2022年11月17日木曜日

矢滝城跡 (2022.11.17)

矢筈城跡 (2022.11.17)より⇒

 

 矢筈城跡の登山が予想以上に堪えたので、矢滝城跡に向かう途中、石見銀山世界遺産センターでひと休み。

 

県道201を上がり、トンネル前に駐車する。


すぐ近くに登山口。

 

土止めもあり、矢筈城跡よりは整備された感じ。

 

緩やかな道。

 

「生きるっていいね」。

 

「自然はいいね」。

 

歩きやすい道。

 

尾根道。

 

登り。

 

登った所。

 

日本海、温泉津方面。

 

少し先にベンチがある。ひと休み。

 

ベンチの前から、三瓶山。


ひと休みして出発。


ロープ。


年季の入った苔むしたロープ。


九十九折。


もうすぐ山頂。


塔が見えてきた。

 

塔の下に到着。

 

矢滝城跡。矢筈城跡より開けている。標高634m。

矢滝城は、16世紀に石見銀山と物資の主な供給源であった温泉津港を結ぶ道を防御するために築かれた二つの山城のうちのひとつです。この山城は、1528年、当時この地を支配していた戦国大名、大内義興(1477–1529)がこの道の南側の高台となる山上に築城したと伝わります。海抜634メートルの細長い山頂の全体を占め、その周囲には石垣や堀切などが築かれていました。頂上の北端に築かれた矢滝城の円形の主郭からは、道路と、反対側の矢筈城を何にも遮られることなく眺めることができました。武家間の同盟や対立が絶えなかった1500年代には、石見銀山を巡って戦国大名たちが争ったために何度もその支配者が変わりましたが、1600年代初頭に石見銀山が江戸幕府に支配されてからはその重要性がなくなってしまいました。その後、長期間続いた平和な時代により、矢滝城をはじめとする中世城郭が徐々に廃城となっていきました。矢滝城の遺構は、第二次世界大戦後、米軍のレーダー基地(後に放送送信施設に置き換わった)用の敷地を確保するために山頂の平坦な部分が拡張されたことなどのため、その名残はわずかです。(石見銀山世界遺産センターより)


山頂より、明日登る予定の大江高山。


見渡す。


三瓶山。


手前に仙ノ山。


馬路高山。

 

見渡す。


塔の上が気になるので入ってみる。


ここまでか。

 

と思ったら、上に登るハシゴがある。登ってみる。

 

さらにハシゴ。

 

最上階に到着。

 

見渡す。

 

ハシゴを下りる。

 

無事、戻る。

 

ひと休み。

 

あの上まで登った。

 

下山。

 

下り。

 

ベンチまで戻る。

 

下り。

 

駐車場に戻る。


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