2019年10月17日木曜日

仙酔島 (2019.10.17)

10年くらい前に一度訪れている仙酔島。鞆の浦の目の前にある小さな島。そのときは漫然と歩いたし、災害の影響で海岸線は通行止めになっていた。今回、島歩きの一環として再度訪れることにした。ただ、仙酔島だけだと半日で終わるだろう。せっかくなので、島歩きの前に、福山市内の蔵王山に登ることする。山歩きと島歩きのセットコース。

新幹線で福山まで行き、駅前のバス乗り場1番から、府中方面行きのバスに乗る。奈良津(ならづ)というバス停で下りる。

登山口のある憩いの森にマップを頼りに向かう。

車道から脇道の逸れて坂を登る。

憩いの森に到着。

ベンチで一休み。福山市の東部が見える。始発の新幹線で来たので、時刻はまだ7:20。

遊歩道に入り、憩いの広場に向かう。

携帯してきたマップ。その都度位置を確認しながら歩く。

 登山道はおおむね整備されている。

途中の休憩地に到着。

別ルートとの合流地点でもある。

坂を下り尾根に出る。

尾根から尾道方面。

 先に登っているシニア夫婦。結局下りるまでに10数人の人に出会った。ほとんどはシニアの早朝トレッキング。

おそらくここが憩いの広場だろう。破れたシートに覆われたすべり台がある。

これから登る蔵王山が見える。

展望の広場に向かう。

 道は階段のある道と無い道の2通りあり、自分が歩きやすいほうを選べる。

おそらく頂上付近の岩場。

頂上に到着。

蔵王山、標高225.5m。

展望所で一休み。

 去年の秋に行った走島が見える。

走島にズームイン。

後ほど行く鞆の浦方面。

北側に神辺

山頂で一時過ごし下山する。

帰りは左折して野鳥の広場経由で戻る。

坂は下り坂。

おそらくここが野鳥の広場… 何もない。

坂を登り返す。マップによると、まゆみ歩道。

坂を登って広場に戻る。

すべり台が目印になる。

野鳥の広場ではとりの鳴き声は聞こえたが、ここで鳥に出会えた。

尾根に戻る。先ほど登った蔵王山を見る。

休憩所の分岐点まで戻る。西回りの別ルートで下りる。

これまで出会ったのはシニアばかりだったが、珍しく若い女性が駆けていく。トレイルランニングの練習中か。

車道との合流地点に戻る。

出発地点に戻る。多くはここまで車で来て山歩きをしている。

帰りは来たときの舗装路でなく、もうひとつの道を選ぶ。地元のおじいさんがいたので、この道が麓まで行くことを確認して歩く。

ゆるやかなアップダウンはあるが、見晴らしのいい場所もある遊歩道。

福山駅が見える。

展望広場、104.2m。

展望広場から福山市街。

車道との合流地点に下りる。バス停に着くとちょうどバスが来たので乗る。

 福山駅に戻る。バラの街なので職人さんがバラの手入れをしていた。

駅構内の喫茶店で休憩する。

鞆の浦行きのバスに乗り仙酔島に向かう。

鞆の浦に到着。

これから向かう仙酔島。

渡船乗り場に向かう。船は1時間に3便往復しているので、さほど待つことはない。

今回乗る船、いろは丸。いろは丸は鞆の浦にも縁のある坂本竜馬の乗った船の名前。

これは前回来た時、2018年の船。

船内はレトロな感じ。舵輪は飾り。

船の上にはマストが立つ。

眼前に見える弁天島。

鳥居があり上陸して参拝できるが、船をチャーターしないと近づけない。

 仙酔島へは数分の短い船旅。
 
 仙酔島に到着。乗客は多い。

あの以前の渡船があった。今は使用されていないようだ。

いろは丸が次の乗客を乗せに帰っていく。

仙酔島歩きを始める。

仙酔島を象徴する洞門をくぐる。

プリントして携帯したマップ。今回はテーマを持って歩く。前回通れなかった海岸線と、4つの展望台へ登ること。

国民宿舎の前の浜辺を通り、海岸線の遊歩道に向かう。

遊歩道に入る。

前に皇后島。

鞆の浦の港。

前回はここらあたりで通行止めになっていた。

2018年の写真。





仙酔島は火山活動と褶曲運動により形成された。

 日本でここにしかない五色の岩が宿る島、それが仙酔島です。瀬戸内海国立公園を代表する景勝鞆の浦から渡船で5分、太古の手つかずの自然が残る、仙人が酔うほど美しい島。そして七福神の宿る島でもあります。異次元への入り口、景観と神秘的なパワーを感じることが出来る日本の島です。(仙酔島HPより)

