2018年11月20日火曜日

小谷城址 (2018.11.20)

⇒琵琶湖就航 (2018.11.20) より続く。

12:20、長浜から2つ目の河毛駅に到着する。

JR琵琶湖線。長浜方面。

駅前にある、浅井長政とお市の方の彫像。
小谷城:日本五大山城の一つに数えられる。標高約495m小谷山(伊部山)から南の尾根筋に築かれ、浅井長政とお市の方との悲劇の舞台として語られる城である。戦国大名浅井氏の居城であり、堅固な山城として知られたが、元亀・天正の騒乱の中で4年間織田信長に攻められ落城した。その後、北近江の拠点は長浜城に移されたために廃城となった。現在は土塁・曲輪などのほか、先駆的に取り入れられた石垣なども遺構として残っている。
浅井長政:戦国時代の武将。北近江の戦国大名。浅井氏の3代目にして最後の当主。浅井氏を北近江の戦国大名として成長させ、北東部に勢力をもっていた。妻の兄・織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏の全盛期を築いたが、後に信長と決裂して織田軍との戦いに敗れて自害。浅井氏は滅亡した。
お市の方:織田信長の妹(従妹)で、信長とは13歳離れている。通説では、父は織田信秀で、五女と伝えられ、母は土田御前とされている。信行、秀孝、お犬の方は同腹の兄姉という。初めは近江の大名・浅井長政の継室となり、後に織田家重臣の柴田勝家の正室となった。子に茶々(豊臣秀吉側室)、初(京極高次正室)、江(徳川秀忠継室)がいる。孫にあたる人物は豊臣秀頼(茶々の息子)、豊臣完子、千姫、徳川家光、徳川和子(江の娘、息子)など
(ウィキペディアより)

駅に隣接するコミュニティセンター。ここで登山口まで使用するレンタサイクルを借りる。

先客のおじさんが2人。

  係りのおじいさんが道順等丁寧に説明している。

やっと自分の番が回ってきた。レンタル料\500。

登山口がある小谷城戦国歴史資料館までは、自転車で約10分。

「小谷城跡」の看板。あそこに登る。

小谷城戦国歴史資料館に自転車を置く。資料館自体は定休日だった。

頂上は大嶽城跡495mだが、今日は時間と体力を考慮して、本丸跡から山王丸を経て六坊まで行き、そこから清水谷を下るコースを選んだ。

いざ登山開始。ここで、ずっとリュックにしのばせていた、返品処理して2本そろったトレッキングポールが活躍する。

あれが、頂上の大嶽城跡か。

森の中に入る。

大嶽城まで2600m。やはり頂上は無理だ。大嶽城の距離が基準のようで、番号のついた標識が道沿いに立っている。この番号は、緊急時の位置確認としても使われる。

途中車道と接する。車で上がれるようだ。

自分は登山道を登る。

通常の登山と違い、長政とお市の方の悲話にまつわる山だけあって、登る人も多い。結果的に、自分が歩く間に、延べ10人弱の人にあった。

間柄峠に到着。

見晴らしもよく、ここで一服。

遠く琵琶湖を見る。中央の島は、先ほど行った竹生島。

先を急ぐ。

頂上ははるか向こうに見える。

車道はここまで。駐車場はないので道なりに停めてある。ここからが一般の登山道になる。

出発地点の番所跡。

本丸まであと260m。なんとか頑張れそう。

眺望の開けたところから、琵琶湖を臨む。

御茶屋跡。名前は御茶屋だが、軍事施設である。小谷城は山城で、こういう曲輪(くるわ) の多くで構成されている。
曲輪:城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称である。郭とも書く 。

