2019年11月6日水曜日

熊野速玉神社 (2019.11. 6)

4連休が取れたので、念願の熊野古道歩きに行く。1日目は新宮の速玉神社、2日目は熊野古道を歩いて本宮大社、3日目は熊野詣は休んで串本を拠点に古座川の一枚岩と橋杭岩、4日目は那智滝… という豪華なスケジュール。ただ、新大阪から新宮までは特急で4時間以上かかり。特急くろしおの便数は少なく、広島を早朝に出発しても新宮には午後2時になってしまう。そこで、前日の夜、岡山のカプセルホテルに泊まり、新大阪7:33発のくろしおに乗ることにした。岡山からだと、朝一番の新幹線に乗れば間に合う。
今回、初めての3泊4日の旅(前泊を加えると4泊)になる。夜、仕事を終え、前もって準備していた荷物を持って、新幹線で岡山に向かう。

早朝ホテルを出て岡山駅に向かう。このカプセルホテルは昨年夏、牛窓に行ったときにも利用した。

新大阪7:33発の特急くろしおに乗車。

新宮までは4時間以上かかり、正午前に到着する。

ようやく新宮駅に到着。

速玉大社に向かう。ホテルの空室がなくて苦労した割りには、商店街はひっそりしている。

 速玉大社前に到着。

境内に入る。

平重盛が植えたという樹齢千年の柳。柳の御神木。

手水舎。

神門をくぐる。

速玉大社に参拝。
 熊野速玉大社:「熊野権現御垂迹縁起」(一一六四年長寛勘文)はじめ諸書によると、熊野の神々は、神代の頃、まず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨され、その後、景行天皇五十八年、現在の社地に真新しい宮を造営してお遷りになり、「新宮」と号したことが記されています。初めは、二つの神殿に熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神を祀り、平安時代の初めには現在のように十二の神殿が完成しました。
日本書紀には、神武天皇が神倉に登拝されたことが記されています。悠久の古より人々から畏れ崇められてきた神倉山には、初め社殿はなく、自然を畏怖し崇める自然信仰、原始信仰の中心であったと思われます。また、ここから弥生時代中期の銅鐸の破片も発見されています。(熊野速玉大社公式HPより)

大社を左から。

崇徳上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇… 歴史ドラマにも登場する多くの天皇・上皇が詣でている。

大社を右から。

熊野速玉大社を出て神倉大社に向かう。

神社麓の橋を渡る。

参道に向かう。

鳥居をくぐり参道に入る。

頂上までは538段の石段を登る。最初は段差も大きく急な石段が続く。

息を切らして登り、途中から緩やかな石段になる。

神社入口に到着。

遠くに神社が見える。

神倉神社に到着。
神倉神社:熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された聖地です。天ノ磐盾という峻崖の上にあり、熊野古道中の古道といわれる五百数十段の仰ぎ見るような自然石の石段を登りつめた所に御神体のゴトビキ岩があります。熊野速玉大社は、まだ社殿がない原始信仰、自然信仰時代の神倉山から、初めて真新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、この神倉神社に対して「新宮社」と呼ばれています。(熊野速玉大社公式HPより)

コトビキ岩。速玉神社の御神体。熊野三山の御神体はそれぞれ、自然そのものである。本宮大社は川を、那智大社は滝を御神体としている。

新宮の町を一望する。

 巨岩の下まで登る。

2つの巨岩の間にもう一つ。

こうして見上げると、よくあそこで落ちないで止まったと思う。

巨岩のパワーを感じながら一時を過ごす。

 参拝を終え神社を後にする。

参拝者が登ってきている。その中の一人のオジサンに「あとどれくらいか」を尋ねられた。那智大社に登ってきた後で、お疲れのようだった。

麓まで下りる。

速玉大社参拝を終えて、時刻は14時過ぎ。後は事前に調べてきた、新宮市の観光スポットを回る。まず浮島の森。入場料を払う。受付のおじさんが、「以前は強風で森が動いた」と言う。まさかと思いながら中に入る。

