琴電琴平線の始発に乗るため、高松築港駅に向かう。
ホームより、朝の高松城跡。
瓦町駅で下車。川原町は、琴平線・長尾線・志度線が分岐合流するターミナル駅。
昨夜、讃岐うどんを食べそびれたので、ネットで早朝から開いている店を探してきた。「手打十段 うどんバカ一代」。開店前の行列かと思ったが、順番待ちのものだった。並ぶのも面倒なので引き返す。
瓦町駅に戻り、志度線に乗り、八栗駅で下車。今日のメインの予定は愛媛県の内子だが、その前に、八栗寺に行こうと思う。
歩いて、八栗ケーブル登山口駅に向かう。奇妙な凹凸の山は、五剣山。
左手には屋島が見える。
約30分で、八栗ケーブル登山口駅に到着。左の鳥居をくぐると、歩いて登る参道が続く。今日は、往復1000円でケーブルを利用する。
ケーブルカーに乗る。
約5分で山上駅に到着。
本堂に向かう。
案内板で順路を確認。
八栗ケーブル登山口駅からの参道と合流する。
しばらく登ると広場に出る。ここまで車で来れるようだ。
お迎え大師。
お迎え大師の展望台から。高松市街と屋島。
表参道を本堂に向かう。
五剣山がそびえる。危険が伴うが、登ることもできるようだ。
仁王門をくぐる。
本堂の向こうに五剣山。
健康長寿を願い、線香を焚く。
第八十五番札所八栗寺。本堂へ参拝。
鐘楼の前を通り、裏参道を戻る。
十二支守本尊。
大師堂。
多宝塔。
八十八ヵ所石仏霊場。
見事に苔むした石垣。
セミの声を聞きながら、ケーブル乗り場に向かう。
遍路さんと出会う。
ケーブルカー山上駅の休憩所。
屋島が見渡せる。
ケーブルカーは15分間隔で運行されている。乗客は自分ひとり。車内では、喜太郎の「シルクロード」が流れる。
登山口駅に戻る。
八十六番札所、志度寺はここから8km。歩き遍路はこうして歩いていくのか。ちなみに、八十四番札所は、屋島寺。屋島に登ったときに行ったことがある。こうして振り返ると、ピンポイントだが、八十八ヵ所のいくつかは訪れている。
雨の少ない讃岐地方、ため池が多い。
琴電瓦町駅で、志度線から琴平線に乗り換え、高松築港駅に戻り、JR高松駅に向かう。松山方面行きの特急いしづちは1時間に1本運行されているが、ちょうど出たばかりだった。
待ち時間を利用して、駅前のうどん屋で昼ごはん。前回もここで食べた。
トッピングは、あなご天とじゃこ天。
時間があるので、前回時間外で登れなかったシンボルタワーに上ってみる。豊島が見えるかと期待したが、小豆島方面はレストランに入らないと見れなかった。
高松から10:47発の特急いしづちに乗り、多度津で、特急潮風に乗り変え松山で行き、松山で宇和島行きの特急宇和海に乗り変え、14時前に内子に到着。3つの特急を乗り継いだが、それぞれ連絡しており、乗り換えはスムーズだった。
内子駅。
まず内子座に向かう。
メイン通りから少し入ったところにある。
芝居小屋の幟が立つ。
1916年創建の内子座。
大正5年(1916年)に大正天皇の即位を祝い創建された内子座。木造2階建ての瓦葺き入母屋作り、純和風様式の本格的な芝居小屋として建設されました。回り舞台や花道、桝席、楽屋などがあり当時の建築技術の粋が集められた建造物です。
近年、老朽化のため取り壊されるところ、地元住民の熱意により改修が決定。昭和60年(1985年)に復原工事が完了し、芝居小屋として再出発を果たしました。今では、町内外の芸術文化活動の拠点として活用されています。 (内子さんぽより)
入館料を払い、コロナウイルス対策の体温チェックを受け、入る。
舞台で写真を撮る若者たち。
花道を行く。
「小さな旅」で紹介された行灯。
舞台の上から客席を見渡す。
舞台下の奈落に下りる。
奈落の底?
