12:20、道の駅橋杭岩に着く。
これが見たかった風景。
橋杭岩。
弘法大師と天の邪鬼とが一晩で大島まで橋を架ける競争をしたが、負けそうになった天邪鬼が鶏の鳴きまねをして夜が明けたと思わせたため、弘法大師が作業を止め、橋を完成させることなく杭だけで終わったという伝説を生み出した奇岩群、「橋杭岩」。
海岸から大島に向かって一直線に約850mに渡って大小40余りの奇岩が林立しています。不思議な光景です。砂や泥が海底に堆積してできた堆積岩中の割れ目にマグマが貫入して冷え固まったものだそうで、その後、隆起し、柔らかい堆積岩は海の波により侵食され、硬い火成岩の部分が断続的に取り残されて、橋脚が並んだような地形となりました。大地の歴史を示すこの独特の地形は、国の名勝・天然記念物に指定されています。(み熊野ネットより)
目の前の岩は津波などにより運ばれた落石。
それぞれの岩には名前が付いているらしい。
現在満ち潮のようだ。 出来るだけ近くに行って見たい。
網目状の岩の露出した部分を踏んで進む。
波が押し寄せる。
足元の気にしながら撮影。
橋杭岩の先端には木の生えた小島がある。
遠く大島大橋が見える。
新宮に着いた日、旅館でつけたテレビで和歌山のローカル局の番組「お宝発見!街かど トレジャー」で紹介された店。今回は、テレビの情報がタイムリーだった。橋杭岩についてとうとうとしゃべり続ける、名物おじさんがいたので、昼はここで食べようかとも思ったが、本日休み。
道の駅の食堂で、橋杭岩を見ながら、マグロ丼を食べる。
昼ごはんを終えて、波止場の先に行ってみる。
橋杭岩の先にある小島には鳥居がある。
橋杭岩は大島の方へ伸びている。
串本側を見る・
後から走る大島大橋。
左の岩の上には鳥が止まっているように見える。(本当は岩)
それぞれの岩には名前があるというが、なるほど何かの形に見えてくる。
橋杭岩を楽しんで、潮岬に向かう。潮岬タワーの駐車場に停めて、灯台まで歩く。
灯台入口。
白が美しい潮岬灯台。
明治6年の初点灯以来、100余年もの間、海上交通の要所として沖行く船を照らし続ける30mの断崖に建つ白亜の灯台で、本州最南端のシンボル。(南紀串本観光ガイドより)
灯台の中は有料、上まで登れる。
手すりに捕まり登る。螺旋階段で、若干目が回る。
階上に到着。
ぐるり展望できる。車を置いたタワーの方。
南に広がる太平洋。
南紀白浜方面。
灯台の直下。
太平洋の荒波を見下ろす。
階段を下りる。68段。
1回には資料室がある。実物大のライト。
灯台から本州最南端に向かう。
途中の道野辺に、蝶々が止まっていた。
一帯は広い芝生広場。
最南端の碑の前で写真を撮る中国人。日本語も話せて、全員の写真を撮ってあげた。
本州最南端。
展望台に行く。
本州最南端から太平洋を臨む。
せっかくなので観光タワーに上る。
チケットを買うと証明書をくれた。
タワーの展望台。
灯台が見える。
最南端が見える。
遠くは昨日歩いた熊野古道がある山々。
これから向かう大島方面。
今日の最後の訪問地(余裕があれば、串本の海中公園、先日牛深で見逃したので行こうかと思ったが、時間的に無理)大島に向かう。大島に渡る前にループ橋を写す。
大島大橋を渡ったところ。かすかにループ橋も見える。
トルコ記念館。以前「海難1890」という映画で、大島近くで座礁したトルコ船の乗組員を島の人が助け、その返礼に100年後、イランイラク戦争勃発時に、トルコ政府が日本人のテヘラン脱出の手助けをした… という逸話を知った。それがあって、大島を訪ねることを思いついた。詳しくはここ。
トルコグルメの店もある。
トルコ軍艦遭難慰霊碑。
向こうに樫野崎灯台が見える。
トルコ国の建国の父とされるケマル・アタチュルクの像。
樫野崎灯台
灯台のテラスから新宮方面。
灯台の下には荒波が。トルコの船もこれで難破したのかもしれない。
駐車場に戻る。
断崖に立つ慰霊塔。
最後に海金剛に行く。近くに日米修好記念館がある。その駐車場に停める。この記念館、有料だが訪れる人がいるのだろうか。
海金剛展望台まで歩く。
展望台。
尖った三角形の岩が多く、朝鮮半島の金剛山から名前を取っている。
一際尖った岩にズームイン。
海金剛と反対側の太平洋。島のない海にも慣れた。
先ほど言った樫野崎灯台が見える。
車は早めに返却する。新宮行きの電車まで相当時間があるので、駅近くの風呂に入る。
風呂から上がると、日が落ち暗くなっていた。新宮にはこれといった食事処を見つけられないので、駅前の中華料理店で夕飯にする。
電車の時間になり串本駅にもどる。本州最南端の駅。
帰りも特急くろしおを予定していたが、踏み切りトラブルで40分に遅れ。普通列車のほうが早く着くので乗車し、新宮に帰る。
串本での旅程図。
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