左が浮島の森。

確かに浮かんでいるような感じもする。

森の中に入る橋。

森の中を歩く。

一回りして森を出る。

下ははっきりとした土でなく、落ち葉が堆積したように見える。

おじさんが小船に乗り藻を掬っている。

外に出て、説明板を読む。植物の遺体が堆積し、低音の湧き水のため分解が遅れて泥炭マット上の浮遊体が出来た。沼が広い昔は、実際に風で動いたそうだ。土砂の堆積により沼が狭くなり、島が座礁して動かなくなった… 案内のおじさんの説明は本当だった。

新宮駅まで南下すると、徐福公園がある。

いかにも中国風の建築。

秦の始皇帝の命により不老不死の薬を探しにここに来た徐福を記念して作られた公園。

ここでしばらく休む。

次の新宮城跡に向かう途中に、今日から3泊する長谷旅館があった。いわゆるホテルはどこも空きがなく、予定を変更かと思ったが、なんとか見つけた宿がここ。

新宮城跡に到着。別名、丹鶴城(たんかく)。

本丸跡に登る。

頂上の本丸跡。
熊野川河口の南岸の小高い丹鶴山に築かれた眺望の良い城跡公園。元々は源為義の娘である丹鶴姫の住まいであったことから「丹鶴城」とも呼ばれています。元和5年(1619年)にそれまで地域を治めていた浅野氏に代わり、紀州藩主の初代徳川頼宣の付家老である水野氏が入城。その後10代にわたり長い統治が続き、現在の新宮市は城下町として栄えました。城郭には港の跡を見ることができ、技術の粋を結集した石垣からも当時の国力がうかがえます。 2017年4月6日に日本城郭協会より「続日本100名城」に選定されました。(新宮市観光協会HPより)

新宮市街地。

熊野川河口。

石垣も残っている。

下方に遊歩道らしきものが見える。

その遊歩道に行こうと公園を後にする。

和傘が並べてある。

ネットで調べると、夜にはライトアップされるようだ。期間は10日間くらいで、今日もその中に入っている。これは予定外の楽しみだ。

和傘は下まで続いている。

目指していた川岸の遊歩道ではなく、門に下りてきた。

城の下に向かい熊野川沿いを歩く。

先程上から見た遊歩道に到着。何かの跡らしい。

 上は先ほど登った城跡。

さて、和傘のライトアップまでは時間があるので、少し距離はあるが新宮市の南に広がる王子が浜に行くことにする。マップを頼りに歩くこと30分。海岸近くに着いたが、浜に出る道がない。しばらく松林の中を行く。

ようやく海岸の遊歩道と合流する。王寺が浜、西の勝浦方向。

東の三重県方向。

島影一つない太平洋。

先日の桂浜に続き、太平洋を見ることになる。

 海を見ながら一時過ごし、王子が浜の黒猫に別れを告げる。

予定では名物のめはり寿司を食べるつもりだったが、駅前のすし屋が早々に店じまいしていて、めぼしい食堂が見当たらない。今日は駅前のコンビニのイートインで夕食にする。このコンビニ、これから毎朝、ここでパンを食べて出かけることになる。あたりは暗くなってきている。

 新宮城跡のライトアップに向かう。

先程は下りた道を登る。

これは予想外のサプライズ。

 登ってきた道を振り返る。

写真を撮る人。

本丸へ向かう。

赤の傘。

紫の傘。

ここにも写真を撮る人。

頂上に着く。大満足のライトアップだった。

石垣の下には、趣を変えたライトアップ。

夜の熊野川。

先程は登った道を下る。

下まで下りて光の道を見上げる。

ようやく宿に着く。ずっと旅してきて、初めての和室。WIFIは完備し、トイレ風呂も中にある。1泊4000円台。これで十分だ。

新宮市での旅程図。



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