回り舞台の装置。
人力で役者が競りあがる装置、すっぽん。QRコードをスキャンすると、その様子が動画で見れた。
奈落から地上に戻る。
客席2階。
浴衣を着た女子2人組。レンタルらしい。京都などでは多くが中国の人だったが、ここは日本女子。
2階から舞台を見下ろす。
内子座を出る。
町並み保存地区に向かう。
ビジターセンター。
懐かしい看板。
それにしても暑い。
商いと暮らし博物館に入る。ここも有料だが、内子座との共通券があったようだ。
朝の食事風景。会話の音声も流れる。
商談の風景。
2階に上がる。床の間。
座敷に屏風。
ここも、話し始めた。使用人に指示する番頭?
荷物を抱える使用人。
かつての町並みの模型。
博物館を出る。芳我は内子で栄えた商家。下芳我邸は食事所に活用されている。
いつの頃の食堂か。しながきのメニューが面白い。
町並みを行く。少し上りになる。
メイン通りから逸れたところに、活動写真館。
旭館。
少女時代の美空ひばり主演の映画のポスター。
入口には丹下作善。
メイン通りに戻る。これも「小さな旅」で取り上げられた、和蝋燭店。
ここから北へ約600mが町並み保存地区。
ノスタルジックな町並みが続く。
内子中学校の入口も、それなりの構え。
木蠟資料館と上芳我邸。邸宅内の見学は有料。資料館だけなら無料。せっかくなので邸宅内に入る。
国内最大規模の製蠟業者だった本芳我家の筆頭分家・上芳我家の邸宅。江戸時代末に分家した当時の出店倉とともに、内子木蠟生産の最盛期に建てられた主屋や附属屋など全部で10棟の建物が現存し、いずれも重要文化財に指定されています。釜場など当時の生産施設はここにしか残っていないため、地場産業と住宅の関わりを示す貴重な遺構です。(内子さんぽより)
1階の座敷。
2階の作業所。
3階の屋根裏。立派な梁。
3階から2階を見る。
1階に下りて廊下を進む。
客間。
離れに下りる階段だが、ここまで。
風呂場。「ここでお戻りください」
入口に戻る。
広い台所。
外から。風呂の焚口。
資料館に向かう。
木蝋資料館。
上芳我家住宅は、木蠟資料館として整備されています。併設された収蔵庫には、重要有形民俗文化財「内子及び周辺地域の製蠟用具1.444点」が保管されており、その一部は木蠟資料展示棟でご覧いただけます。展示棟では、木蠟生産の過程を模型や映像でわかりやすく解説しています。(内子さんぽより)
ロウソクの原料くらいと思っていたが、木蝋は用途が深い。文具や化粧品、CDROMにまで使用されている。
木蝋の製造過程が展示されている。ハゼの実の採取。
ハゼの身を釜で蒸し、蝋をしぼる。
褐色の木蝋を精製、天日干しして白蝋にする。
製品にして出荷。
蝋の生産により、莫大な富を蓄えた。政府高官との商談風景。
資料館の中は涼しいので、ビデオを見ながら涼む。
ビデオで勉強したところで。ハゼの実。
生蝋。これが和蝋燭に使われる。
生蝋から不純物を取り除いた白蝋。
資料館から外に出る。蝋搾り機。
蝋搾り小屋と天日干しの棚。暑くて自分も天日干しになりそう。
ショップで、おねえさんと話しながら、カキ氷を食べる。
カキ氷でからだを冷やしたところで、JRの駅に向かう。
途中、立ち寄った本芳我邸。ここが本家。中には入れないので外観のみ。
内子町を流れ、肱川に注ぐ小田川。家族連れが水遊びを楽しんでいる。
自分も岸辺に下り、電車の時間まで過ごす。
JR内子駅に戻る。駅前に展示されたSL。
駅のホームから、内子の町を見渡す。
アンパンマン号の特急宇和海で松山に戻る。
いつものように、松山観光港からスーパージェット。興居島の向こうに夕日が沈む。
登山の変わりに急遽予定変更した旅だったが、暑い旅だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