2020年8月12日水曜日

八栗寺・内子 (2020. 8.12)

 豊島 (2020. 8.11)より⇒

 

 琴電琴平線の始発に乗るため、高松築港駅に向かう。


ホームより、朝の高松城跡。


瓦町駅で下車。川原町は、琴平線・長尾線・志度線が分岐合流するターミナル駅。


昨夜、讃岐うどんを食べそびれたので、ネットで早朝から開いている店を探してきた。「手打十段 うどんバカ一代」。開店前の行列かと思ったが、順番待ちのものだった。並ぶのも面倒なので引き返す。


瓦町駅に戻り、志度線に乗り、八栗駅で下車。今日のメインの予定は愛媛県の内子だが、その前に、八栗寺に行こうと思う。


歩いて、八栗ケーブル登山口駅に向かう。奇妙な凹凸の山は、五剣山。


左手には屋島が見える。


約30分で、八栗ケーブル登山口駅に到着。左の鳥居をくぐると、歩いて登る参道が続く。今日は、往復1000円でケーブルを利用する。


ケーブルカーに乗る。

 

約5分で山上駅に到着。


本堂に向かう。


案内板で順路を確認。


まっすぐ進むと、本堂へ直行だが、あえて表参道まで下る。


八栗ケーブル登山口駅からの参道と合流する。


しばらく登ると広場に出る。ここまで車で来れるようだ。


お迎え大師。


お迎え大師の展望台から。高松市街と屋島。


表参道を本堂に向かう。


五剣山がそびえる。危険が伴うが、登ることもできるようだ。


仁王門をくぐる。


本堂の向こうに五剣山。


健康長寿を願い、線香を焚く。


第八十五番札所八栗寺。本堂へ参拝。


鐘楼の前を通り、裏参道を戻る。


十二支守本尊。


大師堂。


多宝塔。


八十八ヵ所石仏霊場。


見事に苔むした石垣。


セミの声を聞きながら、ケーブル乗り場に向かう。


遍路さんと出会う。


ケーブルカー山上駅の休憩所。


屋島が見渡せる。


ケーブルカーは15分間隔で運行されている。乗客は自分ひとり。車内では、喜太郎の「シルクロード」が流れる。


登山口駅に戻る。


八十六番札所、志度寺はここから8km。歩き遍路はこうして歩いていくのか。ちなみに、八十四番札所は、屋島寺。屋島に登ったときに行ったことがある。こうして振り返ると、ピンポイントだが、八十八ヵ所のいくつかは訪れている。


雨の少ない讃岐地方、ため池が多い。


琴電瓦町駅で、志度線から琴平線に乗り換え、高松築港駅に戻り、JR高松駅に向かう。松山方面行きの特急いしづちは1時間に1本運行されているが、ちょうど出たばかりだった。


待ち時間を利用して、駅前のうどん屋で昼ごはん。前回もここで食べた。


トッピングは、あなご天とじゃこ天。


時間があるので、前回時間外で登れなかったシンボルタワーに上ってみる。豊島が見えるかと期待したが、小豆島方面はレストランに入らないと見れなかった。


高松から10:47発の特急いしづちに乗り、多度津で、特急潮風に乗り変え松山で行き、松山で宇和島行きの特急宇和海に乗り変え、14時前に内子に到着。3つの特急を乗り継いだが、それぞれ連絡しており、乗り換えはスムーズだった。


内子駅。


まず内子座に向かう。


メイン通りから少し入ったところにある。


芝居小屋の幟が立つ。


1916年創建の内子座。

大正5年(1916年)に大正天皇の即位を祝い創建された内子座。木造2階建ての瓦葺き入母屋作り、純和風様式の本格的な芝居小屋として建設されました。回り舞台や花道、桝席、楽屋などがあり当時の建築技術の粋が集められた建造物です。
近年、老朽化のため取り壊されるところ、地元住民の熱意により改修が決定。昭和60年(1985年)に復原工事が完了し、芝居小屋として再出発を果たしました。今では、町内外の芸術文化活動の拠点として活用されています。 (内子さんぽより)


入館料を払い、コロナウイルス対策の体温チェックを受け、入る。


舞台で写真を撮る若者たち。


花道を行く。


「小さな旅」で紹介された行灯。


舞台の上から客席を見渡す。


舞台下の奈落に下りる。


奈落の底?


