2022年9月17日土曜日

石垣山 (2022. 9.17)

箱根神社・駒ヶ岳(2022. 9.16)より⇒

 

今日は小田原城を中心に歩く。予定ではあと2日を鎌倉巡りに充てていたが、強い勢力の台風14号が近づいている。18、19日は交通に影響が出て帰れなくなる可能性もあるので、昨夜、2日分の宿泊はキャンセルした。今日が最終日になる。

小田原から登山鉄道に乗り、箱根湯本の1つ前の入生田駅で下車する。


右に見えるのは神奈川県立生命 の星・地球博物館。


 

橋を渡る。

 

川は早川。箱根湯本から流れてくる。



石垣山一夜城公園まで2600m。山頂には、秀吉が小田原攻めのために築城した一夜城跡跡がある。


車道を登る。


江戸城へ運ぶ途中に転落した石垣用石材。


側道に入るように案内。


側道を行く。

 

登り。


山頂まで1200m。入生田駅から2000m。


発見された石曳道。


この溝を曳いて石材を運んだ。


左へ。


山頂に向かう。

 

刻印のある石材。

 

山頂まで900m。

 

左に下りる道がある。寄り道。

 

道路の下をくぐる。

 

早川石丁場。


側道に戻り山頂へ。

 

ここからは車道沿い。

 

登り始めた入生田駅方面。

 

あと200m。

 

分岐を直進。左は林道だが通行止め。

 

到着。

 

石垣山城案内図。

石垣山は、本来「笠懸山」と呼ばれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて包囲し、その本陣として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれるようになりました。この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためと言われています。しかし、実際にはのべ4万人が動員され、天正18年4月から6月まで約80日間が費やされました。(小田原市より)


広い駐車場。車で上がれる。

 

旧城道東登口から登る。

 

石垣。

 

右へ。

 

本丸へ向かう。

 

本丸方向。

 

整備されて歩きやすい。

 

二の丸跡の分岐。左、本丸。右、井戸曲輪。先に井戸曲輪へ。

 

二の丸跡。

 

櫓台跡。

 

井戸曲輪は下。

 

下る。

 

井戸曲輪。

 

井戸の下。

 

石垣を見渡す。

 

順路に戻る。

 

井戸曲輪の上から…

 

小田原市街。

 

小田原城も見える。秀吉軍はここから見下ろした。

 

少し先に展望台。

 

箱根方面。

 

二の丸を通り本丸へ。


ここから登る。


ここは山道。

 

到着。

 

本丸跡。

 

石垣山の標高は262m。

 

ここにも展望台。

 

二の丸の向こうに小田原市街。

 

見渡す。

 

小さな祠がある。

 

天守台跡?

 

右へ。

 

下り。

 

左、二の丸跡。右、西曲輪跡。右へ。

 

西曲輪跡。

 

分岐に戻り、下り。

 

南曲輪跡。

 

太平洋が望める。

 

下り。


岩の間を下る。

 

東登口の分岐に戻った。

 

登口に戻る。


下山。


早川駅まで2300m。車道下り。

 

小田原市街。



登山鉄道。


小田原城と新幹線。


ズームイン、小田原城。

 

JR早川駅に到着。小田原に向かう。


石垣山のコース。


⇒小田原城 (2022. 9.17)へ


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