2019年11月21日木曜日

岡城址 (2019.11.21)


岡城址のある豊後竹田までは、大分から豊肥線で行く。一番電車は 6:39。大分駅南口。どこか見覚えのある景色。実は、以前別府で車を借りドライブしたとき、大分市出身の人を大分駅で下ろしたことがある。おぼろげな記憶であるが、そのときの景色に似ている。2013年、大分駅は高架になったが、それ以前は平地駅だった。別府から走り、左側に駅が見えたから、そのときは南口に来たわけだ。昨夜、府内城に行くとき、大分駅もずいぶん変わったんだと思ったが、自分の記憶の風景は、南口だったことになる。

豊後竹田行きの普通列車に乗る。

約1時間10分で豊後竹田駅に到着。発着メロディーは、滝廉太郎作曲の「荒城の月」。滝廉太郎は12~14歳を、豊後竹田で過ごしたが、そのとき遊んだ岡城址をモチーフにして作曲した。そのため、短い滞在期間にもかかわらず、豊後竹田の宣伝にも「荒城の月」が使われる。

駅前の橋を渡り、岡城址に向かう。

橋の上から。豊後竹田を流れる稲葉川。岡城はこの稲葉川と、もうひとつの大野川が合流する舌状台地に築かれた。

主車道を逸れ、岡城址に向かう道を登る。

トンネルをくぐる。

トンネルを出てしばらく行くと、岡城の麓に着く。

先に左に曲がり、滝廉太郎関連の造形を見る。壁面に刻まれた楽譜。「荒城の月」「花」。滝廉太郎は短い生涯の間に、多くの唱歌を作曲している。「箱根八里」「お正月」「鳩」など、一度は聞いた曲ばかり。

コンクリートで出来たピアノ。

岡城址の駐車場に着く。岡城址を詳しく知ったのは、NHKの『あなたも絶対行きたくなる!日本「最強の城」スペシャル「第3弾」』という番組だった。そのとき、いつか訪れたいと思った。

ここまで歩いて来る人は少なく、多くは車で来る。

城跡には珍しく、入城料300円を払う。

 チケットは登城手形になっており、巻物の中は、携帯したマップと同じ画像の城内案内図が印刷されている。

携帯したマップ。今日はこのルートをなぞって歩くつもり。

岡城址に向かう。

一段高いところにあるので階段がある。

階段を上がる。

ここも紅葉の盛りで、写真を撮りに来ている人が多い。

紅葉に覆われた、登ってきた道。

眼下には大野川が流れる。

城郭への入口、大手門跡。これまで多くの城や城跡を訪れたので、城の施設の名前にも詳しくなった。

携帯したマップに従い、本丸とは反対の西の丸に向かう。

西の丸跡。

自分の影が映る。

下に小さな物見台。遠くに阿蘇山が見える。

西の丸の下を歩く。

井戸の跡。

阿蘇山にズームイン。噴煙が見える。

近戸門跡。

ここからは七曲の急な坂が下っている。坂を下ると駐車場に下りるので、ここから石垣沿いに歩く。

中川覚左衛門屋敷跡。

屋敷跡から、本丸跡に向かうルートに戻る。

 屋敷跡への分岐。本丸に向かう。

紅葉に彩られた石垣の下を歩く。

坂を登ると…

岡城址で必ず紹介される撮影スポットに着く。

3つの石垣の角が並んで見える。西中仕切りから見た石垣。

一番奥にズームイン。

門を通る。

三の丸跡。

奥に休憩所があり、その前の石段を登る。

広場に出る。

岡城本丸跡。
岡城:海抜325mの台地、岡城阯その広さは実面積で100万㎡、その広さは東京ドーム(46.755㎡)の22個分にあたる。 大野川の支流、稲葉川と白滝川が合流する間の舌状台地上に築かれ、川岸からそそり立つその姿はかつて「難攻不落」と言われた天然の要塞であったことを感じさせられる。(豊後竹田市HPより 歴史もここに詳しく紹介れている)