遊歩道は2010年の補修が済んでいる。

快適な海岸歩きである。

課外授業の生徒たちがにぎやか。

下加美島。干潮時には砂州で繋がるようだ。

岩肌の色合いが違っている。

これが五色岩。

最初の展望台、烏の口展望台に行くための入口がある彦浦海岸。

展望台は岬の先にある。

浜辺に接岸している船は、トイレの汲み取りように来ていた。

烏の口展望台への登り口。何人かさきに登っている。

烏の口展望台への坂道を登る。先に登っていたシニア女子グループを追い抜く

烏の口展望台。シニア女子グループ3人組の写真を頼まれる。

展望台から、自分の地図と風景が一致しないが、とりあえず北木島方面。

彦浦海岸の船が見える。

これから向かう大弥山。

彦浦海岸までいったん下りて、大弥山展望台に向かう道を登る。

分岐点にある赤岩展望台に上がる。

中年御夫婦がお弁当を広げている。

赤岩展望台から。御夫婦の邪魔をしないようにすぐ下りる。

大弥山展望台に向かう。山登りになるので、さすがに人はいない。

大弥山展望台まで、700m。

階段が続くが、早朝の蔵王山登りで下地ができたのか、橋は調子がいい。

大弥山展望台まであと300m。この辺から足が重くなる。

あと少しと頑張っていると、下ってきたシニアの軍団に遭遇する。その中の一人の女性が、自分にどこかであったと言い張る。自分は広島から来たと説明すると、初対面だと納得したようだ。

山頂に到着。小さな祠がある。

2つ目の展望台、大弥山展望台。

展望台から鞆の浦。

展望台から下る途中で見えた中弥山。そこに行くコースもあるが、今日は3つ目の展望台、仙人ヶ丘展望台に向かう。

仙人ヶ丘展望台への第1の分岐。左へ。

仙人ヶ丘展望台への第2の分岐。左へ。

途中見覚えのある景色。

2018年、ここでタヌキに出会っている。

 仙人ヶ丘展望台への第3の分岐。右へ。

仙人ヶ丘展望台に向かう。

仙人ヶ丘展望台に到着。少年が座っている。先に着いて家族を待っているようだ。

仙人ヶ丘展望台から大弥山。

皇后島と鞆の浦。

仙人ヶ丘展望台を下りる。先ほどのシニア軍団は、こちら側から大弥山にの登ったのだろうが、かなりの勾配だった… など思いながら坂を下る。赤く色づいた萩の葉が秋を感じさせる。

 麓まで下りてくる。

ここで今回もタヌキに出会う。

自分からエサをもらいにくるしぐさで、逃げようとしない。

 これは2008年のタヌキ。今日出会ったのは、この子孫だろうか。

広場で弁当を広げる中学生たち。奥に大弥山と中弥山。

もう一つ残る最後の展望台、御膳山展望台に向かうが、左に海岸線があるので先に歩く。

満潮時に近いのか、歩道に潮が上がっている。

国民宿舎と大弥山。

風化によって天井が落ちた洞門。

天井があった時の写真があった。

どうやら海岸線から展望台に登れるようだ。引き返さなくてもいい。

御膳山展望台に向かう。左を行く。右は帰り道。

御膳山展望台。

弁天島の向こうに見えるのは玉津島。細い波止場で繋がっている。そうなれば行ってみたいと思う。鞆の浦からは1kmくらいか、仙酔島を終わって余力があれば行ってみよう。

展望台がもう一つある。

大弥山と中弥山。

展望台を下りる。

田の浦海岸に戻る。

4つの展望台へ登り、課題を達成した。かなり空腹なのでどこか食べるところがないか探したが、国民宿舎のレストランしかない。

定食1500円。奮発して昼ごはんにする。昼食の後は、宿舎内にある温泉に入る。

宿舎を出て、仙酔島をしばらく味わう。

海岸線歩きと展望台登りを終えて渡船場に向かう。

いろは丸がやってくる。

仙酔島を後にする。

御膳山の岬の下で釣りをする人。どうやって下りたのだろうか。

鞆の浦に戻る。課外授業の生徒たちも乗せて大勢が下船する。

玉津島へのルートをマップで検索したが、途中から破線になっている。もしかしたら、道並み道かもしれないので諦める。鞆の浦を少し歩く。高台にある円福寺に上る。

円福寺。水軍の城もあった大可島城(だいかしまじょう)でもある。

大可島城から仙酔島。

鞆の浦の古い町並み。女子旅も多い。

いろは丸資料館。今日は表だけ。
いろは丸:江戸時代末期の1860年代にイギリスで建造され、伊予国大洲藩(現在の愛媛県大洲市)が所有していた蒸気船。蒸気機関のほかマスト3本を持ち帆走も可能であった。坂本龍馬の海援隊による運航中に紀州藩の明光丸と衝突事故を起こしたことで知られる。(ウィキペディアより)

鞆港西側の雁木の南側に立つ常夜灯。
1859年に建てられた船の出入りを誘導してきた灯台で,高さは5.5m,海中の基礎の上から宝珠まで11mあり,現存する江戸時代の常夜灯としては日本一の大きさを誇ります。雁木や船番所とともに鞆の浦の港の歴史を物語っています。(ふくやま観光・魅力サイトより)

今日の旅程図。蔵王山、大弥山、標高の低い山だったが、アップダウンを繰り返したので、合計標高差は450くらいになったか。

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