12:20、長浜から2つ目の河毛駅に到着する。
JR琵琶湖線。長浜方面。
駅前にある、浅井長政とお市の方の彫像。
小谷城:日本五大山城の一つに数えられる。標高約495m小谷山(伊部山)から南の尾根筋に築かれ、浅井長政とお市の方との悲劇の舞台として語られる城である。戦国大名浅井氏の居城であり、堅固な山城として知られたが、元亀・天正の騒乱の中で4年間織田信長に攻められ落城した。その後、北近江の拠点は長浜城に移されたために廃城となった。現在は土塁・曲輪などのほか、先駆的に取り入れられた石垣なども遺構として残っている。
浅井長政:戦国時代の武将。北近江の戦国大名。浅井氏の3代目にして最後の当主。浅井氏を北近江の戦国大名として成長させ、北東部に勢力をもっていた。妻の兄・織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏の全盛期を築いたが、後に信長と決裂して織田軍との戦いに敗れて自害。浅井氏は滅亡した。
お市の方:織田信長の妹(従妹)で、信長とは13歳離れている。通説では、父は織田信秀で、五女と伝えられ、母は土田御前とされている。信行、秀孝、お犬の方は同腹の兄姉という。初めは近江の大名・浅井長政の継室となり、後に織田家重臣の柴田勝家の正室となった。子に茶々(豊臣秀吉側室)、初(京極高次正室)、江(徳川秀忠継室)がいる。孫にあたる人物は豊臣秀頼(茶々の息子)、豊臣完子、千姫、徳川家光、徳川和子(江の娘、息子)など
(ウィキペディアより)
駅に隣接するコミュニティセンター。ここで登山口まで使用するレンタサイクルを借りる。
先客のおじさんが2人。
係りのおじいさんが道順等丁寧に説明している。
やっと自分の番が回ってきた。レンタル料\500。
登山口がある小谷城戦国歴史資料館までは、自転車で約10分。
「小谷城跡」の看板。あそこに登る。
小谷城戦国歴史資料館に自転車を置く。資料館自体は定休日だった。
頂上は大嶽城跡495mだが、今日は時間と体力を考慮して、本丸跡から山王丸を経て六坊まで行き、そこから清水谷を下るコースを選んだ。
いざ登山開始。ここで、ずっとリュックにしのばせていた、返品処理して2本そろったトレッキングポールが活躍する。
あれが、頂上の大嶽城跡か。
森の中に入る。
大嶽城まで2600m。やはり頂上は無理だ。大嶽城の距離が基準のようで、番号のついた標識が道沿いに立っている。この番号は、緊急時の位置確認としても使われる。
自分は登山道を登る。
通常の登山と違い、長政とお市の方の悲話にまつわる山だけあって、登る人も多い。結果的に、自分が歩く間に、延べ10人弱の人にあった。
間柄峠に到着。
見晴らしもよく、ここで一服。
遠く琵琶湖を見る。中央の島は、先ほど行った竹生島。
先を急ぐ。
頂上ははるか向こうに見える。
車道はここまで。駐車場はないので道なりに停めてある。ここからが一般の登山道になる。
出発地点の番所跡。
本丸まであと260m。なんとか頑張れそう。
眺望の開けたところから、琵琶湖を臨む。
御茶屋跡。名前は御茶屋だが、軍事施設である。小谷城は山城で、こういう曲輪(くるわ) の多くで構成されている。
曲輪:城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称である。郭とも書く 。
馬洗池。
御馬輪跡。本丸の前面にあり、本丸を守るために作られた曲輪。
首据岩。敵方に内通したスパイ、今井秀信の首をさらしたと言われる岩。
黒金門跡。大広間の前にあった門。
桜馬場跡。大広間の前にある曲輪。
NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」第8話のロケ地になった。
大広間跡。小谷城最大の曲輪。お市の方らもここで暮らしたのか。
やっと本丸下に到着。
本丸に登る。
本丸跡。 浅井長政はここで自決したと言われる。
多くの観光客はここで引き返すが、自分はがんばって山王丸に向かう。
本丸の防御のために掘られた大きな堀切。毛利元就の郡山城跡、備中松山城など最近行った城でもおなじみの堀切。
本丸の北側に、中丸・京極丸・小丸・山王丸と曲輪が続く。
中丸跡。
刀洗池。名前はぶっそうだが井戸の跡。この高地で水を確保するのも大変だったろう。
さらに山道を奥へ進む。
京極丸跡。
小丸跡。
本丸から380m来た。
ここで一休み。
六坊行きの矢印があるので、逸れに従い進むが、道がはっきりしてい。
