新幹線で博多まで。JR香椎駅で乗り換え、海の中道駅で下車。時刻は9:20。
マリンワールドに向かう。
開館は9:30。日曜日でもあり、多くの人が並んでいる。家族連れが多く、小さな子供たちが目立つ。
マリンワールドのマップ。
最初に3Fまで上がり、下ってくる順路。最初のコーナーは、「九州の近海」。いちばん最初に目にするのが、玄界灘の海。
玄界灘の荒海を人工的に再現している。上から波が定期的に落ちてくる。1分間ほどの臭気で落ちてくるようだ。何回か待って撮影した。
玄界灘と異なり、東西を海の中道と糸島半島で仕切られた博多湾は穏やかで、アマモが茂る。
鹿児島県の海。桜島の溶岩。
金江湾の深いところにいるキサンゴ。
長崎県西海。ミノカサゴ。
宮崎県日南海岸に産卵のためにやって来るオオニベ。 大きな魚である。
有明海のトビハゼ。ムツゴロウも探したが見当たらなかった。
九州近海に生息するアオリイカ。刺身や寿司などでお世話になるもの。
大分県。タチウオ。漢字で書くと太刀魚だが、立ち泳ぎしている。立ち魚とも変換できる。
人間が魚のために作る家、魚礁。
熊本の阿蘇。湧水地を再現した、水の森。
2Fから3Fに向かう。
大水槽がある。
水槽の横に、巨大なレプリカ。約8300万年前(白亜紀後期)にいたヒキダコウモリダコ。
ダイオウイカ。
大水槽は外洋をテーマにしている。
今日は、サメを中心に撮影。
子供連れで泳ぐサメ。サメは魚類だが、卵生・胎生、出産はいろいろのようだ。
一度、1Fから外に出て、カイジュウランドのペンギンたち。1羽1羽に名前が付いて、相関関係も分かっている。
九州の深海。糸島で捕れたリュウグウノツカイ。
深海コーナーはほとんどが標本。
福岡の身近なイルカのコーナー。スナメリが遊具で遊ぶ。
2Fに戻り、クラゲのコーナー。
定番のミズクラゲ。
アカクラゲ。別名、サナダクラゲ。
このクラゲが乾燥すると毒をもった刺糸が舞い上がり、これが人の鼻に入るとくしゃみを引き起こすため、「ハクションクラゲ」という別名を持つ。 これに目をつけた戦国武将真田信繁(幸村)が、粉にしたアカクラゲを敵に投げつけ、くしゃみを連発させて困らせたという逸話があり、「サナダクラゲ」と呼ばれることもある。(ウィキペディアより)
奄美のサンゴ礁。
色鮮やかな魚たちが泳ぐ。
ラッコプール。あまり人がいない。
ショープール。開演が近いので、ここに人が集まっている。
名古屋港水族館に比べて、こじんまりとしたもの。吹き抜けで、博多湾が見渡せる。
その分、距離も近く、間近で見ることができる。人が密になっているので、今日は遠慮する。
モノトーンの壁画。
事前にチェックしておいたが、動く壁画。
時間は11時前。少し早いが、イルカショーが終われが混むだろうから、空いているうちにレストランに行く。
ベジタブルカレーを注文。
ショープールの下にあり、イルカを見ながら食事ができる。
出口近くの「ほねのおと」。クジラなどの骨格が展示されている。
ショープールは満員御礼。ロープが張ってる。
イルカは、よく訓練されている。
マリンワールド海の中道を出る。
さて、今日のメインスポットは終わったのだが、これから船で博多港に戻り、博多に近い筥崎宮に寄って帰る。船はJR香椎線終点の西戸崎から出ているので、海の中道海浜公園の中を歩いて、西戸崎に向かう。海浜公園は有料。シルバー料金で210円。マリンワールドもシルバーが適用されて、通常よりも7~800円安かった。
人影のない遊歩道を行く。左にキョウチクトウが咲いている。
右の薄紫の花は、いつもの植物図鑑アプリによるとアガバンサス。ヒガンバナ科の花。
アジサイもそろそろ終わりだ。
大芝生広場。
ここまで人が見えなかったが、サイクリングセンターまで来ると、にぎわっていた。自分のように歩く人は少なく、多くは自転車で公園内を回る。
巨大なトランポリン?で子供たちがはしゃぐ。
アガバンサスの咲く道を西出口に向かう。
海浜公園を出て、西戸崎の港に向かう。
西戸崎の港はJRの駅の裏側。
船は1時間に1便。博多と西戸崎経由で志賀島を結ぶ。乗客は少なかった。
船上から、博多湾と博多の街。
先ほど楽しんだマリンワールド。
博多港に向かう。
能古島。
福岡タワーが見える。
志賀島。左端にかすんで見えるのは、玄海島。
博多港に入る。博多ポートタワーが見える。
博多港に下りる。
神戸ポートタワーにも上ったので、ここも上ろうと思ったが、休館中。コロナ感染以前からのようで、利用客の減少によるものか?
時間は早いので、港の側の「波葉の湯」で一風呂浴びて休憩。
風呂から上がって、中洲川端の地下鉄駅まで歩く。
地下鉄駅側の商店街。
七夕用に飾られた商店街を少し歩く。
「ソーシャルディスタンスば守ろうね」
博多弁と漫画が面白い。「しぇからしか」、博多弁で「うるさい。少し黙っておけ」。
中洲川端から地下鉄貝塚線で、箱崎宮前駅で下りる。
参道を行く。
筥崎宮。「はこ」の字は筥。神社と地名で書き分けるのが慣わしのようだ。
一の鳥居。
筥崎宮。宇佐八幡宮、石清水八幡宮と合わせて、日本三大八幡宮の一つとされる。最近は、鎌倉の鶴岡八幡宮も数えられる。
筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています。(筥崎宮公式HPより)
「敵国降伏」。
敵国降伏の御宸筆は本宮に伝存する第一の神宝であり紺紙に金泥で鮮やかに書かれています。 縦横約18センチで全部で三十七葉あります。社記には醍醐天皇の御宸筆と伝わり、以後の天皇も納めれられた記録があります。特に文永11年(西暦1274)蒙古襲来により炎上した社殿の再興にあたり亀山(かめやま)上皇が納められた事跡は有名で、文禄年間、筑前領主小早川隆景が楼門を造営した時に、亀山上皇の御宸筆を謹写拡大したものが掲げられています。 (筥崎宮公式HPより)
参拝。奥で、巫女さんが踊りの確認をしている。
亀山上皇尊像泰安殿。
大きな上皇像が安置されている。
筥崎宮の境内はシンプルで、広々している。
大楠。
蒙古軍船の碇石。
筥崎宮を後にする。
帰りは、JR箱崎駅から博多に戻り、構内のうどん屋で名物の、ごぼ天うどん(ごぼう天)を食べて新幹線に乗る。
今日の行程。
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