2019年11月20日水曜日

本耶馬溪 (2019.11.20)

先日、三段峡でも紅葉を楽しんだが、今年の紅葉は耶馬溪でと計画していた。耶馬溪といっても、青の洞門や競秀峰の本耶馬溪、一目八景の深耶馬溪など広範囲にわたる。今回は定番の競秀峰と一目八景を中心に、奥耶馬渓の猿飛千壺峡を回り、大分で一泊して、豊後竹田の岡城址に行く。
実は今回の旅の前にハプニングがあった。自分が休みを間違えていて、仕事の日にホテルなど予約していた。旅の前日に確認して気づき、急遽、電話で変更をした。

耶馬溪はレンタカーで回るが、広島を朝一で出ても、レンタカーを借りる中津には9時前に着く。できれば8時から回りたいので、前日の夜に小倉駅前のカプセルホテルに泊まり、中津に向かう。

小倉から特急ソニックで、7:50に中津に到着。

 青の洞門の公共駐車場に到着。

まず、青の洞門に向かう。

川べりに立つ禅海和尚の像。
禅海和尚:江戸時代、荒瀬井堰が造られたことによって山国川の水がせき止められ、樋田・青地区では川の水位が上がりました。そのため通行人は競秀峰の高い岩壁に作られ鉄の鎖を命綱にした大変危険な道を通っていました。諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓へ立ち寄った禅海和尚は、この危険な道で人馬が命を落とすのを見て心を痛め、享保20年(1735年)から自力で岩壁を掘り始めました。禅海和尚は托鉢勧進によって資金を集め、雇った石工たちとともにノミと鎚だけで掘り続け、30年余り経った明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門を完成させました。寛延3年(1750)には第1期工事落成記念の大供養が行われ、以降は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用に充てており、日本初の有料道路とも言われています。(中津耶馬溪観光協会HPより)

自動車道路の下に禅海和尚の手掘りの洞門が残っている。

 洞門の中を通る。

自動車道を進む。

また、道路の下に下りる歩道があったので下りる。仏様とノミをふるう禅海和尚の像。

あの角が掘りちがいをした跡。両側から掘ってずれたということか。

最初に開いた明かり取りの窓。

 こちらの方が手彫り跡のメインルートである。

外に出ると案内があった。なお、青の洞門は、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」で有名になった。