倒木が切ってあるので、この方向で言いと確信する。
山王丸に到着。今日のコースでは標高の一番高いところ。398m。
小谷城の西側が見える。
ここで、比婆山に続き、影出現第2弾。
大嶽はさらに上。標高は495m。
山王丸からは一気に下り坂。
清水谷へ下りる分岐の六坊に着く。
ここをまっすぐ登ると大嶽に行くが…
自分は左折して清水谷に下りる。清水谷には防衛上、家臣団の住居があった。
下り坂でトレッキングポールが役立つ。
ここも丁寧に、道をふさいだ倒木の枝が切り落としてある。
遠くに麓が見えてきた。
谷沿いに下りていく。
土佐屋敷跡。
六坊から280m下りてきた。
60m下りて三田村屋敷跡。
谷というだけあって、溝は深い。
土石流で転がり落ちたのか、巨岩がある。
巨岩の蛙岩。
そう言われれば蛙に見える。
さらに下りていく。
麓まで下りたところで物音がする。
森林整備の作業かと思ったら、発掘作業だった。。
御屋敷跡の発掘とのこと。
自転車を停めている資料館に帰ろうと思ったら、この看板。「通り抜けできません」。そんなバカな、ここまで来て引き返せというのか。心配になり、発掘しているおじさんに確認すると、六坊を超えての山越えはできないとのこと。安心した。
資料館に向かう。
実は、河毛駅の電車は毎時間20分の1本のみ。現在14:55。できれば15:20の電車に乗りたい。強風の中を駅に急ぐ。ただ、やけにペダルが重いのだ。速度も出ない。向かい風のせいかと思って我慢して漕いだが、終わり頃になってギアが坂道用になっていたことに気づく。
なんとか15:10に河毛駅に到着。電車の時間に間に合った。
先ほど登った小谷城址を振り返る。山登りの後の楽しみだ。
電車が来た。実はもう一つ寄りたい場所である彦根に向かう。
彦根に到着。
駅前から彦根城が見える。実は。彦根に来たのは、職場の人に勧められた「近江牛肉うどん」を食べることと、旅の終わりに温泉につかること。
彦根城は巨大な敷地である。今日は。時間的にも気力的にも見て回るのは無理。またの機会に訪れたい。
マップで見つけた「近江牛肉うどん」の店は、彦根城の近くなので、堀に沿って歩く。
夕日に染まる城跡。
夕日に染まる天守閣。
彦根城西門。
ここからの商店街に店はあるのだが…
なんと、本日定休日。調べてこなかった自分が悪い。ここで早めの夕ご飯になるので、昼を省いて準備万端だったのだが…
しかたなく次の目的地の「彦根 極楽湯」に向かう。途中、「両替商」の札を下げた銀行がある。江戸風情を演出したのが心憎い。
極楽湯まではかなり歩くことになる。途中ローソンのMACHIcafeで一服。
彦根城から歩くこと30分弱。「ゆ」の看板が見える。すっかり暗くなっている。
今回の旅の終わり、極楽湯に到着。
入浴料金\800。
広くてきれいなSPAだ。
「近江牛肉うどん」はなかったので名物「近江ちゃんぽん」を注文する。 食べ終わり、帰りの行程を確認する。ここからまたJR彦根駅までは遠い。実は秘策があった。極楽湯からそう遠くないところに近江鉄道・ひこね芹川駅がある。これに乗って終点・米原まで行き、そこから新幹線で帰る… これがもっとも乗り換えの少ないコースだ。
風呂を出る。出たところで救急車がやってきた。どうやら風呂の中で誰か倒れたらしい。自分も一人旅で倒れたら、人様にめいわくがかかるな… など思いながら極楽湯をあとにする。
このあたり、近江鉄道はJRと併走している 。高架は2線のもの。
高架の横上にひこね芹川駅がある。
時刻表を確認して電車を待つ。利用者も何人かいる。
米原行きがやって来た。
近江鉄道彦根駅に到着。みんな彦根で下りるんだろうな、自分は米原まで行くのでこのまま乗っている。しかし、電車の動く気配がない。たしか米原行きのはずだが… 乗務員に確認すると15分後に発車するとのこと。時間合わせか。いすれにしても、JRもあるのに米原まで、ここから乗る人もいないだろう。これならJR琵琶湖線で京都駅まで行き、新幹線に乗り継いだほうが早いかもと思い、JRのホームに向かう。
この旅で何度も乗った琵琶湖線。京都まで行く。
京都駅で新幹線に乗り換え。
20:10ののぞみで広島に帰る。
今回、初めての2泊3日の旅だった。1泊の旅とは一味違う、暖かい旅愁を感じる旅だった。3日目の帰る頃には、このまま旅を続けたいとも思った。自分が、帰るところのない旅人であると改めて知る旅だった。
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