2020年7月18日土曜日

中島<忽那諸島> (2020. 7.18)


旅の2日目。船で中島に行く。
伊予鉄高浜線の大手町から電車に乗る。鉄道ファンにはおなじみの、直交する路面軌道。市内路面電車が、高浜線の電車が通過するのを待っている。

高浜港から高速船で、中島の大浦港に向かう。忽那諸島には多くの島があるが、中島を経由して航路は、東と西の2つある。大浦港は東回り航路。

忽那諸島の航路図。

途中、睦月島にも寄るが、沖合いから乗客がいないことを確認すると、寄港せずに通過した。中島大浦港に到着。

自転車を借りる。

これといって観光スポットはないが、2つの城跡と、ビュースポットを巡る。港のマップで確認する。

愛媛県庁HPのマップ。

忽那八幡宮入口。ネット記事によると、境内内に黒岩城跡への登り口があるはず。

忽那八幡宮。

手水舎の奥に登山道があった。

登山道を登る。

階段も整備され、ロープも張ってある。

最後に、思いがけない鎖場。

黒岩城跡。後で訪れる、泰ノ山城同様、忽那水軍の城跡。
忽那水軍:11世紀の頃、藤原道長の後裔親賢(こうえいちかかた)が島に配流されたのが、忽那水軍(くつなすいぐん)の始まりとされています。そして鎌倉幕府の御家人や忽那島地頭職に補せられるなか勢力を伸ばして、その際に城郭や要塞を各地域に設けました。その後、皇統が南朝と北朝で争った分裂抗争では、忽那重清は北朝方に、忽那義範は懐良親王(かねよししんのう)の南朝方に組みし、忽那氏もふた手に分かれて戦いました。最終的には北朝の後小松天皇に譲位して合一が行なわれました。それ以降、忽那氏は河野氏の配下となりましたが、室町時代に河野氏が衰退し、天正15年に小早川氏により滅ぼされました。(瀬戸内海松山・里島めぐりより)

大浦の町を見下ろす。

次の泰ノ山城跡までは車道もあるが、今日の自転車は電動ではないので、自転車はここまで。後は歩いて登る。

グーグルマップでは、泰ノ山城が2ヶ所表示されるが、見えるのは高いほうの泰ノ山山頂だろう。

車道を歩いて登る。道はゆるやかだが、昨日の疲れと暑さで堪える。

山肌にはみかん畑。中島は柑橘の産地である。

途中、大浦の町を見下ろす。

泰ノ山城の低い方。ここまで車で来れる。車が1台止まっている。地元ボランティアの方か、歴史について説明されている。

泰ノ山城跡。
松山市沖15キロに浮かぶ忽那(くつな)諸島は、中島本島を中心とする有人島8島と無人島22島で構成される、柑橘類と漁業で生きる島々である。ここは平安時代から戦国時代に至るまでの間、忽那水軍を擁した忽那氏の本拠であった。その本島である中島の北部に位置する泰ノ山(たいのやま)には、1189年、忽那兼平によって秦山城(たいのやまじょう)が築城された。その後の南北朝の戦いでも瀬戸内海西部を、斎灘、安芸灘、伊予灘の3つに分ける戦略的要害の地として忽那水軍の拠点となったのである。その秦山城も、1585年、豊臣秀吉の四国平定の際に、小早川隆景に攻め落とされたのである。(ネット記事より)

城跡から町を見下ろす。

反対側。2つの島は、大館場島と小館場島。奥は広島の倉橋島。

上に続くレールがあるが、マップで見るとこの先がもう一つの泰ノ山城跡。

城跡を下る。左の道も、もうひとつの泰ノ山城跡に向かう道のようだが、今日は無理しないで、このまま下りる。

自転車を置いた場所まで下りる。

ビューポイントは、北と南にあるが、先に北に向かう。その前に、港近くのアミアゲビーチで休憩。アミアゲビーチから大浦港を見る。

反対側、睦月島。

北に向かう。とりあえず、先に見える先端近くまで。

大泊地区まで来た。

左から、野忽那島と睦月島。

右が自転車で走った道。左は周遊路。周囲10kmの島で、車道は島を回っているが、ここから登り坂になっている。電動でない自転車ではきついので、ここで引き返す。

帰る途中、野忽那島。

道の各所に距離表示があるが、トライアスロンが行われるので、そのためか。

睦月島。

睦月島と中島の間をフェリーが行く。

もう一度、アミアゲビーチに戻り、昼ごはんのコンビニおにぎりを食べ、これからの予定を考える。時刻は12時前。帰りの船は、高速船は12:30、フェリーは14時台。このまま高速船で帰るか、自転車で南に走り、フェリーで帰るか。

南のビューポイントめざし、行けるところまで行くことにする。車も人もいない道路に信号機がある。おそらく、子供たちの学習用だろう。大分の姫島にもあった。

とりあえず、あの岬を回るところまで。

西回りの船が寄港する神浦(こうのうら)港。

 小さな島は、マップで確認すると、「城」?

ビューポイントはもっと先のようだが、体力時間ともゆとりがなく、ここまでにする。

干潮時で歩いて渡れる。奥にもう一つ島があるようなので、そこまで行ってみる。

 切れ込んだ谷間だった。

谷間の向こうには周防大島。

この辺を自分のビューポイントにする。忽那諸島の一つ、怒和島(ぬわじま)

二神島。

左が二神島、右が周防大島にいちばん近い津和地島。2つの島の間に、周防大島から行く情島。いちおう、忽那諸島の有人島は全部見れた。

港に戻る途中、昨年、石鎚山登山の前日に寄った興居島(ごごしま)。

大浦港に向かう。

ちょうど、神浦港に西回りの高速船が入っている。

島の2つ目の信号は、工事用の片道通行用。

港近くの、ゆるやかだが長い坂を自転車で登る。なんとか、手押しにならずに登りきった。

13時半、港に戻る。

港前に、島内周遊バスがスタンバイしているが、乗客はいるのだろうか。

帰りは、フェリー。

中島大浦港を出航。

中島は大きいので、全景が収まらない。

フェリーは、野忽那島と睦月島に寄港して高浜に向かう。野忽那の集落。

野忽那島の港。

睦月島の集落。

睦月島の港。

船のデッキから。野忽那島、睦月島、中島。

興居島の東端を通過。奥に忽那の島々。

高浜港に戻る。

16時のスーパージェットで広島に帰る。

途中、中島の東を通る。

広島宇品港に着く。

2019年に就航した新しいフェリー、シーパセオ号が停泊中。次に四国に行くときは、車の予定だが、シーパセオの便にめぐり合わせるといい。

今回の旅の行程図。

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