 道路の道幅が狭いので、信号機による一方通行規制がある。切り替えには約3分かかる。

耶馬溪橋、通称オランダ橋に向かう。長崎県に多い石積み使用しているため、その名になったという。

オランダ橋を渡る。

橋を渡ったところから。8連石橋アーチで、日本最長の石橋アーチ。

車道で青の洞門まで戻り、ここから競秀峰の遊歩道に入る。

このマップを携帯した。「崖っぷち探検コース」の初級コースを選んだ。車を停めた公共駐車場からも登れるが、坂が急勾配らしい。青の洞門側からだと緩やかな登りになる。

遊歩道には各所に、案内板と目印のピンクのテープがあるので迷うことはない。道に迷い妙なところに迷い込むと転落の危険もある。

初めて通行料を徴収したので、日本最古の有料道路。

川を下に見ながら進む。

一の峰を通過。

二の峰を通過。

三の峰に到着。展望台に行く。

展望台は少し突き出たところ。

車を停めた駐車場が眼下に見える。

恵比寿岩に到着。

といっても、どれが恵比寿岩なのか分からない。

ここで先に進む道が分からなくなり、しばらくぐるぐる回り、道を見つける。

帯岩。

ここでも弩の岩か分からないので、取り合えず写真。

眼下を写す。

右の建物は、駐車場の対岸にあるレストハウス。

やっと、岩場らしい道になってきた。

しばらく進むと広い場所に出る。

妙見堂。

一帯を妙見岩と言い、そこにある洞窟を妙見窟と言う。

妙見窟の案内がある。

仏像が何体かある。

妙見窟から下る。

急な勾配をどんどん下る。

ところどころに石仏。

どこかに上級コースとの分岐があったのだろうか、発見できないまま下まで下りてきた。帯岩の説明があった。鎖場のようである。

だが、危険なので通行止め。

麓に下りる。

駐車場に出る。ここからも登れるが、確かに急勾配だった。

駐車場の前の青の禅海橋を渡る。

橋の上から、競秀峰。

中央に横に伸びる白い部分が帯岩。 鎖を頼りにあそこを通るのは、確かに危険だ。

橋を渡ったところにあるレストハウス。

岸辺に下りて競秀峰を見る。 「崖っぷちコース」で、あの上を歩いてきた。
耶馬渓を代表する名勝で、山国川下流側から一の峰・二の峰・三の峰・恵比須岩・大黒岩(帯岩)・妙見岩・殿岩・釣鐘岩・陣の岩・八王子岩などの巨峰や奇岩群が約1キロに渡り連なっていて、その裾野には青の洞門が穿たれています。競秀峰の名は宝暦13年(1763年)に訪れた江戸にある浅草寺の金龍和尚に命名されましたが、文政元年(1818年)に訪れた頼山陽が描いた水墨画の代表作「耶馬渓図巻」によって天下に紹介されました。(中津耶馬溪観光協会HPより)

紅葉の向こうに競秀峰

橋を渡り戻る。岸辺に下りる。

もう一度、を見上げる。

帯岩にズームイン。

川べりから、山国川と競秀峰。

時間もたち、車も増えてきた。

続いて車で約10分。羅漢寺入口に到着。

歩いても登れるが、今日はリフトを使う。

山頂までの往復で800円。

結構揺れる。

途中の羅漢寺駅で下りる。

羅漢寺向かう。

岩のトンネルをくぐる。トンネルの出口には、撮影禁止のの立て札がある。

ここまで来て写真が撮れないとは… 先日の熊野本宮大社でも、撮影禁止といいながら、みんな採っていたし、ここでも幾人かは撮影している。自分も、確信犯で写真を撮る。

そそり立つ岩の下に山門。

山門の手前に、千体地蔵。

山門をくぐる。

山門の前から登ってきた道を見る。

山門を入ったところに、たくさんのしゃもじが並んでいる。

しゃもじは、飯をすくうので、救うの意があるらしい。

 中には五百羅漢。

しゃもじも販売している。撮影禁止の禁を犯しているので、いつもと勝手が違う。

さらに進んで、洞窟の向こうに本堂がある。
荒々しい岩山、羅漢山の中腹に位置する羅漢寺は、大化元年(645)にインドの僧、法道仙人が、この岩山の洞窟で修行したことから開基された寺、日本三大五百羅漢の一つです。境内には無漏窟(五百羅漢窟)があり、無漏窟には様々な表情をした五百羅漢などが安置されています。本寺は昭和18年に火災で焼失、現在の本堂は昭和44年に再建されました。(中津市公式観光サイトより)

 洞窟の中に小さな池がある。

300円払って本堂に入る。

狭い階段を上る。

上の出るとお堂がある。

その前から見渡す。

下に下りて本堂の前でこっそり写真を撮っていると、若いお坊さんに「写真を撮らないでください」と叱られた。やっぱり…
入口の立て札には「写真を撮りたい欲望を断ち、参詣に専念せよ」みたいなことが書いてあった。確かに、寺社への参拝の意もあるが、もうひとつ観光の意味もある。結構な値段のリフトを設置しているのも、観光客を誘致するためだろう。中津市公式観光サイトには、
『※羅漢寺を参拝するときは、次の3つのルールを厳守してください。
(1)静粛に
(2)撮影禁止(本堂前と山門前における人物の写った記念撮影は可)
(3)喫煙禁止』
とあった。
また、多くの他の寺社では撮影を禁止していないのに、この寺に限ってかたくななのは何か由来があるのだろうか。釈然としないものが残る。

で、そこで写真は終わる。リフト乗り場に戻り、山頂に向かう。

山頂駅に到着。

紅葉の中を山頂に向かう。

展望台がある。

山頂は紅葉の真っ只中。

展望台に登る。中央の小さな三角の山は、英彦山 (ひこさん)。

近くの耶馬溪の山々。

眼下の紅葉の庭。

紅葉を満喫し、リフト乗り場に戻る。

リフトで下る。

紅葉の間を下りる。

羅漢寺の前に古羅漢があると調べてきたが、それに近い景色は見えない。

リフトを降りて少し歩いてみる。羅漢寺の参道。ここから歩いて登る。

参道を逸れてリフトの下を通る。

羅漢寺旧参道とある。木々に囲まれて古羅漢の景色が見えそうな場所はなさそうなので引き返す。

駐車場から少し下ったところに、古羅漢探勝道入口があったが、午後から行きたいとこがたくさんあるので、今日はここまで。


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