回り舞台の装置。


人力で役者が競りあがる装置、すっぽん。QRコードをスキャンすると、その様子が動画で見れた。


奈落から地上に戻る。

 

客席2階。


浴衣を着た女子2人組。レンタルらしい。京都などでは多くが中国の人だったが、ここは日本女子。

 

2階から舞台を見下ろす。


内子座を出る。


町並み保存地区に向かう。


ビジターセンター。


懐かしい看板。

 

それにしても暑い。


商いと暮らし博物館に入る。ここも有料だが、内子座との共通券があったようだ。


朝の食事風景。会話の音声も流れる。


商談の風景。


2階に上がる。床の間。


座敷に屏風。


1階に下りて奥へ。台所。よくできた人形で、本物が立っているのかとびっくりするほど。そして、タイミングよく話し始める。後で、受け付けのおばちゃんに確認したら、やはりセンサーで話し始めるとここと。


ここも、話し始めた。使用人に指示する番頭?


荷物を抱える使用人。


かつての町並みの模型。


博物館を出る。芳我は内子で栄えた商家。下芳我邸は食事所に活用されている。


いつの頃の食堂か。しながきのメニューが面白い。


町並みを行く。少し上りになる。


メイン通りから逸れたところに、活動写真館。


旭館。


少女時代の美空ひばり主演の映画のポスター。

 

入口には丹下作善。


メイン通りに戻る。これも「小さな旅」で取り上げられた、和蝋燭店。


ここから北へ約600mが町並み保存地区。


保存地区を行く。


ノスタルジックな町並みが続く。


内子中学校の入口も、それなりの構え。


木蠟資料館と上芳我邸。邸宅内の見学は有料。資料館だけなら無料。せっかくなので邸宅内に入る。

国内最大規模の製蠟業者だった本芳我家の筆頭分家・上芳我家の邸宅。江戸時代末に分家した当時の出店倉とともに、内子木蠟生産の最盛期に建てられた主屋や附属屋など全部で10棟の建物が現存し、いずれも重要文化財に指定されています。釜場など当時の生産施設はここにしか残っていないため、地場産業と住宅の関わりを示す貴重な遺構です。(内子さんぽより)


1階の座敷。


2階の作業所。


3階の屋根裏。立派な梁。


3階から2階を見る。


1階に下りて廊下を進む。


客間。


離れに下りる階段だが、ここまで。


風呂場。「ここでお戻りください」


入口に戻る。


広い台所。


外から。風呂の焚口。


資料館に向かう。


木蝋資料館。

上芳我家住宅は、木蠟資料館として整備されています。併設された収蔵庫には、重要有形民俗文化財「内子及び周辺地域の製蠟用具1.444点」が保管されており、その一部は木蠟資料展示棟でご覧いただけます。展示棟では、木蠟生産の過程を模型や映像でわかりやすく解説しています。(内子さんぽより)


ロウソクの原料くらいと思っていたが、木蝋は用途が深い。文具や化粧品、CDROMにまで使用されている。


木蝋の製造過程が展示されている。ハゼの実の採取。


ハゼの身を釜で蒸し、蝋をしぼる。


褐色の木蝋を精製、天日干しして白蝋にする。


製品にして出荷。


蝋の生産により、莫大な富を蓄えた。政府高官との商談風景。


資料館の中は涼しいので、ビデオを見ながら涼む。


ビデオで勉強したところで。ハゼの実。


生蝋。これが和蝋燭に使われる。


生蝋から不純物を取り除いた白蝋。


資料館から外に出る。蝋搾り機。


蝋搾り小屋と天日干しの棚。暑くて自分も天日干しになりそう。


ショップで、おねえさんと話しながら、カキ氷を食べる。


カキ氷でからだを冷やしたところで、JRの駅に向かう。


途中、立ち寄った本芳我邸。ここが本家。中には入れないので外観のみ。


内子町を流れ、肱川に注ぐ小田川。家族連れが水遊びを楽しんでいる。


自分も岸辺に下り、電車の時間まで過ごす。


JR内子駅に戻る。駅前に展示されたSL。

 

駅のホームから、内子の町を見渡す。


アンパンマン号の特急宇和海で松山に戻る。


いつものように、松山観光港からスーパージェット。興居島の向こうに夕日が沈む。


登山の変わりに急遽予定変更した旅だったが、暑い旅だった。

 

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