与島の他に、与島も含まれる塩飽諸島の讃岐広島・本島にも行く。丸亀に1泊するので、丸亀城にも行くことにする。
塩飽諸島:瀬戸内海に浮かぶ諸島。「しあく」とも読む。瀬戸内海の中でも、岡山県と香川県に挟まれた西備讃瀬戸に浮かぶ大小合わせて28の島々から成り(岡山県側は笠岡諸島)、名の由来は「塩焼く」とも「潮湧く」とも言う。戦国時代には塩飽水軍が活躍し、江戸時代は人名(にんみょう)による自治が行われたが、近年は過疎化が進んでいる。
主な島を塩飽七島と呼ぶ。(青字が今回訪れる島)
名称 | 読み | 自治体 | 面積 | 人口 | 備考 |
与島 | よしま | 坂出市 | 1.024359 | 142 | 塩飽七島。瀬戸大橋あり。 |
櫃石島 | ひついしじま | 坂出市 | 0.882025 | 236 | 塩飽七島。瀬戸大橋あり。 |
本島 | ほんしま | 丸亀市 | 6.389454 | 627 | 塩飽七島。 |
牛島 | うしじま | 丸亀市 | 0.776292 | 16 | 塩飽七島。 |
広島 | ひろしま | 丸亀市 | 11.68345 | 453 | 塩飽七島。 |
手島 | てしま | 丸亀市 | 3.354157 | 72 | 塩飽七島。 |
高見島 | たかみしま | 多度津町 | 2.3414 | 73 | 塩飽七島。 |
岡山まで新幹線、児島まで瀬戸大橋線。児島駅西口に出る。
7:50、与島行きのバスに乗る。例によって乗客は少ない。与島に着くまで、瀬戸大橋のかかる、櫃石島と岩黒島を通る。櫃石島は下まで下りる道路があるが、住民と救急車両、他公共の車両が進入を許可されている。バスは降りることができるので、車窓から島の風景を眺めることができた。ひっそりとしていた。岩黒島は橋の上にバス停があるだけ。
与島
与島に到着。島を歩くので終点の第2駐車場で降りる。瀬戸大橋開通当時は観光客が多く、ここには巨大な商業施設があった。しかし、ブームが去り、明石海峡大橋やしまなみ海道の開通による、通行料の分散により、来島者が激減し商業施設は閉鎖、その跡が広大な駐車場になっているが、車はいない。
駐車場横の閉店した商店。
与島と堤防で繋がる鍋島に鍋島灯台があるので、瀬戸大橋沿いに歩いていく。
南端の港に到着。むこうは坂出市。
堤防で繋がっているので島まで歩くが…
通行不可。引き返す。
港を後にして、与島PAに行く。
車道を逸れると、狭い坂道ばかり。
廃校になった小学校。
瀬戸大橋の下をくぐる。
展望広場に出る。
展望広場から、与島PAを見る。
瀬戸大橋。四国方面。
与島PA。午後は離島に行くので、ここで腹ごしらえをしておく。
きつねうどんを注文する。
PAの展望台に上る。
展望台から。明日行く予定の本島。
中央右下のタワーがある辺りが丸亀市。
与島はかつて採石業が盛んだった。その名残を思わせる崖。
四国に渡るためのバスを待つために、バス停のある駐車場に行く。 こちらが現行の第1駐車場。駐車場と橋は高低差があるので、ループで結ばれている。
バス停は駐車場の隅っこにある。自分に以外に、女性がひとり待っていた。
9:54、坂出行きのバスに乗る。
坂出駅でバスを下り、電車で丸亀駅に到着。丸亀港は駅から歩いて5分の近距離。
港に行く途中にある、大助灯籠。かつては金比羅詣での上陸港としてにぎわった。
青い塗装が印象的な、入り江にかかる 京極大橋。
丸亀港に到着。これから行く讃岐広島と、明日行く本島行きの船はここから出ている。ただし、二つは船舶会社が違うので、切符売り場も乗り場も違う。
11:10の船に乗る。実は、できれば丸亀で電動アシストの自転車を借りたかったが、旅客船には同乗できない。自転車は島に上陸してから借りることにした。
丸亀港を後にする。
船尾のデッキから、進行方向左に讃岐広島が見える。
右に先ほど行った瀬戸大橋・与島が見える。
讃岐広島
20分で讃岐広島・江の浦港に到着 。
こちらは停泊中のフェリー「しわく丸」。たしかに毎回運行するほどの乗客数ではない。
「ようこそさぬき広島へ」。自分の住む広島と分別するために、地元でも広島のまえに讃岐を加えている。名前のとおり、塩飽諸島では一番広い島。
自転車は待合室で借りれるはず。電動ではないが自転車がある。中に入って借りようとするが、誰もいない。調べておいた電話番号にかけると、待合室の電話が鳴った。しかたない、歩きにするか。これも想定内のケースである。出ようとすると、おじいさんがやって来た。運よく自転車を借りることができた。
本日のマイバイシクル。
