近鉄伊勢市駅から鳥羽に向かう。
近鉄鳥羽駅で下車。
離島行きの鳥羽市営定期船が出る、鳥羽マリンターミナル。
港横のかもめ広場。
答志島と三ツ島。
答志島の和具港行きに乗船。答志島は、旅の前に「友近・礼二の妄想トレイン」で偶然知り、旅の行程に加えた。
鳥羽の佐田浜港を出港。
奥に見えるのは、以前訪れたイルカ島。
山頂に建物が見えるのが、レイフィールド?
答志島の和具港に到着。
和具定期船待合所。
参考にしたマップ。
左、レイフィールド。右、ブルーフィールド。先にレイフィールドへ向かう。
和具サンシャインビーチ。
車道を行く。通学路か。
答志中学校。現在の生徒数23人。
レイフィールド、800m先を左折。
登り坂。
ここを左へ。
山に入る。
登り。
レイフィールドに到着。
展望台から、鳥羽方面。
ズームイン、鳥羽港。
和具港。
前は菅島。
下る。
入口に戻り、左へ。来た道を戻る。
レイフィールドを振り返る。
サンシャインビーチで休憩。今日も快晴で暑い。
レイフィールド方面。
これから向かう築上(つかげ)岬。
岬にある案内板を参考にする。
岬側から登る道があるかと思ったが行き止まり。引き返す。
ここから。
左へ。
登り。連日の登山で疲れがたまり、足取りが重い。
分岐を右へ。
首塚へ向かう。
登り。
九鬼嘉隆墓(首塚)。
九鬼氏は熊野海賊の頭領で、尾鷲市九鬼に住したので九鬼と称した。貞治(1362)頃に志摩の波切に移り、嘉隆の時織田信長に仕え鳥羽に移った。その後、小田原の役、文禄の朝鮮役で武勲をたてるが、関ケ原の役では西軍に応じて敗れ、答志に逃れるが和具洞泉庵で自刃した。(鳥羽市より)
小さな塚があった。
戦国時代、鳥羽城西主で水軍の将として活躍した九鬼嘉隆は、ここ答志島で自刃しました。九鬼嘉隆の首は「鳥羽城の見えるところに埋めてくれ」との遺言通り、鳥羽城を一望できる築上山(つかげ)の山頂に埋葬されました。(伊勢志摩観光ナビより)
草に覆われ、鳥羽は見えない。
引き返す。
分岐に戻る。花の世話を終えてひと休みするシニア女性。
胴塚・見晴らし場へ。
アップ…
ダウン。
胴塚は左。
直進して、見晴らし場へ。
見晴らし場。ここも草に覆われている。
神島が見える。
引き返し分岐に戻り、右へ。
下る。
九鬼嘉隆墓(胴塚)。
戦国時代、鳥羽城主で水軍の将として活躍した九鬼嘉隆は、ここ答志島にて自刃しました。胴を葬ったとされる墓は和具漁港の町中にあり、現在は五輪塔が建てられています。墓の左側には嘉隆が切腹したとした場所とされる洞仙庵(現在は廃寺)跡の石碑も見られます。胴塚・血洗い池は答志和具コミュニティーセンターの近くにあります。(伊勢志摩観光ナビより)
五輪塔。
血洗い池。
九鬼嘉隆が自刃した際に、その刃を洗ったとされている池。
答志和具コミュニティーセンター。
海岸へ向かうと鳥居がある。
素朴な神社、八幡神社。
大間の浜。
神島の向こうは渥美半島の伊良湖岬。
見渡す。
路地で迷い、うろうろしたら和具の交差点に出た。右へ。
答志小学校。現在の生徒数42人。
直進は、まちなか通り。八幡神社がある、右の海岸通りへ。
漁港に下りる。
八幡橋を渡る。
橋の上から、レイフィールド方向。
ブルーフィールド方向。
神社の入口。
登る。
新しい八幡神社。
下に下りて、波止場の灯台。
橋を渡り戻る。
帰りの船に乗る答志港。この他に桃取港があり、答志島には3つの港があるが、鳥羽との直行便が多く、港間の船での移動は難しい。
答志港を通過してブルーフィールドへ向かう。途中のトンネル。日陰がうれしい。
ブルーフィールドは港の向こう。
白浜海水浴場に到着。
ブルーフィールド。
ベンチがあるが、暑いので座って休む気にならない。
白浜海水浴場。
見渡す。
先端まで行ってみる。
潮が引けば渡れそう。
知多半島。右にうっすら見えるのは篠島。
伊瀬湾を見渡す。
遠くに赤い八幡橋。
ズームイン。
現在11:10。答志港からの鳥羽行きの次の便は13:20。2時間以上ある。休憩所で昼ご飯にし、横になって休む。
「潮が引けば渡れそう」の場所で、地元の人が何か採っている。
答志港に戻る。
たこ壺。
狭い路地の奥に喫茶店がある。
答志港の待合室。
鳥羽行きに乗船。
築上岬を通過。
この便は和具港に寄港。とってきた魚を水揚げしている。
和具港を出港し、答志島を後にする。
鳥羽から伊良湖に向かう伊勢湾フェリー。以前、あれに乗って伊良湖に向かった。着いた時は夜だったのを思い出す。
鳥羽マリンターミナルに戻る。
0 件のコメント:
コメントを投稿