馬洗池。

御馬輪跡。本丸の前面にあり、本丸を守るために作られた曲輪。

首据岩。敵方に内通したスパイ、今井秀信の首をさらしたと言われる岩。

黒金門跡。大広間の前にあった門。

桜馬場跡。大広間の前にある曲輪。

NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」第8話のロケ地になった。

大広間跡。小谷城最大の曲輪。お市の方らもここで暮らしたのか。

やっと本丸下に到着。

本丸に登る。

本丸跡。 浅井長政はここで自決したと言われる。

 本丸から大広間を見下ろす。しばし、戦国の世に思いをはせる。

多くの観光客はここで引き返すが、自分はがんばって山王丸に向かう。

本丸の防御のために掘られた大きな堀切。毛利元就の郡山城跡備中松山城など最近行った城でもおなじみの堀切。

本丸の北側に、中丸・京極丸・小丸・山王丸と曲輪が続く。

中丸跡。

刀洗池。名前はぶっそうだが井戸の跡。この高地で水を確保するのも大変だったろう。

さらに山道を奥へ進む。

京極丸跡。

小丸跡。

本丸から380m来た。

ここで一休み。

六坊行きの矢印があるので、逸れに従い進むが、道がはっきりしてい。

倒木が切ってあるので、この方向で言いと確信する。

山王丸に到着。今日のコースでは標高の一番高いところ。398m。

小谷城の西側が見える。

ここで、比婆山に続き、影出現第2弾。

大嶽はさらに上。標高は495m。

山王丸からは一気に下り坂。

清水谷へ下りる分岐の六坊に着く。

ここをまっすぐ登ると大嶽に行くが…

自分は左折して清水谷に下りる。清水谷には防衛上、家臣団の住居があった。

下り坂でトレッキングポールが役立つ。

ここも丁寧に、道をふさいだ倒木の枝が切り落としてある。

遠くに麓が見えてきた。

谷沿いに下りていく。

土佐屋敷跡。

六坊から280m下りてきた。

60m下りて三田村屋敷跡。

谷というだけあって、溝は深い。

土石流で転がり落ちたのか、巨岩がある。

巨岩の蛙岩。

そう言われれば蛙に見える。

さらに下りていく。

麓まで下りたところで物音がする。

森林整備の作業かと思ったら、発掘作業だった。。

 御屋敷跡の発掘とのこと。

自転車を停めている資料館に帰ろうと思ったら、この看板。「通り抜けできません」。そんなバカな、ここまで来て引き返せというのか。心配になり、発掘しているおじさんに確認すると、六坊を超えての山越えはできないとのこと。安心した。

資料館に向かう。

実は、河毛駅の電車は毎時間20分の1本のみ。現在14:55。できれば15:20の電車に乗りたい。強風の中を駅に急ぐ。ただ、やけにペダルが重いのだ。速度も出ない。向かい風のせいかと思って我慢して漕いだが、終わり頃になってギアが坂道用になっていたことに気づく。

なんとか15:10に河毛駅に到着。電車の時間に間に合った。

先ほど登った小谷城址を振り返る。山登りの後の楽しみだ。

電車が来た。実はもう一つ寄りたい場所である彦根に向かう。

彦根に到着。

彦根駅西口。

駅前から彦根城が見える。実は。彦根に来たのは、職場の人に勧められた「近江牛肉うどん」を食べることと、旅の終わりに温泉につかること。

彦根城は巨大な敷地である。今日は。時間的にも気力的にも見て回るのは無理。またの機会に訪れたい。

マップで見つけた「近江牛肉うどん」の店は、彦根城の近くなので、堀に沿って歩く。

夕日に染まる城跡。

夕日に染まる天守閣。

彦根城西門。

ここからの商店街に店はあるのだが…

なんと、本日定休日。調べてこなかった自分が悪い。ここで早めの夕ご飯になるので、昼を省いて準備万端だったのだが…

しかたなく次の目的地の「彦根 極楽湯」に向かう。途中、「両替商」の札を下げた銀行がある。江戸風情を演出したのが心憎い。

極楽湯まではかなり歩くことになる。途中ローソンのMACHIcafeで一服。

彦根城から歩くこと30分弱。「ゆ」の看板が見える。すっかり暗くなっている。

今回の旅の終わり、極楽湯に到着。

入浴料金\800。

広くてきれいなSPAだ。

「近江牛肉うどん」はなかったので名物「近江ちゃんぽん」を注文する。 食べ終わり、帰りの行程を確認する。ここからまたJR彦根駅までは遠い。実は秘策があった。極楽湯からそう遠くないところに近江鉄道・ひこね芹川駅がある。これに乗って終点・米原まで行き、そこから新幹線で帰る… これがもっとも乗り換えの少ないコースだ。

 風呂を出る。出たところで救急車がやってきた。どうやら風呂の中で誰か倒れたらしい。自分も一人旅で倒れたら、人様にめいわくがかかるな… など思いながら極楽湯をあとにする。

このあたり、近江鉄道はJRと併走している 。高架は2線のもの。

高架の横上にひこね芹川駅がある。

時刻表を確認して電車を待つ。利用者も何人かいる。

米原行きがやって来た。

近江鉄道彦根駅に到着。みんな彦根で下りるんだろうな、自分は米原まで行くのでこのまま乗っている。しかし、電車の動く気配がない。たしか米原行きのはずだが… 乗務員に確認すると15分後に発車するとのこと。時間合わせか。いすれにしても、JRもあるのに米原まで、ここから乗る人もいないだろう。これならJR琵琶湖線で京都駅まで行き、新幹線に乗り継いだほうが早いかもと思い、JRのホームに向かう。

この旅で何度も乗った琵琶湖線。京都まで行く。

京都駅で新幹線に乗り換え。

20:10ののぞみで広島に帰る。


今回、初めての2泊3日の旅だった。1泊の旅とは一味違う、暖かい旅愁を感じる旅だった。3日目の帰る頃には、このまま旅を続けたいとも思った。自分が、帰るところのない旅人であると改めて知る旅だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