新幹線で名古屋まで行き、地下鉄桜通線・久屋大通りで名城線に乗り換え、市役所駅で下車。
堀沿いに歩く。
二の丸大手二ノ門(?)を通過。
正門に向かう。
正門。ここで入城料を払う。耐震強度の関係で天守閣には登れないことを知る。
課外授業の小学生でにぎわう。
城内は広々としている。
定番の金のしゃちほこ。
西南隅櫓。
本丸への入口である表二ノ門に向かう。
表二ノ門から本丸に入る。
橋の上から。
名古屋城マップ。(名古屋城公式HPより)
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、1610年(慶長15)、大坂の豊臣方への備えとして、名古屋城の築城を開始します。築城を命じられたのは、加藤清正、福島正則など、豊臣家に従ってきた西国大名20家。これを天下普請(てんかぶしん)といいます。徳川の威信をかけて築かれた名古屋城は、金鯱を頂く巨大な天守、絢爛豪華な本丸御殿、広大な二之丸庭園、高い石垣と深い堀、堅固で巧妙な縄張などを備え、近世城郭の完成形といえるものでした。名古屋城は、江戸260年を通じて御三家筆頭・尾張徳川家の居城として栄えます。
築城にあわせて清須から町ぐるみの引越し「清須越」が行われ、現在の名古屋の街の原型となる、碁盤割(ごばんわり)の城下町が形成されました。 (名古屋城公式HPより)
本丸御殿。藩主の住まいや藩の政庁があったところ。
本丸御殿の前から、今日は登れない天守閣を見る。
名古屋城でもっとも大きな石、清正石。城作りの名手、加藤清正に由来する。
本丸御殿に入る。2009年に開始し2018年に復元工事が完成したので、まだ新しい。
表書院の華麗な襖絵。虎の絵。表書院は藩主への謁見の際に用いられた。
梅と松の絵。
雉の絵。
ここから対面所。藩主と身内や家臣との私的な対面に用いられた。きらびやかな書院の絵とは趣が違う地味な色合い。
対面所と上洛殿を繋ぐ鷺ノ廊下。
上洛殿。将軍家光が京都に向かう途中名古屋城に立ち寄った。それに先立ち増築されたもの。
将軍の威光を現す華麗な部屋。
梅の間。上級家臣の控え室。
きらびやかな絵に圧倒されて、出口に向かう。
下御膳所。
御殿を出る。
天守閣を横から見たくて、本丸を出る。
天守閣を横から。
金のしゃちほこにズームイン。
鵜の首。堀を内側にいれ道幅を狭くし、本丸の防御を高めたもの。
二の丸に向かおうとおもったが、天守閣を眺める絶景スポットとある。
もう一度本丸に入り、御殿の横を西南隅櫓に向かう。
御殿と天守。
櫓に登る。
櫓の中。
天守閣を見る。
ズームイン。
櫓の上から下を眺める。
本丸見物を終え、二の丸に向かう。
本丸と二の丸を分ける堀。左が本丸、右が二の丸。
東南隅櫓。
二の丸から天守閣を見る。
一帯は庭園になっている。
空堀が多かったが、外堀は水がある。
庭園を散策。
広大な名古屋城を歩きつかれて休憩。
二の丸東庭園。
名古屋城見物を終え東出口に向かう。
東門から外に出る。
橋の上から。これがブラタモリで紹介された電車の軌道跡か。
地下鉄名城線・伝馬町で下車。名古屋市のもう一つの観光スポット熱田神宮に向かう。
第一の鳥居。
参道を行く。
手水舎。
第三の鳥居をくぐり本宮に向かう。
熱田神宮本宮。
本宮の中。
本宮の隣にある神楽殿。
神楽殿の方から本宮の中を写す。
織田信長は今川義元との決戦、桶狭間の戦いに出陣する前に熱田神宮に戦勝祈願にやって来た。戦いに勝利し感謝の意をこめて作った塀。信長塀と呼ばれている。
参拝を終え西口から出て地下鉄神宮西から電車に乗る。
途中、栄で降りて街を歩くが方向を失う。地下鉄から表に出るとよくある。
名古屋駅で昼ごはんに、名古屋名物きしめんを食べる。
名古屋からJRで岐阜に向かう。
