2020年8月29日土曜日

東平<別子マイントピア> (2020. 8.29)

 以前から行きたいと思っていた別子銅山跡の東平地区。最近は、東洋のマチュピチュとして可脚光を浴びている。そして、尾根を走るUFOライン。瓶ヶ森林道のことだが、ここもTVCMで有名になった。

この2つを組み合わせて、1泊2日の旅程を計画した。公共交通機関での移動は困難なので、マイカーで出かける。

 

 広島港より、朝一番の松山観光港行きのフェリーに乗る。夜明け前の広島港。


時刻表で調べたとおり、新しく運行したパセオの便だった。


船内を探索する。客室後方部、売店がある方。


客室前方部。


広島港を出航。


階上の展望テラス。


シャレた展望所もある。


松山観光港で下船したら、松山道松山ICから新浜ICへ。別紙マイントピアに到着。東平地区までは、ここからさらに車で30分かかる。自家用車で行けないこともないが、離合するのも困難な個所が多い狭い道で、接触事故も多いという。無理せず、観光バスを予約しておいた。観光バスは、平日は5名以上から、土日祝日は1名からでも運行する。念のため、土曜日の今日、予約を入れておいた。


道の駅の受付で、観光バスと鉱山観光のチケットを購入する。


道の駅の前にある銅鉱石。観光バスの時間までしばらくあるので、周辺を歩く。ここは、かつての端出場(はでば)ゾーンで東平ゾーンの後に稼動した。


四通橋を見ながら橋を渡る。


遠くに見える橋は、マイントピアの入口。鉱山は深い山間にあった。


 

 四通橋。かつて、ここを鉱石を積んだ貨車が走った。


第四通洞。中には入れないが、ひんやりした風が吹いてきて気持ちいい。


さらに奥へ。打除鉄橋。左右のアーチの曲線がずれているのが特徴。


観光用の鉱山鉄道の駅。ここから先は、鉱山観光施設になる。東平の後に訪れるので、引き返す。


チケットを買った道の駅の記念館は、明治調の赤レンガ造りで銅板葺き屋根の建物。


中には、売店・レストラン・温泉・展示場がそろっている。


時間になったので、東平行きのバスに乗る。観光ガイド付き。


東平ゾーンに到着。駐車場は広い。現在残っている建物は、管理棟。そこで坑夫たちはチェックを受け、階段を下り、坑道へトロッコに乗った。

標高750mの山中にある東平は、大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、社宅・小学校・劇場・接待館が建てられるなど、昭和43年に休止するまで町として大変な賑わいをみせていました。(別子マイントピアHPより)


