2021年7月27日火曜日

平戸① (2021. 7.27)

 伊万里 (2021. 7.26)より⇒

 

 旅の2日目。佐世保駅近くでレンタカー(オリックスレンタカー)を借りて、平戸に向かう。

平戸に渡る前に、田平教会に寄る。 コロナ感染対策のため、堂内には入れない。

 田平天主堂は、1886年以降、ラゲ神父やド・ロ神父が買い取った土地に黒島、外海から移住した信徒によってはじまる。1918年、信徒たちは、中田藤吉神父の奔走による寄付に助けられ、鉄川与助が設計・施工した最後のレンガ造教会を建てた。(ながさき旅ネットより)

 

十字架の墓石の立つ墓園。

 

墓石の向こうに天主堂。

 

貝殻焼き場跡。説明板によると、レンガの目地にコンクリートではなく、アマカワ(石灰と赤土を混ぜたもの)を用いた。神父たちはこの石灰を自分たちで作った…

 

天主堂入り口の、ルルドの聖母

 

レンガの壁。


 

平戸大橋のたもとから。

 

橋脚。


橋の向こうに平戸城が見える。


平戸大橋を渡り、平戸城の下に到着。


天守閣へ向かう。


北虎口門。


坂を登る。


天守閣下の門。


石段を登る。


平戸城天守閣。入場料520円を払い城内へ。

平戸城は、別名亀岡城と呼ばれ、平戸瀬戸に突出した平山城です。山鹿流築城法のもと、1704年松浦家30代棟のとき着工、1718年松浦家31代篤信の時完成。その後、明治の廃城令にて、廃城。現在の平戸城天守閣は、1962年(昭和37年)復元(天守閣三層五階建)され、日本100名城のひとつに選ばれています。(平戸城公式ウェブサイトより)


天守閣の最上階から、平戸大橋方向。



見渡す。



平戸港方面。

 

見渡す。


フェリーが入港している。沖合にある的山大島(あづちおおしま)と平戸港を結ぶ。的山大島のほか、度島(たくしま)がある。


平戸城から、港近くの交流広場に移動し、その駐車場に停める。近くにある足湯に浸かる。


うで湯もある。


階段の上は、平戸藩の藩主、松浦氏の松浦資料博物館。今日はパス。


平戸港。


平戸城方向に歩く。


じゃがたらお春の像。じゃがたらお春は、江戸時代初期に長崎に在住し、後にバタヴィア(ジャカルタ)へと追放されたイタリア人と日本人の混血女性。


港の向こうに平戸城。


幸橋(オランダ橋)。


城と城下町を結ぶ手段として使われた。


桟橋に戻り、遊歩道をオランダ商館へ。


平戸オランダ商館。1639年に完成した倉庫は、1641年、禁教令下の弾圧により、わずか2年で取り壊された。


正面上部にある、VOCは東インド会社の略称。1639の文字が、キリスト誕生年を起源とする西暦を表しているため、言いがかりをつけられた。


ここも、涼みがてら見学。


オランダ商館の前から、平戸大橋と平戸城。


続いて、高台にあるザビエル記念協会。

禁教が解けて信徒が住むようになり1931年、大天使聖ミカエルに捧げた教会が建てられ、献堂40年にザビエル像を建て、「平戸ザビエル記念聖堂」とよばれるようになった。(ながさき旅ネットより)


聖母像。


天主堂。


平戸殉教者顕彰慰霊之碑。


天主堂遠景。


史跡の多い平戸だが、自然の絶景も多い。続いて向かったのは、川内峠(かわちとうげ)。草原の丘陵地帯である。


ビジターセンター。


塩上げ石。

今から650年ほど前、大渡長者という商人がいた。もとは貧しい商人であったが、川内峠を通るときに石に塩を供え「願わくばたくさんの船を持つ大商人にしてください」と祈願しつづけた。その甲斐あって後に大商人となったという。(達人NAVI平戸より)


緩やかな登りだが、暑さできつい。


登り切って見下ろした所。下にビジターセンターと駐車場。


ピークに到着。

 

西海国立公園指定記念碑。


後で行く、生月島も見える。


ピークはもう一つある。


下って登り返す。予期せぬミニ登山。


ピークまでもう少し。


最初のピークを見下ろす。


第2のピークに到着。


周囲をぐるり。


遊歩道は先に続くが…


今日は来た道を下る。


最初のピークのふもとまで。

 

ピークを巻いて、車道で戻る。

 

駐車場に戻る。

 

木の向こうに2つのピーク。眺めながら昼ご飯。


⇒平戸② (2021. 7.27)へ


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