岩国の成君寺山に登る。
弥栄大橋を渡り、岩国市の本郷地区へ。調べておいた、ここに駐車する。バス停の跡のような場所。
「成君寺山→」の標識があるが、ここはマップに従い左へ。
車道を行く。
オレンジ色のガードレールは山口県。県道134秋掛錦線。
時刻は6:50。
杉林。
お地蔵さんが目印の登山口に到着。この辺まで車で来ることもできる。
ここから登る。
林道を行く。
国穏寺。
四境戦争・神威隊屯所跡(第二次長州征伐)。
石仏。
成君寺へ。
林道が続く。
水場。
左の石段へ。
石段を登る。
仁王門。
成君寺。
山代十一庄屋頌徳碑。
関ヶ原の戦い後の減封で財政が逼迫した毛利家は慶長検地で大幅な石高増加を図ったため、7つ3分(73%)という高い税率とあいまって、百姓の負担はより過酷なものとなります。そこで、周防国玖珂郡本郷村(今の山口県岩国市)庄屋・北野孫兵衛ら山代十一庄屋は、慶長13年(1608)10月に代官所に年貢減免を嘆願し、税率は4つ(40%)まで引き下げられますが、翌慶長14年(1609)に代官所から出頭を命じられ、11人全員が引地峠で即日処刑されました。本郷川沿いで晒された北野孫兵衛の首級は、地元民が盗み出して成君寺裏に葬ったといい、今に「首塚」が残っています。また、明治時代には同じ成君寺境内に有志による「山代十一庄屋頌徳碑」が建てられました。(義民のあしあとより)
説明によると、成君寺は500年の歴史を有する古い寺。また、山頂には戦国時代の成君寺城跡があるとのこと。成君寺城は大内氏と毛利氏の戦いの舞台になった。
山頂は左から。
成君寺山へ。
ここを左へ。
急登が始まる。
しばらく続く。
九十九折りもある。
大岩。
少し緩やかになった。
視界の開けそうな場所。
なぜかカーブミラーがある。
登り始めた本郷地区。
見渡す。
山頂へ。
最後は藪。
山頂に到着。
成君寺山、標高673m。標高差は350mくらい。
山頂の向こうに城跡の雰囲気もあった。
木々に囲まれ展望はない。
唯一のカーブミラーの展望所に戻り、ひと休み。
下山。
下り。
分岐に戻る。
成君寺に戻る。
今日は余力があるので、頌徳碑の横から首塚へ向かう。200mとある。
左に下る。
登り。
標識はあるが、道がはっきりしない。
なんとか到着。
手前に首塚。
奥に、成君寺初代住職の墓。
帰りは別ルートを探したが、やはり道なき道。
来た道に復帰する。
なんとなく戻っていたらコースを外れたようだ。叢をかき分け出てきた所。
頌徳碑に戻るつもりだったが、仁王門の裏に出た。
仁王門から下る。
林道を戻る。
国穏寺に戻る。
水場があるが、上からホースで引いている。顔を洗いさっぱり。
登山口に戻る。
県道を戻る。
山間の人家。
駐車場所に戻る。
成君寺山?
成君寺山のコース。
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