東平ゾーンのマップ。


バスはずっと坂を登ってきたが、かなり高いところにある。雲のかかった山の向こうに、江戸時代に始まった最初の坑道がある。


観光ガイドのご老人の案内で、資料館に向かう。


東平歴史資料館。


資料館内部。


駐車場があった所の昔の様子。


斜面に作られた住宅。当時の最大人口は5000人。学校、病院、娯楽施設、劇場などあり、一つの町を形成していた。


ここで精錬された銅鉱石は、三角鉱車で下まで運ばれた。


ジオラマを指しながら説明する観光ガイド。鉱石以外の、人と物資はどのように行き来し運ばれたのか質問したら、後ほどと言うことだった。


資料館の裏にある坑道。


展示されている鉱車。ピンを抜けば簡単に回転する仕掛け。


「東洋のマチュピチュ」に向かう。


上から見たところ。ガイドによると、下からの風景がネットでよく見る風景だそうだ。


ここから、玉石混淆した鉱石他を、中段の選別場に落とした。


中央に見える白いものが、かつて鉱山鉄道が走っていた場所のマーキング。


当時の軌跡が透明アクリル板を通して見れる。


なぜかニュートンのりんごの木。枝を接木したもの。


220段の階段を下りる。ここは物資を運搬したインクライン(傾斜面を走る軌道)の跡。


これだけ見ると城跡の石垣のようである。


階段を下りる。


さらに下に続く道。これが人が往来した道である。バスが通ってきた道路は、昭和39年に開通したもので、それまではこれを使っていた。毎日が登山のようなもの。


これが「東洋のマチュピチュ」。上が下りる前にいた広場。


索道基地跡。


ここを囲むようにケーブルが張られ、鉱車が動いていた。


右の穴が、鉱石が出てくる穴。観光ガイドのおじいさん、ここで熱弁をふるう。この索道は、傾斜を利用し、鉱石を積んだ鉱車の自重で動いていた。そして、空になった貨車に生活物資や郵便物その他を乗せて、ここまで上げていた… 先ほど、資料館で自分の説明に対しての、後ほどの答えがこれだった。ここが、いちばんの語り場所だったのだろう。


中段に上がる。


鉱石の選別がこの広場で行われた。


貯鉱庫跡。


索道停車場跡。


反対側から。


停車場跡の上で草を刈るシニア男性。方っておけば草ぼうぼうになる。それはそれで風情があるが…


貯鉱庫跡の石壁。


城跡の石垣?を通り、インクラインに戻る。


階段を上って戻る。


自家用車も何台かいた。見学時間、ここまでおよそ50分。自家用車で来れば時間の制約がないので、下のほうまで行って、端出場ゾーンの第四通洞と繋がっていた、第三通洞跡も見ることできるだろうが、あの狭い道、やはりバスのほうが安心だ。


駐車場から、今日泊まる新居浜の町が見える。


13時前に、マイントピアに戻る。レストランはいっぱいなので、売店でコロッケを1個買って腹の足しにして、先に観光鉱山に向かう。歩いても行けるが、観光鉱山の料金に含まれているので鉱山鉄道に乗る。


1時間に3便走っているが、この便は自分ひとりだった。


奥の赤い橋が、東平に行く前に歩いて来たとき見えた打除鉄橋。


すぐに、鉱山観光の駅に到着。奥が鉱山観光入口。


機関車は、明治25年にドイツより輸入された別子1号を再現したもの。


観光坑道に向かう。


長さ333mの観光坑道は、別子マイントピアが別子銅山採鉱本部時代の旧火薬庫を利用して作られた。


坑道を進む。


室内は20℃以下。涼しい。


最初に江戸ゾーン。


採掘の様子が人形を使って説明してある。負子(おいこ)と掘子(ほりこ)。掘る人と運ぶ人。

堀場。


湧き水の引き上げ。かなり深いとこまで掘るので、深くなるほど、地下水が大量に湧出する。先ほどの観光ガイドの人の説明によると、汲み上げにかかる費用で採算が取れなくなり閉山となった。


 

共同浴場。


砕女(かなめ)小屋。女性たちがななづちで小さくして、色の濃淡によって選別した。


銅の精錬の様子。


粗銅改め(あらどうあらため)。生産量の13%が幕府に治められた。


ここから近代ゾーン。


様々な作業が模型で展示してある。


それぞれ、からくりで動く。


詳しくは、パネルを見てください…、とのこと。


ここは実際は火薬庫として使用されていた。


万が一、爆発したときはの抜け穴として立坑が掘られていた。上を見上げる。


観光坑道のマップを見たとき、いちばん気になったのが地下1000へのエレベーター。


こんな手動開閉のエレベーターで大丈夫なのだろうか。


乗るまでは、本気で地下に降りるものと思っていたが、だまされた? 下りた積もりのお遊び。遊具に出る。


少し拍子抜けしたが、観光坑道を出る。今日のメインは東平なので、最初からおまけと思っていた。


鉱山鉄道は出たばかりなので、歩いて戻る。朝歩いた道と同じ道。


レストランも空いてきたので、遅い昼ごはん、じゃこ天うどん。


ついでに、4階の温泉に浸かる。


家族連れも多く、駐車場は空きを待つ車がいるほど、いっぱいだった。


⇒新居大島 (2020. 8.29)へ

 

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