香春10山<大坂山~小富士山> (2022.12.28)より⇒
道の駅で、ごぼ天うどんを食べ、少し休憩。
周辺を散策。鏡山大神社一ノ鳥居。
豊前風土記逸文」には神功皇后(気長足姫尊 おきながたらしひめのみこと)が鏡山に来られて、新羅征伐で神の加護を得るため鏡を用いて祈り、その鏡を山に捧げたとあり、鏡は石となって現存しています。この山を鏡山といい、縁起を伝える神社が「鏡山大神社」で、祭神は神功皇后と仲哀天皇です。(たがわネットより)
古代大宰府道「田河道」。
太宰府から豊前国府に行く「田河道」は、草野津(行橋市)から瀬戸内海を経て都に至る最短距離の道でした。役人の往来、軍隊の移動、租税や産物の都への運搬を行ない、万葉歌人も訪れました。(たがわネットより)
この道?
河内王の墓へ。
万葉集巻三419 『石戸破(いはとわ)る手力(たぢから)もがも手弱(たよわ)き女(をみな)にしあれば術(すべ)の知らなく』。
墓はあの上。
宮内庁管轄。
河内王の墓。
河内王は689年、太宰帥として大宰府に赴任した皇族で、巡察で香春に来られ、この地で亡くなっています。この王陵は宮内庁指定ですが、鏡山村の人達は大君原にある社を河内王神社として守っています。(たがわネットより)
向こうに愛宕山と小富士山。
二ノ鳥居の前に戻る。
万葉集巻三311『梓弓(あづさゆみ)引き豊国(とよくに)の鏡山(かがみやま)見ず久(ひさ)ならば恋(こほ)しけむかも』。
長い石段。
123段目。残り41段。
手水舎。
車道でも上がれる。
鏡山大神社拝殿。
裏から下る。
車道に出て右へ。
小富士山。
鏡山。
万葉集巻三417『王(おほきみ)の親魄逢(にきたまあ)へか豊国(とよくに)の鏡山(かがみのやま)を宮とさだむる』。
河内王(かふちのおほきみ)を豊前国(とよのみちのくちのくに)の鏡山(かがみのやま)に葬(はふ)りし時に、手持女王(たもちのおほきみ)の作れる歌
陸橋を渡る。
下に日田彦線。採銅所駅方面。
香春駅方面。
豊前國風土記「鏡山」。
鏡ヶ池へ200m。
左へ。
何かの跡地?
右へ。「自由にお入りください」。
民家の前を通る。
鏡ヶ池。
神功皇后は仲哀天皇が亡くなられた後、鏡山で天神地祇にお祈りされて山を下り、鏡ヶ池を水鏡にして、お顔や髪の乱れを直されたと云われています。(たがわネットより)
池というより、水たまり。
こちらの方が広いが、洗い場。
いったん、道の駅にもどる。
香春駅方面に戻るが、県道は車が多いので、ここから側道に入る。
日田彦線沿いに進む。
香春駅13:23初の小倉行きの列車が通過。
愛宕山。
踏切を渡る。
今日歩いた山々。
山頭火碑(ふりかヘれば香春があった)。
山頭火遊歩道。
旧香春藩庁門。
香春小学校に移築された御茶屋の御成門。
頭上に通路。
セメント会社の向上に石灰を運ぶもの?
香春神社一ノ鳥居。
次の鳥居。
香春神社二ノ鳥居。
最後の階段。
大樹。
香春神社。
参拝。
山王石。
岩の大きさは、高さ4m周囲は15mにもおよぶもので、重さはなんと約86トン!昭和14年(1939年)6月30日の午後3時ごろ、香春岳で石灰石を採掘していたところ、採石場から突然ゴロゴロという轟音と共に、この岩が神社の方に落下するというアクシデントが発生しました。しかし、山から転がってきた岩は奇跡的にこの場所でストップし、神殿を傷つけることもなく、けがをした人も誰一人居ませんでした。人々は、大きな被害が出なかったのは神様のおかげに違いないと、この巨大な石を奇跡的、神秘的な力の宿る石としてお祀りし、山頂の山王神社にちなんで「山王石」と名付けました。(九州旅行ナビより)
神社から下りる。
通路の下に歩行者用の橋があるので渡る。
神社の上に一ノ岳。あおの上から山王岩が転落した。
ズームイン。右に工場の建物。
香春駅に戻る。
待合室で列車を待つ。
15:05の便で小倉に向かい。新幹線で帰る。九州工大前駅近くでで人身事故があり、鹿児島本線が一部不通で、小倉駅は混乱していた。小倉駅は、クレジットカードが使える、みどりの発券機の台数が少なく、並んで購入した。
旅のマップ。
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