2022年11月17日木曜日

矢筈城跡 (2022.11.17)

 江津に1泊して、先日、石見銀山の山吹城跡から見えた、矢筈城跡・矢滝城跡・大江高山に登る… つもりだったが、出かけにトラブル発生。スマホの画面が復帰しない。ボタンで再起動もできない。スマホがないと、写真・マップその他、何もできない。故障と思い、宿のキャンセル、スマホ修理の予約をして、まずはスマホの修理を先行しようと思ったら、しばらくしてロゴマークが現れる。どうやら、アップデートの最中だったようだ。それにしても、長くかかった。再度、少し離れるが、浜田に当日空きのあるホテルを探し、出かける。

最初は矢筈城跡。石見銀山街道から冠川沿い上がり、登山口から少し離れるが、ここに駐車。


 登山口に向かう。


遠くにとんがった岩が見える。まず、あそこに登る。

 

ズームイン。冠巌と思ったが、後で、冠巌はその向こうだと分かった。ここでは、烏帽子岩(仮称)と呼ぶことにする。

 

棚田の田園風景。

 

橋の手前の、廃屋小屋の前から入る。

 

登山道。

 

左へ。案内あり。

 

左へ。

 

登り。

 

竹林。

 

ロープあり。登り。

 

尾根道。

 

登り。

 

岩登り。

 

岩。

 

後で行く矢筈城跡方向。

 

まだ岩が続く。足の置き場が見当たらないので、左の土の部分から登ろうとしたが、滑って危なかった。苦心して岩を登る。


ようやく登りきる。

 

登ってきた方向。


土の道。


また、岩が立ちふさがる。


岩の下は危なそう。


岩を乗り越える。

 

岩を登ると、前に冠巌が現れる。


上まで登れそうだが、今日はアクシデントが多いので、ひと休みして考える。

 

登ってきた石見銀山方向。

 

矢筈城跡。


登るためのロープがある。用心して登ることにする。


さらに、上へ。

 

先端に到着。

 

見渡す。

 

下を覗きこむ。

 

下りは慎重に。

 

「ユートピア」の標識。マップではルートは直進。

 

分岐があった。矢筈城跡は右。

 

左に冠巌の案内。

 

ここが冠巌。烏帽子岩の方が冠らしいのだが…

 

冠巌から見渡す。


矢筈城跡へ。


塔があるのでこの後登る矢滝城跡かと思ったが、方向的に違う。馬路高山。


下り。

 

また岩か。と思ったら、左に回り道があった。

 

下って…

 

登り…

 

また下る。

 

登り。

 

ロープ。

 

ロープ。

到着。

 

矢筈城跡、標高479m。

 矢筈城は、16世紀に石見銀山と物資の主な供給源であった温泉津港とを結ぶ道を防御するために築かれた二つの山城のうちのひとつです。この城は、道の北側、海抜480mの高台となる山上にあり、おそらく戦国大名が率いる大内氏が支配していた1520年代後半から1530年代前半に築かれたものでしょう。矢筈城は、その対をなす矢滝城よりも小さく、狭い山頂の尾根に沿って石垣や堀切、土塁が築かれ、その南側から道を見下ろしていました。戦国大名の同盟や対立が絶えなかった1500年代には、石見銀山を巡って争ったために何度もその持ち主が変わりましたが、1600年代初頭に石見銀山が江戸幕府に支配されてからはその重要性がなくなってしまいました。その後、長期間続いた平和な時代により、矢筈城をはじめとする中世城郭が徐々に廃城となっていきました。矢筈城がかつてあった頂上は自然に戻り、今、砦の名残を地形にみることができます。(石見銀山世界遺産センターより

 

矢筈城跡から下る。

 

途中の視界の開けた場所から、日本海。

 

三瓶山。

 

下り。

 

広い場所に下りる。曲輪跡か。

 

登り。

 

尾根道。

 

登り。


下り。

 

笹ヶ峠を右へ。


マップに従い、右へ。

 

下り。

 

所々に案内はある。

 

平地に下りる。

 

ようやく歩きやすい道。

 

車道が見えてきた。

 

ここが矢筈城跡の登り口。

 

車道を戻る。

 

小屋のある冠巌の登山口との分岐に戻る。

 

駐車場へ向かう。途中、農作業中のシニア男性が話しかけてきた。登山の様子を尋ねられた。


棚田の向こうの烏帽子岩を振り返る。予想以上に大変な山登りだった。

 

駐車場に戻る。


⇒矢滝城跡 (2022.11.17)へ


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