2022年6月27日月曜日

鵜島 (2022. 6.27)

 鵜島は4年前に。しまなみ海道を走った時、村上海賊の島、能島の隣にある島ということで存在は知っていたが、今回、HNKの「離島で発見!ラストファミリー物語」で詳細を知り、島歩きすることにした。

1日6便の島への定期船は、 伯方島の尾浦港と大島の宮窪港から乗ることができる。鵜島を挟んで、2つの港を行き来している。今回は、宮窪港から乗る。


待合室。9:45の船を待つ。


待合室の中。


ネットで探したが、適当なマップがなかったので、待合室のこのマップを参考にする。


船がやって来た。

 

桟橋から、鵜島。

 

能島の横を通って鵜島に向かう。


鵜島まで約5分。

 

鵜島港に到着。

 

鵜島に上陸。鵜島の人口は1960年代は200人近くだったが、現在は20人ちょっと。

 

ピンクの建物は、待合室も兼ねた鵜島カフェ。現在休業中だが、土日にはカフェが開く。


右手に、福島神社。岬の小さな祠がそうか。


海アヒル。住人の方が、鵜の代わりに飼っているらしい。アヒルは海水でも大丈夫のとのこと。

 

時計回りに島歩きを始める。


左へ。島を一周した後、ここに戻って来る。


右は周回ルート。左へ。


右は、へらごら見晴し場。左の、警固鼻見晴し場へ下る。


下った所、村上水軍造船所跡。


水取り場、古井戸。

 

隣の能島の飲料水に利用されていたと伝えられる。

 

右、警固鼻見晴し場へ。


警固鼻見張番所。


手作りの見張台がある。


見張台の上から。能島と、左隣の島は鯛崎島。


能島と鯛崎島。


下に警固鼻見晴し場。

 

見晴し場から。


ブラタモリでも撮影された能島の本丸。


造船所跡のある浜辺。


へらごら見晴し場へ行くため戻ろうと思ったが、直接行ける道があった。100m先。

 

道はよく手入れされている。

 

石仏のところを左へ。

 

へらごら見晴し場へ。

 

ブランコがあるへらごら休憩所。


下る。

 

へらごら見晴し場。

 

急流観測 荒神瀬戸。


能島までは70m。鵜島に的を置き、能島から弓の練習に使われたとのこと。

 

今は、ゆったりした潮の流れ。


ベンチで、能島を見ながら一休み。


戻る。手すりの竹が新しい。よく世話されているのが分かる。


舗装路からの入口に出る。


先に、遊歩道が続き、船隠し跡などあるようだが、詳しくないので引き返す。


警固鼻見晴し場への分岐に戻り、右へ。

 

島の北側へ向かう。少し登り。

 

峠を越え下り。向こうの山は伯方島。


茶谷休憩所。


右、伯方島。左、大島。伯方・大島大橋。


船折瀬戸。4年前、伯方島からこちらを見たことになる。


長鼻休憩所と国玉神社跡。右へ。


国玉神社跡。

 

神社跡から、船折瀬戸。

 

展望台があると思い込んでいたが…


伯方・大島大橋。


神社跡の広場が長鼻休憩所。潮の流れ。


メインルートに戻り下る。

 

田浦海岸に下りる。

 

前が伯方島。


島を見ながら一休み。


メインルートに戻る。

 

北浜代官所跡。


南側、港方面に戻る。少し登り。


大谷代官屋敷跡。


田ノ浦池。


下り。民家が見えてきた。


右へ寄り道。


宇佐八幡神社。


織田(おりた)と福羅。島には2つの姓しかない。福羅家は村上海賊の末裔で織田家は織田信長の末裔。ここに詳しい。


説明板によると、931年豊前宇佐八幡宮から勧請したもの。


港に戻る。


鵜島カフェの中。


海あひるの看板。


あひるも暑いだろう。

 

海に入った。


日陰で12:45の宮窪行きの船を待つ。


船がやって来た。


宮窪港に戻る。結局、行きも帰りも乗客は自分ひとりだった。


⇒伊予小富士<興居島> (2022. 6.27)へ


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