歩き、岸辺から朝日を拝む。

湖畔から大橋を写す。

琵琶湖大橋は歩いて渡れる。途中まで歩く。

橋の上から、琵琶湖の南側を臨む。

橋の袂に「道の駅 琵琶湖」があるが、今はあまり利用されていない感じ。

テラスから大橋を写す。

周遊船の発着所があるが、今は使用されていないようだ。

今日のウォーキング・登山に備え、駅前の吉野家で朝定食を食べる。

予約している琵琶湖クルーズは9:40出発。9:10に港のある近江今津駅に到着。

港すぐ近く。途中にある琵琶湖周航の歌資料館。若いときから聞きなじんだ「琵琶湖周航の歌」が流れていて、旅愁を誘う。

観光船乗り場に到着。

観光船の航路は、①今津~竹生島・往復、②今津→竹生島→長浜、③長浜~竹生島・往復、④長浜→竹生島→今津、の4パターンがあるが、自分は②をネット予約しておいた。今季は、12/2までが通常時刻表で運行され、それ以降翌年の3/9 までは冬季時刻表になり便が少なくなる。今回の旅の日程はそれに合わせたわけだ。乗船料金は各コースで若干ことなるが、今回は¥2830。

観光船が待機している。

これから向かう竹生島が見える。

「琵琶湖周航の歌」の歌碑。
琵琶湖周航の歌:作詞:小口太郎、作曲:吉田千秋。1917年に成立。このあたりはウィキペディアに詳しく解説されている。歌詞は6番まであるが、レコードでは4番までのものが多い。

観光船に乗る。

年配の乗客が多い。

自分は写真を撮るためデッキにでる。

今津港を出航。
波のまにまに 漂えば
赤い泊火(とまりび) 懐かしみ
行方定めぬ 波枕
今日は今津か 長浜
(「琵琶湖周航の歌」3番の歌詞)

船の進行方向向かって右側、琵琶湖南側。

船の進行方向向かって左側、琵琶湖北側。

今津港が遠くなる。

湖面に光の条(すじ)が差している。

船は一路、竹生島を目指す。

船は波しぶきを上げて走る。

竹生島に近づいてきた。

竹生島の神社が見えてきた。

竹生島に到着。

港に入る。

これからあの上まで登る。竹生島での滞在時間は、観光船の各コースで異なるが、今回はその中でもいちばん短い40分。


竹生島:葛籠尾崎(つづらおざき)の南約2kmに位置し、琵琶湖では沖島に次いで大きい島。島全体が花崗岩の一枚岩からなり、切り立った岩壁で囲まれているのが特徴である。針葉樹で覆われた中に寺社が点在する風景の美しさで古来知られ、琵琶湖八景(1950)に「深緑 竹生島の沈影」として撰ばれている。島周辺の湖底は深く、西側付近は琵琶湖最深部 (104.1m) である。最後部附近には三等三角点(基準点名 竹生島、標高 197.27)が置かれている。
…古来、信仰の対象となった島で神の棲む島とも言われ、奈良時代に行基上人が四天王像を安置したのが竹生島信仰の始まりと伝わる。

竹生島は「琵琶湖周航の歌」の4番に登場する。
瑠璃(るり)の花園 珊瑚(さんご)の宮
古い伝えの 竹生島(ちくぶじま)
仏の御手(みて)に 抱(いだ)かれて
眠れ乙女子 やすらけく
(「琵琶湖周航の歌」4番の歌詞)

門前にお土産屋 が並ぶ。

拝観料\400を払って入場。滞在時間が短いので気がせく。

早足で階段を上る。

登ったところ。

宝厳寺本堂。

 宝厳寺三重塔。

宝物殿があるが、今日は時間がないのでパス。

さきほど乗ってきた観光船が今津港に帰っていく。

本堂から下りる。たくさんの人たちが息を切らして登ってくる。

観音堂に向かう。

唐門、残念ながらただいま工事中。完成すれば漆塗りのきれいな建物になる予定。
唐門:唐破風をもつ門という意味です。この『唐門』は、秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた『極楽門』を豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築されたものです。移築の際、土地の条件から観音堂に接して建てられています。桧皮葺、建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍍金の飾金具が散りばめられ、虹梁中央の蟇股の周囲には鳳凰や松・兎・牡丹の彫刻を、二枚の大きな桟唐戸や壁には牡丹唐草の彫刻を極彩色塗りとして飾っています。豪華絢爛と言われた桃山様式の『唐門』の代表的遺構です。 (竹生島宝厳寺のHPより)

船廊下を歩く
舟廊下:千手観世音菩薩を納めた観音堂から都久夫須麻神社に続く渡廊・舟廊下。舟廊下は朝鮮出兵のおりに秀吉公のご座船として作られた日本丸の船櫓(ふなやぐら)を利用して作られたところから、その名がついています。これも唐門、お御堂と同時期に桃山様式で作られたものです。 (竹生島宝厳寺のHPより)

竹生島神社に出る。別名、都久夫須麻神社。

その前にあるのが龍神拝所。

ここに来た目的は…

かわら投げ。\300で土の皿を2枚回、自分の名前と願い事を書く。末永く旅ができますように…「健康長寿」。

ここから、かわらを投げる。

あの鳥居をくぐれば願いが叶うと言う。投げた結果、1枚がしめ縄に当たって跳ね返った。判定やいかに?

ワンちゃんも礼拝。

急ぎ足の参拝を済ませ、港に戻る。

 平日だが観光シーズン、人は多い。

長蛇の列、みんな乗れるだろうか。

長浜行きの船に乗る。

先ほど登った宝厳寺。

かわら投げをした神社。

竹生島を後にする。

 竹生島が遠くなる。

窓に写る自分を記念撮影。

遠くに見える山は伊吹山。
 矢の根は深く 埋(うず)もれて
夏草しげき 堀のあと
古城にひとり 佇(たたず)めば
比良(ひら)も伊吹も 夢のごと
 (「琵琶湖周航の歌」6番の歌詞)

遠く今津方面を見る。

長浜港が近づいてきた。

長浜港に到着。ここから乗る人もたくさんいる。

長浜港観光船のりば。

港の横にある豊公園。「豊」はもちろん豊臣秀吉。

公園の脇を歩いてJR長浜駅に向かう。

途中、長浜城に寄る。
長浜城:1573年(天正元年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名した。小谷城で使われていた資材や、あらかじめ、竹生島に密かに隠されていた材木などを見つけ出し、それらを使用し築城を開始した。 (ウィキペディアより)

天守閣にみたてた建物は歴史博物館。

長浜駅に到着。

午後登る小谷城址の最寄の駅、河毛駅に向かう。



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