讃岐広島は特にこれといったスポットもないが、興味があるのが青木地区の採石場。現在も稼動しているようだ。青木地区に向かい、島の南岸を西に、自転車を走らせる。途中、小中学校があったがすでに廃校(休校)、離島恒例のふれあいセンターになっていた。
青木地区に着く前のいたるところに採石場がある。 釜の越地区か。
ズームイン。
城の石垣のような石積み。 甲路地区か。
奥に採石跡の断崖。
遠く切り立った岩が見える。あの向こうが青木地区。
ズームイン。
出発点の港に「いろは石」とあったが、島の各所に格言を刻んだ石が立っている。
電動ではないので、坂は押して登った。
坂を下って青木地区に到着。
厳島神社入口まで行き引き返し、採石場を探す。
島で唯一の天野商店。島では買い物はできないだろうと思い、丸亀駅のコンビニでパンとせんべいを買ってきている。
島内バスのバス停。
事前に調べた限りでは、青木地区の三野石材店というのが今も採石しているらしい。マップで三野石材店を目印に歩く。車道を逸れて坂を登る。
坂を少し登ったところ。見えるのは塩飽七島のひとつ手島。
重機の音がする。下で作業しているようだが、近づけそうにない。
贅沢に石を積んだ石垣沿いにさらに坂を登る。かなり急勾配の坂である。
坂が終わるあたりに、また採石場があった。機械が動いている音がするが人はいない。
奥に入ってみる。近くまで行ってみたいが、無断進入もはばかれるのでここまで。
来るときは気づかなかったが、採石場跡の定番風景である池があった。昨年春に訪れた北木島のようは風景を想像してきた。ここまでは乾いた石の風景しか見えなかったが、やっと水が加わった。
さて、現在13:50。帰りの船は16:40。あと3時間弱もある。向こうに見えるのは塩飽諸島で最標高の王頭山。自転車が借りれない場合を想定して考えていた歩きのコース用に調べておいたので登ることにする。トレッキングポールも持ってきている。
青木地区に行くときにチェックしておいた登り口。
レキの墓を左に曲がる。
レキの墓:慶応2年(1866年)、瀬戸内海を調査中の英国測量船セルビア号の船上で病死した英国士官レキの墓。島の人たちの手のよって守られてきた。明治29年(1896年)にセルビア号が再び広島に寄港、船長から島の人たちに感謝状が送られたという。広島中学校近くの川のほとりにある。(HOTサンダルプロジェクトより)
空き家の民家の脇に自転車を置いて歩く。
王頭山登山道入口。
舗装道が終わると、枯葉の道。滑りやすい。
おお、くさり場もどき。先日、尾道で挫折しているのでこだわりがある。
各所に道案内の札が下がり、目印のテープが枝に巻いてあるので、道に迷うことはないが、藪が多い。枝の跳ね返りに、ずっと悩まされた。
携帯したトレッキングポールと記念撮影。眼下は、上陸した江の浦の港。
頂上はあの上。まだまだある。
下から眺めたとき、途中まではゆるい傾斜が続き、山頂近くで急勾配になっているフォルムが見えたが、この辺から急勾配が続く。
あと200m。いつも、ここからがしんどい。
空中庭園の案内がある。
下に降りる。
王頭砂漠:王頭山の山頂付近には、一つ一つが独特な形の巨石が並ぶ、
異質で趣のある空間が広がっている。王頭砂漠と呼ばれる。(せとうち島手帳より)
山頂に行こうとするが、ここで初めて道に迷う。
しばらくうろうろして山頂に到着。標高312m。特に何もない。眺望もない。
心経山への分岐がある。歩きの場合は、ここから青木地区へ下りるつもりだった。
山を下る。山頂の眺望がなかったので、途中で一服し、風景を楽しむ。
ミニ王頭砂漠みたいな石群。
平地に降りてきた。時刻は15:50。約2時間の登山だった。
港に向かう。先ほど上った王頭山に夕日がかかる。
帰りの船を待つ。乗客は数人。
さて、丸亀に帰り、今日の風呂。丸亀ぽかぽか温泉に向かうが、思ったより距離がある。登山後なので足も疲れている。ようやく「ゆ」が見えてきた。
丸亀ぽかぽか温泉。シルバー料金で\450。特にシルバー証明も求められなかった。自分も見た目そういう年齢になったのか。
風呂上りに食堂で、本日の夕食、焼きうどん。香川県、どうやらうどんが続きそうだ。
ホテルは、琵琶湖に引き続きアパホテル。素泊まり\4500。ホテル内には、喫煙の部屋以外にたばこを吸うところはなかった。吸う場合は、携帯灰皿で屋外で吸うとのこと。おかげで、この夜は禁煙した。
5Fの部屋の窓から、明朝行く丸亀城が見えた。
バス・電車・船・自転車、多彩な手段で移動した行程だった。
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