小さな神社がある。

一段上がった高台がある。

高台の上から。歩いてきた西の丸、屋敷跡。

反対側に大野川。

眼下を見る。かなり高いところにある。

灰皿があるので、景色を見ながら一服。

休憩所の広場に降りる。

ここは二の丸跡。

また、滝廉太郎の像も立つ。

休憩所の中に階段があるので登る。

本丸に出る仕組み。

先ほど上がったときは、何かの小屋かと思っていたが、出口だった。

もう一度下に下りる。

マップに従い、さらに奥に進む。

シーズンにはバスでここまで来ることが出来る。ただし、駐車場とここの往復。

マップの最終地、下原御門跡に向かう。

 ようやく、マップでの最終地点に着く。

下原御門跡。説明板によると、最初はここが正門だったが、その後加藤清正の指示により、正門は西の大手門に移された。

下原御門跡から引き返す。

城マニアか、男子が2人写真を撮っている。手前のお兄さんは、無口そうなので挨拶もしなかったが、豊後竹田駅でも会った。

本丸を背後から。

本丸の下を戻る。

石垣の角は、例の算木積み。

城代屋敷跡。

マップに従いここを右に曲がる。

西の丸に右側から戻る。

西の丸は、最初は儀式、焼失再建の後は政務の中心として使われた。

来たときとは反対側から、西の丸へ。

 来たときとは反対側からみた西の丸。

大手門に戻る。

大手門の反対側に、古大手門。最初は小さなものだった。

大手門を通り戻る。

紅葉の写真を撮る人たち。

画面いっぱいの紅葉。

歩幅の狭い方の木の階段を下りる。

来たときは閉まっていたが、土産物屋が開いている。

小腹が空いたのでソフトクリームを食べる。

車も増えてきた。

人も増えてきた。さすが紅葉の季節。

駐車場の隅にバス停もあるが、1日に2~3本。実用的ではない。歩いて駅に戻る。

トンネルの中を、さっきのオニイサンが歩いていく。自分と同じコースを歩いてきたようだ。

竹田市には温泉が2つある。駅の近くには、竹田温泉花水月(はなみづき)があるが、毎週木曜日が休み。そして今日は木曜日。大分行きの列車まで1時間以上あるので、開いていればちょうどいいのだが。

歩いて15分のもうひとつの温泉、岡城天然温泉月のしずくが駅の反対方向にあるが、往復時間と入浴時間合わせて1時間弱はせわしないので、途中で引き返す。

駅まで歩いてきて、昼ごはんを食べる食事所はなかった。駅にはコンビにもないので、近くの商店でせんべいを買い、待合室で列車を待つ間、腹の足しにする。

12:08豊後竹田から、大分で乗り換えて、14:35もう一度中津駅に着く。あえて中津で下りたのは、時間も早いし、昨日見れなかった、日本三大水城のひとつである中津城を見たかったから。これまで残りの2つ、高松城今治城は行っている。昨日は、時間的に無理だろうと考えて、2日目のコースに入れておいた。あまり調べて来なかったので、電車の中でコースを考えた。まず昼ごはんに、中津名物のから揚げを食べ、赤壁寺と福澤諭吉旧宅をみて中津城に向かう。最後に、中津城近くの銭湯に入り、旅の締めとする。

から揚げ専門店、からいち。店内では食べられないので、から揚げ弁当を買う。

弁当を片手に歩く。赤壁寺の通り。

赤壁・合元寺。

寺町を歩く。
福澤諭吉旧宅。

空腹で低血糖状態。ふらふらしてきたので、公園で弁当を広げる。腹が減っていたのと、名物で、から揚げは非常においしかった。

公園の近くにある大銀杏。大銀杏は、奥出雲筒賀で見たが、ここのは観光地化されていなくひっそりしている。

武家屋敷跡を通り…

中津城の裏に出る。水城の割りには水が少ない。

一帯は公園になっていて、正面入口から入る。

 三斎池と中津城。

中津大神。

中津城に向かう。

こじんまりとした5層の城。
 中津城:豊前国中津(現在の大分県中津市二ノ丁)にあった日本の城。黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた。 大分県指定史跡。江戸時代の大半は、奥平家が居城としていた。(ウィキペディアより)
詳しくは中津城公式HP

 続日本名城100選。


入城料を払って天守閣に向かう。

途中の展示物は素通りして、一気に最上階へ。

周防灘方面。

北九州方面。

耶馬渓方面。

中津市街。

水は川から引いているようだ。

城を下りる。園内にある西南戦争中津隊の慰霊碑。中津隊は西郷軍に加わった。

 黒田官兵衛の築城による。黒田の石垣がある。

川沿いは公園になっている。

この辺が黒田の石垣か。江戸時代も時代が進むと、隙間のない石垣で積んであるが、ここは石の隙間に小石が埋め込んである。

旅の終わりの夕日は物悲しい。このまま旅を続けたくなる。

水門跡を出る。

出てすぐ、銭湯の汐湯があった。昭和のレトロな銭湯。熱めの湯に浸かる。

城の前には中津歴史歴史資料館。人はいなかった。

中津駅に向かう日の出商店街。人通りはなく、多くの店がシャッターを下ろしている。デパートや商店街が衰退する時代の流れか。

今回の旅で何度も乗った、日豊本線特急ソニックで小倉に向かい、新幹線で帰る。

紅葉の色で、頭の中が染まった旅だった。

歩の歩のマップ(これまでの訪問地)

0 件のコメント:

コメントを投稿