JR岐阜駅に到着。地方都市の駅にしては立派な駅である。
明智光秀を取り上げた2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で盛り上がっている。
岐阜公園にバスで向かう。
岐阜公園に到着。
岐阜城がある金華山(標高329m)にはロープウェイで上る。
乗り場は公園の奥にある。
15分間隔で運行しているロープウェイに乗る。
約3分で山頂駅に到着。
岐阜城に向かう山道を行く。
天下第一の門。岐阜市が記念事業に建立した門で、当時のものではない。
遊歩道を行く。
岐阜城への階段を上る。
岐阜城。
岐阜城:かつて稲葉山城と称し、戦国時代には、斎藤道三公の居城でもあったところです。特に岐阜城の名を天下に示したのは、永禄10年(1567年)(一説に永禄7年)8月、不世出の英傑織田信長公がこの城を攻略し、この地方一帯を平定するとともに、地名も「井の口」を「岐阜」と改称し、天下統一の本拠地としてからでした 。(岐阜市のHPより)
城に向かう途中の道から長良川を見る。
名古屋城同様、ここも耐震強度の関係で4階の天守までは登れない。そのため入館無料。
館内には織田信長や明智光秀の像や肖像画が展示されている。これは信長像。
天守閣を後にする。
途中の展望所。
東に木曽川が見える。
石垣の角が算木積ではないので、古い形式の石垣だと分かる。
途中の展望台に上る。
展望台から東の木曽川。
西の長良川。
南に岐阜市街。
展望台を降りてロープウェイ乗り場に向かう。
リス村があるが今日は城目当てなのでパス。
下りのロープウェイに乗る。平日だが乗客は多い。来年は大河ドラマで盛り上がるだろう。
麓のロープウェイ乗り場の裏にある三重塔。大正天皇即位のとき建立された。
帰りのバス停に向かって公園を歩いていると、おばあさんが道を聞いてきた。自分も地元ではないのでよく分からないが、一緒にいくことになる。おばあさんは79歳。お元気である。福岡県のみやま市から岐阜の友人を訪ねてきたらしい。そして北原白秋の縁戚の人らしい。ちょうど自分は1週間前に白秋の故郷柳川に行ったので、そのことを話すと話が弾んだ。今でこ童謡などで親しまれる詩人であるが、当時は白秋の破天荒な生き方で縁戚の人は名乗るのも恥ずかしかったそうだ。ちょうど白秋を扱った映画「この道」を見たばかりなので、その生き様はよく覚えている。映画のことを話すと、本当にそうだったそうだ。
JR岐阜駅に戻り大垣行きの電車に乗る。
大垣駅に到着。大垣城に行くためである。
駅前の商店街。シャッターが下りている店が多い。
地場の百貨店も閉店したばかり。
しばらく歩いて大垣城近くの公園に着く。
大垣城に向かう。
大垣城。
全国的にも珍しい4層の天守を持ち、「城下町・大垣」のシンボルとして市民に親しまれている大垣城。慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いでは西軍・石田三成の本拠地にもなり、本戦部隊が関ケ原に移動した後も壮絶な攻防戦が繰り広げられました。
戦国の世が去った江戸時代、寛永12年(1635年)以降には戸田家11代が十万石の城主を続け、戦火で焼失したものの、昭和34年(1959年)に再建されました。(大垣・西美濃ポータルサイトより)
今日は火曜日なので休館。耐震強度や休館で、今日は城とも相性が悪かった。
休館を知らずに来たおじさんたち。
門を出る。こちらが正門。
川沿いの道を、今日の風呂に向かう。
コロナの湯大垣店。
隣がイオン。風呂を出たときは薄暗くなっていた。
JRで大垣から彦根に向かう。今日のホテル、東横イン彦根駅東口。
簡略化されてサービスで、1泊4000円台で安い。ここに2泊する。
今日の旅程図。
0 件のコメント:
コメントを投稿